19930928 ~誕生日にはカプチーノを (後)






「ただいま~」

琴子が入江家の扉を開け、しんと静まり帰った玄関に入った時、ポーチライトは点いているものの誰もいないのは明らかで、それでもいつもの癖でいつもの挨拶をしながら靴を下駄箱に仕舞う。

重樹が入院して以来夕飯の仕度は琴子の役目だが、今日のように出掛ける日は、紀子が一度裕樹を連れて病院に行き、弁当など買い込んで重樹の個室で皆で食べたりしているようだ。

直樹は最近はとみに忙しくて、家で食べる機会はぐんと減った。
それが仕事のせいなのか 、見合い相手とのデートのせいなのが分からない。
ただ琴子の料理が不味くて食べたくないから帰らない――とは、思いたくはなかった。少なくとも、琴子が夕飯担当になって以来、直樹は料理については一切文句も云わず完食してくれた。自分でも相当ひどい出来だと感じた時でさえ。

誰もいないリビングの灯りを点けて、とりあえずキッチンに行き、水を一杯飲む。
時間は午後9時。そんなに遅い時間ではない。紀子と裕樹もそろそろ帰ってくるだろう。明日も学校はある。
琴子も前期試験が終わるのが明後日で、じんこも理美も「どうせ勉強してもムダ」と、琴子の誕生日の為に目一杯お祝いしてくれた。
金之助の作ってくれたケーキも美味しくて、店のカウンターの片隅で、少し目を潤ませながら食べた。
少なくとも…寂しい誕生日ではなかった、と思う。試験の出来はともかく、幸せな1日だったと。


…直樹は今日も遅いだろう。最近余り顔を合わせていない。夏休み中は会社でアルバイトをしていたから、ほぼ1日共に過ごすことが出来た。
重樹が入院し、会社が大変なことになり、でもその結果直樹が一人暮らしをやめて家に戻り、新婚生活の真似事が出来、会社でも一緒に居て――ちょっと浮かれていたのかもしれない。
――だから、バチが当たった。

直樹が医者になる夢を諦めなくてはならなくなって。
琴子が直樹のことを諦めなくてはならなくなって。

――これは天罰だ。


「ふう…」
コップを洗い軽くシンクを拭いた後、ダイニングテーブルの上に散らかっていた裕樹の教科書やノートを片付ける。どうやら紀子が迎えに来るまで宿題をしていたようだ。
そして、ふとテーブルの上に箱と置き手紙があることに気が付いた。

「…これ…!」

『琴子ちゃんへ お誕生日おめでとう。今年はちゃんとお祝いしてあげれなくてごめんなさい。ささやかなプレゼントです。受け取ってね』

『琴子、またひとつババァになったな』

紀子の綺麗な文字と裕樹の幼い文字が並ぶ。

箱の中味は以前琴子がファッション誌を見て可愛い!と叫んでいたピンクのポシェットだった。
その横には裕樹が作ったらしいミサンガ。三色ほどの紐を編み込んで、でこぼ
こしているが素朴な風合いがある。

