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19990506~ナンジャモンジャの木の下で 3

2014.10.03(00:02) 9



「…つまりあんたが落ち込んでた原因は、入江さんがこのままアメリカに行っちゃうんじゃないかと不安になったってことね?」

琴子が申し送りをした後に、幹と二人で職員食堂に行って遅めのランチを摂っていた。
幹にあれこれ問い詰められて、琴子はぽつりぽつりとここ数日の間感じていた不安のことを話し出す。

「入江くんが、ボストンのH大からアプローチを受けているって噂はあたしも聞いたの……噂ってとこがミソよね。入江くんからは一言もそんな話はないし。
みんなはあたしが足手まといだから行かないとか、あたしが引き留めるから行かないとか思ってるみたいで………
でも、ある意味事実かも。
もう入江くんと離れたくないけど、あたしの今の看護技術と英語力じゃアメリカで看護婦なんて絶対無理な気がするし、やっぱりただのお荷物になるだけと思うの。
……入江くんの本心が行きたいって思ってるのなら、ちゃんと笑顔で送り出してあげたいし……ああ、ううん、そんなの入江くんにいい奥さんって思われたいってだけなのよ! ほんとは離れたくない、でも迷惑かけたくない…………ってぐるぐるぐるぐる考えちゃって、そしたら眠れないし食べれなくなっちゃって……」

「でも今回のアメリカ行きはただの随行でしょ?」
Aランチのコロッケをつつきながら幹は訊ねる。

「西垣先生は、多分H大のメディカルセンターのラボの見学しに行ったのがメインじゃないかって言ってたの」
うどんを注文した琴子の丼の中味はあまり減っていない。

「それでもう帰って来ないかも、なんて思ってたわけ?」

「とりあえず一度は帰ってくるとは信じてたけど……もしかしたら向こうの人たちにあの手この手で勧誘されちゃって、もう行くこと決めて来ちゃうかもって…」

また琴子の顔がどんより曇る。
直樹の論文が絶賛され、H大の研究室から熱心に招聘されているというのも他人から聞いた話だ。

「入江さんがあんたを置いてアメリカ行くとは思えないけど、とにかくあなたたちの間には会話がないのよね。今夜ちゃんと入江さんにあんたの不安を話してみれば?」

「失礼ね、会話はあるわよ」

「あんたが一方的に話すだけでしょ?」

「そうだけど……」
また、しゅんとなる。

「でもって、あんたは肝心なことは喋らない。樹に向かってじゃなくて入江さんに向かって話しなさい」

「……うん」

幹の方が3つも下なのに、完全に頼りになるお姉さん(?)なのである。

「アメリカ行っちゃったら、赤ちゃんも当分無理だよね……」
ポツリと琴子が呟く。

どうやらそれも五月病発症の要因のようだ。

「子供のこと、誰かに何か言われたの?」

結婚して6年近くなるのに子供がいないのは二人の間に何もないからだ、というのはまことしやかに昔から流れている噂だ。そんなのは噂に過ぎないということはこの夫婦の近くに居れば直ぐに分かるのだが。
なんといっても、入江直樹という男は唐突に大胆な愛情表現を時折示す。
例えば混雑した食堂で愛の告白をしたり、卒業式には教室で長い長いキスを交わしたり。昨年まだ直樹が研修医の時代、勝手に緊急オベをして問題になった時でも、その手術後、介助をしていた琴子と廊下で長々とキスしていたもしっかり目撃されていたし。
そしてそんなセンセーショナルな出来事も一瞬の噂で消えて、ただの都市伝説と化す。何故なら目撃しなかった者たち――おもに女たちには、何かの間違いでしょ?と、何もなかったことにされるのだ。
そうしてあの夫婦は偽装結婚だの、妻の片想いだの、直樹は子供を作る気はないだの、好き勝手に囁かれている。

――だからいい気になって琴子に言いたい放題の看護婦たちが後を断たないのよね……


彼らの近くにいる外科の仲間うちには、実はこの一年の間に、どうやら直樹が妻を溺愛していて、しかも妻に手を出すやつは患者でも自分の指導医でも許さない、という大変な独占欲と嫉妬心の持ち主であるということは認知されつつある。
あまりにも分かりにくい愛情であるため、周知されるには大変時間がかかったし、認めたくないと思っているナースたちがまだいるのも事実。(今から数ヶ月後の慰安旅行で否が応でも認知される羽目になるのだが、それはまた別の話)
他部所のナースや、新人ナースたちが知らないのも無理からぬことなのかもしれない。
五月蝿(うるさ)い部外者たちが琴子の頭の回りをぐるぐると羽ばたいて、琴子を悩ませる。

「…国家試験に受かるまでは赤ちゃん作らないって決めてたの。でも……看護婦になってからは子供のことはきちんと話したことないかな…」

少し恥ずかしそうに琴子が下を向く。

「なあに? まだ避妊してんの?」

あら、こんな昼間にそっち系の話ですか? 真理奈がいないのに珍しい――と内心むふふと思う幹。

「神戸にいた時程積極的な避妊ではないけれど、多分出来にくいだろうな、という程度の……」

さらに恥ずかしそうに両手で顔を隠す。

「ああ、ゴムは使ってないけど、排卵日は避けるか、外に出してる感じ?」
さらりと言ってのける。
言いながらちょっと想像して再びむふっとする。

「いやーん、モトちゃんそんなはっきり……」

「入江さん子供欲しくないって言ってるの?」

「そんなことないとは思うの。昔妊娠したかもって騒ぎになった時、子供欲しいみたいなこと言ってたし……でも、やっぱり要らないのかな? あたしみたいに何も出来ない遺伝子持った赤ちゃんなんて……」