手紙を何度も何度も読みながら、ぽろぽろ涙が零れ落ちる。

――ありがとう、おばさん、裕樹くん。

自分は本当に幸せ者だと思う。
多くの人に自分の生まれた日を祝ってもらえる幸せ。

ただ一人の人に祝ってもらえなくたって、全然平気だ。大丈夫。
――大丈夫だから。






かたん…

階下の物音に、はっと琴子は机から顔を上げた。

「やばっもう11時!」

試験勉強をしていて机に突っ伏して眠ってしまったらしい。紀子たちが帰ってきたらお礼を言おうと思っていたのに気付かなかったようだ。

今の物音は紀子だろうか。裕樹はもう寝たかもしれない。

慌てて階下に降りる。

「……入江くん?」

そこにいたのは直樹だった。
久しぶりに見る直樹の顔。パジャマ姿で風呂上がりらしい。
キッチンでコーヒーをれていたようだ。

「あ、あたしやるよ!」

慌てて駆け寄る。

「…いいよ、もう淹れ終わるから」

ほぼケトルのお湯を注ぎ終わり、ドリップからは黒い雫がぽたぽたと落ちている。サーバーには一人分より少し多目のコーヒーが出来上がっていた。

直樹は棚から自分用のマグカップ取りだし、コーヒーを注ぐ。ステンレスに黒い英字が刻まれたシンプルなマグは、以前琴子が旅行に行った際にお土産としてあげたものだった。

琴子はコーヒーの芳醇な香りが立ち込める中で、ぼんやりと直樹の手元を見ていた。
いつも自分がコーヒー係だった。この家の中で唯一自分が自信を持って出来た作業だった。でも、それすら実は直樹の方が上手なのかもしれない。自分の淹れた方が美味いな、と思いながらも面倒だから琴子のコーヒーを我慢して飲んでいたのかもしれない。
ふとそんなことを思って少し悲しくなった。

「…おまえも飲む?」

「え? え?」

不意に直樹に訊かれて、琴子は一瞬何のことか分からなかった。
サーバーにまだ少しコーヒーが残っているのを見て、自分な勧めてくれたのだと思い至る。

「今から飲んだら眠れなくなっちまうか」

「…え、あ、ううん。まだ少し勉強したいから、飲みたい! 飲ませて下さい!」

慌てて直樹に追い縋る。
その様子を見てくすっと笑うと、「そっか、今試験か」と、少し寂しげな表情になる。
試験を受けたくても学校にも行けない状況の直樹に、琴子は申し訳ない気持ちになった。

「おまえ、カフェオレとかの方がいいんだろ?」

「え、あ、うん。いいよ、あたし自分でミルク入れる」
冷蔵庫に手を伸ばそうとした琴子を直樹は制し、「いい、おまえ座ってな」と、ダイニングテーブルを顎で指し示す。

「でも」と、尚も食い下がる琴子を無視して、直樹はさっさと冷蔵庫から牛乳を取り出すと、耐熱カップに注いで電子レンジに入れた。その間に流し台の引き出しから小さなスティックタイプの電動泡立て器を取りだし、温まった牛乳をしばらく撹拌する。
琴子は流れるような直樹の手際の良さにぼんやりと見とれていた。

コーヒーの入った琴子専用の花模様のマグカップに、撹拌したホットミルクを注ぐと、コーヒーはふわふわの白い泡に覆われた。
直樹は製菓グッズやスパイス一式の入った引き出しからココアの粉末の小瓶を取りだし、泡の上にぱらぱらと振りかける。

「はい、カプチーノ。……まあ、本式はエスプレッソだけどね。あ、砂糖入ってないから自分で入れろよ」

「すごーい! 入江くん、バリスタみたい!」

あっという間に出来上がったカプチーノ。カフェオレよりも一手間掛けてくれたことが信じられないくらいに嬉しい。

琴子の座ったテーブルの上にマグカップを置き、角砂糖の入ったシュガーポットとティースプーンを手渡す。
そのまま直樹は自分のマグを持って上に行ってしまうかと思いきや、琴子の前にあっさり座った。

こんな風に差し向かいで対峙するのは久しぶりだった。
真夜中に二人きりという状況にもどぎまぎしてしまう。

直樹は自分のコーヒーを一口飲むと一瞬眉をひそめた。
直樹はブラックだ。苦いのは当たり前。なんでそんな表情をしたのかと不思議に思いながら自分はカップにぽんぽん砂糖を入れる。