おおっまたマイナスオーラが渦巻き出したわ、と身構える幹である。

「いやいや、あんたの馬鹿みたいに真っ直ぐで、ど根性あって、猪突猛進な遺伝子と入江さんの優秀な遺伝子が混ざったら、最強の赤ちゃんが生まれると思うわ……」

真剣にそう思う。二人の赤ちゃん、見てみたい。

「…実は午前中、皮膚科外来の榎本さんに言われたの」

ああ、外来のナースに伝達ミスして怒られたと言ってたわね、と思い出す。
それも気鬱の一因か。

「何やらかしたのよ、あんた」

「うちの病棟の患者さん、皮膚科に受診するのにあたしが外来の予約取ったんだけど……あたしが時間間違った挙げ句に連れて行った時迷子になっちゃって……」

……就職して一年…いや、実習で何度も来ているこの病院で何で今更迷子になるのかと思う。
が、それは琴子だから、としか言い様がない。

そして外来ナースの榎本に散々嫌味を言われたのだと云う。
皮膚科だし、外来の非常勤だから、琴子のことを詳しく知っている訳ではないだろうが、入江夫妻の存在は余りにも有名であった。

――あなた、本当に入江先生の奥さんなの? 信じられない!

――看護婦辞めた方がいいんじゃない? あなた多分この仕事向いてないわよ?

――旦那が医者で、旦那の親は大会社の社長って聞いたわ。あなたがわざわざ働く必要ないんじゃない? それとも子供できるまでの腰掛け? この仕事、馬鹿にしないでよね!

――働いて一年やそこらで赤ちゃん出来て、産休育休で何年も休んだ後、簡単に現場に復帰できると思ってる? 今のうちに専業主婦になった方があなたの為よ!

「だいぶ、その榎本さんの私情入ってるわね……」

「うん、榎本さん、看護婦になって一年で、デキ婚でお医者さんと結婚して、仕事も辞めちゃって専業主婦になって……でも、五年で離婚してシングルマザーになって、復職して、この病院の保育施設に子供預けて働いてるんだって」

「詳しいわね」

「榎本さん、さっきわざわざ謝りに来てくれたのよ、感情的になって酷いこと言い過ぎたって」

「え? 」
意外にいい人?

「お子さんが余りに調子良くなくてイライラしてたって。外来、患者さんがはけないとお昼過ぎても帰れないもんね。
……近くに頼れる親とか居ないって言ってた。大変だよね……」

「そうなんだ」

「榎本さん、離婚してから復職するのにすごく苦労したみたいなの。キャリア積まないうちに退職しちゃったから。
数年のブランクでもう解らないことだらけで、人の命にかかわることだけに凄く怖かったけれど、養育費断っちゃって子供のために看護婦やるしかなくて、頼る人いなくてしんどかったって」

医療の世界は日進月歩だ。産休育休あけの看護婦が現場に戻って戸惑うことが多く、復職の妨げになっているというのはよく聞く話。

「だから、旦那の実家で暮らして、仮に子供出来たって何の苦労もないだろうあたしが羨ましいし、そんな恵まれた環境なのにスキルアップもせずにいつまでも下らないミスをするのにも腹が立ったって――」

言いながらまた思い出して落ち込む琴子である。

「子供作るつもりなら産むタイミングは考えた方がいいって言われた。少なくとも一年二年で産休入ったらあたしじゃ復職厳しいって」

「それで子供のこともうだうだ考えて澱んでたのね?」

「うん、赤ちゃん欲しいけど、確かに今、産休とったら、覚えたことが0に戻っちゃいそうで怖いなーとか……ううん、それ以前に入江くん、やっぱりアメリカ行くつもりで子供要らないのかなぁ?とか……」

鬱々琴子の話を聞いて、幹もため息をつく。ヤバいヤバい、鬱々は伝染するわ。

「……世紀末だしね。地球滅亡するかもしれないから、産まない方がいいのかも」

おおっと、唐突に話が妙な世界に飛んだぞぉっと、幹はこめかみを押さえる。

「あんた、その手の特番見すぎでしょ?
地球はそう簡単には滅亡しません」

混沌と退廃とアンニュイなのは19世紀末の話。今から迎える新世紀は、輝かしい未来があるのだと思いたい。

「とにかく! その辺りもきちんと入江さんと話をしなさい! こればっかりは入江さんの本音を聞かないと」

「うん。そうだね……でも入江くん、ちゃんと帰ってきてくれるかなぁ」

そして再び遠い眼……。

どうも色々な要因が積み重なって起きた負のスパイラル。

恐らくは直樹が帰ってくれば簡単に脱却できるのでは、と幹は予想した。
結局琴子は単純明快。直樹の言葉ひとつキスひとつでいとも簡単に浮上するに違いない。




その後二人は食事を食べ終えて、幹は午後の勤務に、琴子は着替える為に更衣室へと向かった。


着替え終わった琴子が更衣室から出た時である。

「ああ、入江さん、よかった。まだいたのね!」

「清水主任?」

息をゼーバー言わせながら清水が廊下の壁に手をついている。

「ちょっと医局へ来てちょうだい!」

「え?」

有無を言わせぬ口調の清水に従い、琴子はバタバタと医局へと向かった――。





※※※※※※※※※※※※※※※


とりあえず、前半部分終了。ぐちぐち琴子にお付きあいくださりありがとうございます(^^;


※10/4少し加筆修正しました。
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