「幾つ入れるんだよ?」

「へ?」

「砂糖」

「ああ、3つ」

「もう4つ入れてるけど」

「えー! あ、でも、甘いの摂った方が頭に良いよね?」

「夜は脂肪になる方が多いだろうな。糖分摂取するなら朝に摂れよ。試験の時に効果出るぞ」

「そ、そっか、へへへ」

そう言ってスプーンでかき混ぜ直樹の作ってくれたカプチーノを口に含む。

「美味しい!」

口元に泡をいっぱい付けて琴子は満面の笑みを浮かべる。
その様子に直樹は軽く口角をあげると、
「おまえの淹れたヤツの方が美味いけどな」と、ボソッと呟く。

「不思議だよな。豆も同じだし、淹れ方もちゃんとレシピ通りの手順でやってみたのに何が違うのかな?」

独り言のようにコーヒーを見つめながらぽつぽつと話す。

「そういやおまえ、緑茶とかも淹れるの美味いよな」

「…緑茶は父さんに仕込まれたけど、コーヒーはおばさんだよ。おばさんに教えてもらった通りにやってるだけ。だから、おばさんと同じ味だと思うけどなぁ」

「それが不思議と違うんだな…」

心底不思議そうにカップの黒い液体を眺める直樹を見つめ、どうやら自分のコーヒーを褒めてくれたらしいことに気が付いて少し顔が赤くなる。

その後は、二人でとりとめのないを続けた。もっぱら試験の話題が中心になる。

「出来はどう?」

「まあまあ…かな?」

「明日のは何? 大丈夫なのか?」

「国文学概論。うーん、資料持ち込みO.K.なんだけど、何を勉強していいのか分かんなくて」

カプチーノを飲みながら上目遣いで直樹の顔を伺うが、流石に勉強見てやるとは言ってくれない。……当たり前だが。

会話が途切れた時、話題をどうしようと悩み、直樹の近況を訊こうと言葉を紡ぎかけ、しかしやはり自分の中で待ったをかけた。

もし、彼女とのデートの話が出たら――そう考えただけでも胸が締め付けられる。

しばらくの沈黙の後。

「…それ……」

「…え? あ、これ?」

裕樹のくれたミサンガに直樹の視線はあった。もし裕樹が起きていたら見せようと腕に着けていた。

「裕樹くんが…」

「…知ってる。編み方調べるの、手伝ったから」

「えっ!? ウソっ」

「なんで嘘つくんだよ」

直樹のムッとした顔に、慌てて謝る。

「ごめ…入江くんが手伝ってたなんて思いもよらなくて」

つまり直樹も今日が琴子の誕生日だと知っていたということか。
では、もしかして――。
琴子はあと少しで飲み終わってしまいそうな、泡だけふわふわ残っているカップの中を見つめる。

「知ってるか? それつけたら自然に切れるまで付けっぱなしなんだぜ?」

「…知ってるわよ。切れた時に願いが叶うんでしよ?」

Jリーグが開幕したこの年、選手たちが身に着けていたミサンガが話題になった。サッカー選手の名前を少しも覚えられない琴子だってそれくらいは知っている。

「何か願い事したの?」

「…ナイショ」

少し顔を赤らめてそっぽを向く。直樹はそんな琴子の様子を見て微かに笑った。

「じゃあ、オレもう上に行くわ。仕事持ち帰ってるし」

立ち上がった直樹につられ自分もつい立ち上がる。

「入江くん、ありがとう! カプチーノ、凄く美味しかった!」

頬を染めて礼を言う琴子を一瞬見つめたあと、薄く笑う。
そして。

「ひげ、付いてる」

琴子の口元にふっと指を差し伸ばすと、その回りに付いていたミルクの泡を拭い取ってへペロリと舐めた。

「………………!!!」

「甘いな。ミルクには砂糖入れてないのに」

余りに自然な直樹の行動に、琴子はただあたふたするだけで、顔がかあっと熱くなっていく。

「じゃあな。試験頑張れよ」

「うん、おやすみ」

直樹はそのまま琴子の顔も見ずにさっさと背を向けて行ってしまった。

琴子は火照った顔を隠すように頬を両手で覆う。
誰もいなくなったダイニングに琴子はしばらくひとりで座っていた。
空っぽになって、すでに冷たくなったカッを両手で持ったまま。

これは……誕生日プレゼントのつもりだったのだろうか?
それともただの気紛れだったのか。

「どっちでもいいや…」

たまたま誕生日に直樹がカプチーノを作ってくれただけ。それだけでも、一年分の幸せを貰った気分だ。

「お母さん…今日は素敵な1日だったよ」

腕に着けたミサンガを優しくなぞる。

願い事はただひとつ。


――来年の今ごろ、この家に住む人たち全員が心から笑っていられますように…








****************

スミマセン、バースディイブなのに、ほろ苦い話で(..) なんだか、素敵サイト様のブログタイトルのような話になってしまいました。カフェラテにしようかな、とも思ったのですが、やっぱり泡立てるという一手間を直樹にして欲しかった…
明日は極甘スイートな一年後の話です。
一話で明日中に更新したいなぁとは思っているのですが^^;


関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ののの

Author:ののの
管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR