聖夜に奇蹟は舞い降りる。(終)









「あ……お父さん」

1階のコンシェルジェボックスを離れて、エントランスホールに向かうと、ちょうど重雄が自動ドアのガラスの向こうで玄関に横付けされたタクシーから降りてくるのが見えた。
その後ろで、一人の女性がタクシーから降りようとして車の天井に頭をぶつけて、ホテルのドアマンに駆け寄られていた。

ーーあ、もしかして。

その女性はドアマンにペコペコ頭を下げてよろけながらタクシーを降りたあと、今度は走って重雄に追い付いて、その腕を掴まえていた。

(待ってよ、お父ちゃん)

声は聴こえないが、唇の動きからそんな風に笑いながら話しているのが見てとれた。

自動ドアが開いてホテル内に一歩足を踏み入れた途端に、琴子の方に視線を向けた。
一瞬にしてその姿を捉えたようだった。

「こーとーこーっ!!」

そして、重雄の前に立って、場所柄も全く考えず、大きな声を出して手を大きく振りはじめる。

ーーお母さん………

写真の顔と思うとかなり老けている。当たり前だ。父親より一つ年下の母は生きていればもう還暦を過ぎた年だ。
とはいえ、還暦過ぎにはまるで見えない。40代の紀子とさして変わらないようにも見える。
背も思ったより随分小さくて、遠目なら少女に見えなくもない。

「お母さん……」

ブンブン手を振って、その手が通りすがりの人の頭にあたって、思い切り睨まれ、ペコペコとまた頭を下げる。

へへっと頭をかきながらもすぐに琴子を見て、また大きく手を振る。

「お母さん!」

自然と足が大きく一歩を踏み出していた。
そして、駆け寄る。

お母さん お母さん お母さん!

「琴子……?」

母の胸に子供のように飛び込んだ。

一瞬驚いた顔を見せた悦子は、直ぐにふっと優しく微笑んで、娘の背中に手を回してぎゅっと抱き締める。


「琴子、大丈夫? 何処か痛いとこない?」

背中を擦りながら母は優しく訊いた。
そういえば、琴子がエスカレーターから転落したと聞いてわざわざ秋田から飛んできたのだ。
ついでに重雄から記憶が混乱していて何だか様子がおかしいと聞かされているに違いない。
老いた母親の看病で疲れているのに要らぬ心配をさせてしまったと、少し申し訳なく感じながらも、母の胸の暖かさに暫し浸ってしまう。

忘れていた母の薫り。
化粧や香水の薫りではない。シャンプーや焦げたクッキーや、色んなものが混ぜこぜになったような、不思議な薫りだった。
身長はさほど琴子と変わらなかった。
幼い頃はいつも小さな琴子の背に合わせて、膝をついてかがみこんでぎゅっと抱き締めてくれていた気がする。

おかあさん、ぎゅう、しよー

そう言うと手を大きく広げていつもにこにこして琴子を迎え入れてくれた。
そんな忘れていた記憶が突然ふっと沸き起こった。

鼻の奥がつんとした。
自然と身体が震えて嗚咽が漏れる。
いつの間にか涙が溢れていた。
永遠に会うことはないと思っていたひと。
もう二度とその腕に抱かれることはない筈だった。

「……琴子? どうしたの? あんたがこんな風に抱きついて泣くなんて、中学校の時、お隣の美和ちゃんが引っ越しちゃった時以来じゃない?」

「………………」

優しく髪を撫で付けながら云った母の言葉に一瞬、はっとする。

「……琴子?」

怪訝そうな母の顔。

「お母さん、ごめんね」

「何が?」

「色々心配かけちゃって」

「何いってんの。子供は親に心配かけて成長してくのよ。あんたが無事なら全然大丈夫なんだから」

ふふっと笑って琴子の長い髪をさらりとすきとる。


「琴子さん、そろそろ……」

耳元でノンちゃんの声が聞こえた。

もう時間なのだ。

「お母さん、ごめん、ちょっと部屋に忘れ物。フロントに行かないと」

涙を拭いて、母の顔をまじまじと見つめる。

そっかあ。
あの写真が年を重ねるとこうなるんだ。
年の割りには肌も張りもあって、皺も少ない。でも笑い皺だけはしっかりある。
本当に可愛いおばちゃん、といった感じで優しさと朗らかさが滲み出ている。

自分とそっくりだという悦子。
自分も60過ぎたらこんな感じになるのだろうか。

そんなことを思いながら、離れがたい身体を引き剥がす。

「………じゃあ……お母さん……」

ダメ、変に思われる。
そう思ってもまた涙が溢れてきた。

もう、これで。
今度こそ永遠にーー。

ぎゅっと拳を握りしめ、琴子は母に背を向け、エスカレーターの方へ向かった。

「琴子!」

母が突然声を掛けてきて振り返る。

小さな紙の包みをぽんと放り投げて、琴子は慌ててそれをキャッチした。

「それ! 琴子欲しがってたでしょ? 駅の土産物売り場にあったから買っちゃったの!」

にっこりと笑って母は再び思いっきり手を振った。

何故今このタイミングで渡したのかーー
また後で会うと思っている筈なのに。
一瞬だけ琴子はちらりとそんなことを考えたが、

「琴子さん、早く」

傍らで囁くノンちゃんの言葉に促され、その手のひらに入ってしまう小さな紙の袋をぎゅっと握りしめてエスカレーターに足を掛けた。


「あっちの琴子さん、ちゃんと来るかな」

ノンちゃんが少し心配そうに呟いた。

「ーー来るよ」

琴子は妙に自信ありげに断言した。

「あたしもね。さっきお母さんに抱き締められた時、少しだけこのままずっとお母さんと居たいって思った。
でもねーーやっぱり違うの。
あたしは、お母さんとの小学校の想い出も中学校の想い出も何もないの。あたしにはお母さんと過ごした記憶は何一つないわ。だってあのお母さんに育てられた琴子じゃないもの。きっと、お母さんには一瞬で違うって見破られたような気がする。
だからね。それは向こうに行ってた琴子も同じ。いくら入江くんと結婚してる幸せな人生でも、あの琴子には二人の6年の記憶がなくて、二人の積み重ねてきた生活を知らなくて、それなのにあたしに成り変わって向こうで暮らそうとは思わない筈だよ。ましてや、あっちはお母さんが亡くなってる。そんなの耐えられないと思う。こっちに、ちゃんと琴子を愛してくれてるお母さんがいるのに、向こうに残りたいなんて、きっと思わない」

「……………本当だ」

そうノンちゃんがくすっと笑うと、エスカレーターの上から、もう一人の琴子が降りてきた。
あの日琴子が着ていたワインカラーのスーツに身を包んで、紀子から貰ったミニボストンを持ちーー

そして、その横にはーー

「お母さん………」

それは、写真のままの若々しい母だった。
自分の案内人であるノンちゃんのように、あちらの琴子の案内人として、琴子の傍にぴったりと寄り添っていた。

「お母さん…………」

不思議だった。
自分の背の後ろには年を重ねた母がいて、自分の前には若々しい母がいる。

『 琴子………』

声は耳からではなく、頭の中に直接流れ込んできた。

『………ごめんね』

「え?」

早くに死んじゃってごめんね

寂しい思いさせて、ごめんね

いっぱい愛してるって云ってあげられなくてごめんね

辛いときにぎゅうっと抱き締めてあげられなくてごめんね



優しくて切なくて慈愛に満ちた溢れんばかりの想いが、琴子の中に雪崩れこんできた。


「お母さんっ」

涙が溢れて目の前が霞む。
母の顔をちゃんと見たいのに!

お母さん。

謝らないで。

あたし、大丈夫だったから!

お母さんいなくて寂しかったけど、お父さんがその分愛してくれたから

入江くんちでみんなに優しくしてもらって

入江くんと結婚できて

とても幸せだからーー

だから心配しないでーー




ゆっくりとエスカレーターは母を近付けてくれる。
遠い記憶の母の顔、そして写真で見た頃の母そのままでーー
涙で霞むのを阻止しようと、必死で涙を拭う。

二人の琴子の距離は徐々に縮まり、昨日のように長いエスカレーターの中央で、二人の位置は重なろうとしていた。


手を延ばす。

母に向かって手を延ばし、母も優しい笑みを携えて琴子の方へと手を伸ばした。
けれども無情にもその手は触れあうことなく母の身体を通り抜けていく。
そして、母の横にいた琴子の腕に触れたーー。



そしてーー


光がーー弾けた。


ーー琴子……直樹さんと幸せに………


遠い世界で反響する木霊のように最後の声が届いた。


世界は真っ白な虚無の空間になって、二人を包んでいったーー。





ーー琴子さん。

不思議な感覚。雲の中にいるような、銀河系の渦の中にいるような。
乱反射する白い光の中で、ノンちゃんの声が聴こえた。

ーーありがとう。お陰で、僕もちゃんと生き返ることができるよ。

僕は、こうなる前まで人生なんてどうでもいいと思ってた。
死ぬのが怖くて成功率の低い手術を受けるのを拒んだくせして、生きてたって意味なんてないーーなんて虚勢を張って。
親も友達も一緒に仕事する大人たちも、みんな誰も信用できなくて、自分は孤独だと思い込んでた。
でもね。
生霊となって、次元パトロールとなって、いろいろなパラレルワールドを見て、はじめて生きたいって思ったんだ。

それはね。

どの次元でも、どの世界でもーー必ず琴子さんと直樹さんは結ばれる運命にあってね。
例えば琴子さんが斗南高校を選ばなくて、入学式に一目惚れすることがなくて、地震で家が潰れなくて同居することがなくても、二人は社会人になってからちゃんと出会うし。
例えば直樹さんがT大合格しちゃって別々の大学生活送って、琴子さんちも早々に入江家を出てしまって二人の接点がなくなったとしてもーー
どんなにすれ違っても、必ず二人の道は何処かで交差する運命なんだ。
そして、必ず、琴子さんは直樹さんを好きになるし、直樹さんも琴子さんを愛するようになる。
この何億通りもあるパラレルワールド全ての次元の中で、必ず二人は結ばれるんだ。そんな運命の二人なんて数多ある世界のなかでもそうそうないよ。
二人は世界最強の鋼の強さを持った合成繊維性の赤い糸で、それはそれはもう強固に繋がってるんだ。
そしてね、二人の幸せは彼らの周囲すべてに伝染する。
二人の知り合いはもちろん、その知り合いのまた知り合いまで、ずーっと幸せが伝播して、みんな幸せになっていくんだ。
だからね、僕は、自分が凄く勿体ないなって思ったの。
二人とかかわり合いのないところで、自分だけ幸せじゃなく死んでいくのが。
だって、他の世界の『僕』は、琴子さんや直樹さんと再会して、どの『僕』も生きる希望を見いだして幸せになってるんだ。なのに、僕だけ二人に再会する前に死ぬかもしれない、なんてーーそんなのなんかズルい、とか思っちゃって。
だからーー僕もちゃんと生き返ってやり直したかった。
そう思ってたら神様からチャンスを貰えた。
これでやり直せるよ。

ーーありがとう、琴子さん。

生き返ったら必ず二人の元に行って、二人の幸せを見届けるからーー

絶対に幸せになるからーー

安心してね、琴子さんーー














ーー琴子! 琴子! 琴子!

遠くで声が聞こえた。

ああ……入江くんの声だ。
大好きな低音ヴォイス。
段々近付いてくる。

どうしたの?
何故そんな、切羽つまったような、不安そうな声であたしを呼ぶの?

あたしはーーここだよ。

ここにいるから。



「琴子!」

「う……ん」

瞳を開くと、直樹の顔が超ドアップで目の前にあった。

ああ、やっぱり綺麗な顔だなー
何度見ても飽きない………
ったく、男なのになんでそんな長い睫毛してるのかしら……あたしより絶対長いよー

「入江くん……今日もなんてカッコイイの……」

琴子の呟いた一言に、直樹は一瞬眉を潜めた。

そして、すぐに安心したように大きく息をついた。

「…………ったく、毎度毎度心配させやがって……」

「 え……?」

状況がよく飲み込めず、とりあえず身体を起こそうとするとーー

「いたたたた……」

身体中の節々が痛い。

「ばか、無理して起きるな」

直樹が琴子の背に手を回し、ゆっくりと身体を起こさせる。

「あたし……なんで…? ここ、病院?」

ベッドの周りはぐるりとピンクのカーテンで覆われていて天井以外何も見えない。しかし薬品の匂いと慣れた雰囲気で此処が病院だと一瞬で察した。
バイタルチェックのモニターが横にあるが、電源は入っていなかった。
点滴台は枕元にあるが、これも繋がれていない。
病室にあるようなテレビ台などはなかった。


「ああ、斗南の救急外来の処置室。外傷は全くないから安心しろ」

「お兄ちゃんがエスカレーターから落ちてきた琴子ちゃんをキャッチしたのよーもう、やれば出来るじゃない!」

横で紀子が楽しそうに応じる。

何だか久しぶりに義母の顔を見た気がして、ちょっとほっとした。

「覚えてない? 琴子ちゃん。ホテルのエスカレーターで………」

「ホテル……あ……!」

混濁していた記憶がふいに鮮明な形で蘇る。
不思議な24時間の記憶がーー

「今日は……いつ? 何日? ねえねえ! あたし、入江くんの奥さん?」

ここはーーどっちの世界?

たまらなく不安な気持ちになった。

「おまえ、大丈夫か? 一応CT取って問題なかったし、頭は打ってない筈だが……」

直樹が琴子の真正面に顔を近付けて、顔色をじっくり見たり親指で下瞼の裏をチェックする。

「少し貧血気味くらいだな。クリスマスイブのために無理のあるシフトにしたせいじゃないのか?」

「貧血って……もしかして赤ちゃんとか?」

紀子の顔がパッと輝く。

「それはない」

「そんな、お兄ちゃん、即答しなくても」

「昨日救急で運ばれた時、きちんと調べた。女性が病院にかかるとき、妊娠の有無を確認するのは最優先事項だ」

「もう……クリスマスイブに頑張ったんならもしかしてって可能性もあるんじゃないの~~? 」

紀子がにや~~と笑って直樹を突っつく。

「2日でわかるかっ! 第一、排卵日に当たってないからまず無理!」

「入江くんっ! そんなこと、此処で云わなくても……////////」

顔を真っ赤にして焦る琴子を横目に、直樹が至って真面目に、「とにかく、ふらついたのは貧血のせいだけとは限らないから、精密検査だけはきちっとするぞ」ときっぱりと告げる。

だがとりあえずその言葉で、直樹がちゃんと自分の夫であり、医者をしている元の世界に戻れたのだと心から安堵した。

「………今日は何日?」

琴子が恐る恐る訊ねる。

「12月26日。今は午前10時」

タイムラグはない。
あっちの世界で悦子に会ってからエスカレーターに乗って、それから2時間半くらいの時間だろう。

「で、一体なんだって2日に渡り同じホテル、同じ時間に、同じエスカレーターから転落したのか説明してもらおうか?」

「えーと……」

説明しろと云われても、昨日、もう一人の琴子がこっちの世界でどんな状況で過ごしていたのか分からないので応えようがない。

「………ごめん、ちょっとクリスマスの朝以降の記憶が曖昧で……」

必殺奥の手で誤魔化してみる。

「それで……あたし…昨日、何してた?………なんか、おかしくなかった?」

おずおずと訊ねる琴子に、直樹は怪訝そうに顔を見つめ、「おかしい。CTじゃ何も異常はなかったのに」と、腕を取って脈拍を診る。

「あ………」

腕にはイブの夜に直樹に付けられた情 交の痕があった。

ーーあたしの身体だ………

ふと、この身体か唐突にいとおしくなって、自らをぎゅっと抱き締める。

ほんの数時間前、母に抱き締められた身体とは違うけれど、感触は覚えている。

「琴子……どうした?」

突然自分を抱き締めて涙を潤ませ始めた妻に少し慌てたようだ。

「……昨日から少し情緒不安定なのよ。もう、お兄ちゃんてば琴子ちゃんに何をしたのよ?」

「何もしてねーよ。悪いがおふくろ、少し席外してくれ」

「はいはい、お邪魔虫は退散ね。琴子ちゃんは大丈夫なのよね?」

「ああ、血液検査に問題なければ今日は帰れるだろう。また精密検査に来るかもだが」





「……で、一体何がどうなってるんだ?」

紀子がカーテンの外に出ていった後、もう一度直樹が琴子の両頬を大きな手で包んで、間近でそう問い掛ける。

「やーん、どアップ……」

キスやそれ以上のことが日常の中に溶け込んでいるクセに、自分の顔のすぐ近くに直樹の流麗な容貌があるだけで、心拍数があがってしまう。

「……昨日の朝、エスカレーターから転落したと聞いた時も、どんだけ心配したと思ってんだ。異常はないといいつつもおかしなことばっかり云ってるし」

「……おかしなこと?」

「俺が沙穂子さんと結婚してるとか、秋田にお母さんが帰ってるとか……下関の家がどうとか……真剣に何か記憶障害にでもなったのかと思って焦ったぞ。とりあえず昨日は1日、脳外に、神経内科や精神科心療内科……色んな文献漁ってた。おまえ、部屋に立てこもるかのように出てこないし」

「そ、そうなの……?」

どうやら案内人の母は引きこもり作戦に出たらしい。
下手にこっちの人たちに関わると不審に思われると踏んだのだろう。

「………何となく、おまえじゃないような気がして、そんなこと有り得ないのに変な違和感を覚えた」

直樹はすぐに気がついたのだ。

恐らくはーーあっちの悦子のようにーー一瞬で。

ちょっと嬉しい。
でも、説明に困る。
直樹も感覚的な違和感を、きちんとした医学的論理的な解釈が出来ずに戸惑っていたのだろう。

「色々話して確認したくても、ほんと断固として部屋から出てこねーし」

うん、きっと、琴子もどうすりゃいいかわからなかったんだよね。
こっちの世界では母は死んでると、当の幽霊な母に説明を受けたのだろう。自分以上のパニックだったに違いない。

「今朝になって突然、あのホテルに行くからと飛び出して……追いかけてったらまた、同じエスカレーターの真ん中で突然ひっくり返るし」

「……それで入江くん、受け止めてくれたの?」

「ああ。完璧にキャッチしたつもりだったのに、おまえ意識失って目覚めないし……」

「ありがとうっ」

琴子はがしっと直樹の首にしがみついた。

「入江くんはケガしなかった? 」

「今度はきっちり踏ん張ったから」

「………よかった」

「……それで、おまえ一体……」

「………訊かないで……訊かれても上手く説明出来ないから……それに、あたし、もう大丈夫だし」

「琴子!」

「心配させて、ごめんね? 本当にもう大丈夫だから……」

瞳を潤ませてそう訴える琴子をしばらくじっと見つめた後、軽くため息をつくと、「わかったよ。訊かない」と云ってから抱き寄せた。

「そのかわり2度とこんなことは勘弁してくれ」

「………はい」

引き合うように互いの唇が触れる。
久し振りのキスーーといってもホテルで熱い一夜を過ごした時から1日しか経っていない訳なのだが。

「………昨日のあたしにキスした?」

少しだけ気になることを訊いてみる。

「だから、引きこもってて殆ど会ってないって」

「そっか……」

少し安心する。
自分の身体だけど自分じゃない琴子に直樹がキスするのは何となくイヤだった。

あたしってちっちゃいなー

あっちの琴子の方がずっと辛い思いしてるのに。

でも、多分、あっちの琴子もこの直樹じゃなく、自分の世界の直樹にキスして欲しい筈。

ーー幸せになれるといいなあ……

そんなことを思いながら再び降りてきた直樹のキスを受けているとーー

「入江さん……意識が戻られ……あ、すみませんっ!」

救命のナースがカーテンを引いて中に入ろうとした途端、二人のキスシーンに遭遇して赤面していた。

「………//////!」

琴子も真っ赤になって慌てて離れるが、直樹は全く無表情でしれっとしている。

「えーと、入江先生、血液検査の結果でましたけど。奥さまの様子は……」

検査結果をもらい、それを一瞥した直樹は、「問題はないようですね。状態も安定してますから、担当の岸先生にもこのまま帰ると伝えてください」と平然と告げる。

「は、はい……」

慌ててナースは出ていった。


「な、なんか救命にも変な噂がたちそう……」

琴子がぶつぶつ呟いていると、

「変な噂ってなんだよ」

「入江夫妻はところ構わずキスしてるって」

「事実だからしょーがないだろ?」

イヤ、キスだけではないらしいという噂もーー

にやっと笑ってもう一度琴子の頤を捉えると、軽く唇を啄む。

「あ、入江さん、お荷物こちらにーーあ、ごめんなさいっっ////」

またまたタイミング悪く別のナースが入ってきた。

コントのようにばっと離れて慌てて枕を抱き締める琴子に、ばつが悪そうに、新人らしいナースがカバンなど荷物を渡す。身に付けていたサファイヤリングも外してくれていたようで、差し出されたトレイから取って、改めて左手薬指に嵌め、少し不思議な気持ちでマジマジと見つめる。

「あと、運ばれた時に、ずっとこれを握りしめてたんですけど」

「……え?」

差し出されたのは、小さな紙の小袋。中に何か入っている。

「………どうして、これがーー?」

握りしめていたのはもう一人の琴子の身体。心だけが入れ替わっていたのだから、物質がこちらにくることなどない筈なのに。

紙の包みを開くと、中から出てきたのはーー

「何だ、そりゃーー?」

直樹が覗きこんで眉を潜める。

「なまはげ………」

それは、赤と青の二種類の御守りタイプのストラップだった。御守りには『泣ぐ子はいねがー』というセリフとあまり怖くないなまはげのイラストが描かれていた。

………あたし、こんなの欲しがってたの?

何だか笑えてきてしまう。
それを見つめて、くっくっと肩を震わせて笑う。

笑いながらも涙が溢れてくる。

「……琴子……?」

何故、これだけ次元を越えて手元に残されたのかーー

その理由は全然分からないけれど。

唯一遺された、奇蹟の証のような気がした。

ーーお母さん……ありがとう。あっちの琴子を助けてあげてね……

「入江くん。これ、ペアだからちゃんと入江くんも持っててね」

涙を拭いながら、にっこりと琴子は笑って、封を開けて中から出した青いなまはげストラップを直樹に渡した。

「物凄い御利益ある筈だから! 絶対に大切にしてね」







ひとつ、後日談がある。

家に帰った琴子が自分達の部屋の机の上をふと見ると、置き手紙のようなものが置いてあった。

『本、かります』

自分の筆跡だったが、自分が書いたものではない。

よく見ると看護婦国家試験の参考書が一冊なくなっていた。

看護学生時代のテキストをあれこれ見ていた形跡もある。

借りるってーーどうやって返すつもりだったの?

琴子は思わずくすっと笑ってしまった。

自分のなまはげストラップのように、あっちの琴子は無事本を持って行けたのだろうか。

おそらく。
直樹が医学部に行き直したと聞いて、自分も看護婦を目指したいと密かに思っていたのだろう。昨日引きこもりながら琴子の医療関係の本を見て色々考えていたのかもしれない。自分と同じだから想像がついてしまう。


ーーカンバレ、もう一人の琴子。

あんたは絶対大丈夫だよ。絶対看護婦になれるし、絶対入江くんと結婚できるからーー
お母さんを大切にして、幸せになってね。

心の中で、エールを送り続けていたーー。


そして。
それから数日の間ーーそんな風に時折別の世界の自分を想い、母を想っていたのだけれどーーいつの間にかその記憶はぼんやりと霞んで行き、新しい年を迎える前には、その不思議なクリスマスの24時間の出来事が、琴子だけでなく、直樹や紀子からも消えて去っていった。

ーー多分、修正されるからーー

ノンちゃんの言葉の意味を悟ることもなく、琴子はすっかり別の次元の存在も、母と出会ったことも忘れてしまった。

ただひとつ残されたストラップも、何故それを持っているのか、誰にもらったのか思い出せないまま、それでもずっと大切に持ち続けていた。

それを見ると、心の中にじんわりと温かいものが溢れかえってくるのだ。
懐かしくて、切なくて、とてもいとおしいかけがえのない大切な想いがーー。










* * *


「………ノブヒロ……目を覚ましたのね? 先生! 先生! ノブヒロの意識が戻りました!」

ここは何処だろう?
彼はぼんやりと辺りを見回す。
長い間眠っていたような、あるいはずっと起きていたような。

「ああ、良かった……良かったわ。もうこのまま意識が戻らないのかと……」

どうして泣いているのだろう? 母さん……


どうやら死にかけて助かったらしい。
彼の回りにはばたばたと医師や看護婦が集まり「こりゃ奇跡だ!」などと叫んでいる。

そうか。奇跡なんだ。

何だか長い夢を見ていた気がする。
少しも思い出せないけれど。

ーーただ。

「母さん……」

「え?」

「裕樹、覚えてる?」

「昔、一緒に入院してた?」

「うん。手紙あったよね。探しておいて。連絡取りたくなった……」

「どうして? 突然……?」

「わからない。わからないけどーー」


早くーー会わなくちゃいけないんだ。
ちゃんと見届けるためにーー



全ての人たちを幸せに導く歯車が、きっちり噛み合って、ゆっくり動き出す瞬間をーー見届けるために。





どの世界でもどの次元でも二人は必ず結ばれる。最強にして最高の赤い糸が彼らを繋げているのだからーー










※※※※※※※※※※※※


………終わりです。(突っ込みどころ満載ですが^_^;)

気力があれば、後程あとがきなぞ書くかもしれません……(^_^;

前話分のリコメ、滞っていてすみません。週末くらいにのんびり返信いたしますのでお待ちくださいませ……f(^^;








関連記事
スポンサーサイト

コメント

§ 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

§ 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

§ 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

§

どんな世界でも必ず結ばれる2人は素敵すぎますね。
最強の2人!

§ No title

ノスタルジックなお話でしたね❓多分、入江君と、琴子ちゃんは例えどこに、いても、きっと、有って、きっと、つながっていたんだろうな、赤い糸でつながっているような、気がしますね、今回、琴子ちゃんのお母さんが出てきましたね?琴子ちゃんが、小さいころ、中なったお母さん、きっと、小さいころから、琴子ちゃんを見守ってきたと、思います、たとえ、姿が見えなくっても、琴子ちゃんが、気を失ってるとき、入江君、本当に、すごく、心配したんだろうね❓生がげストラップ!!びくりぽん。v-65楽しいお話、待っています。

§ 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

§ Re.紀子ママ様

コメントありがとうございました♪

号泣させてしまいましたか! そんな風に感情移入していただけてとっても嬉しいです。私も琴子と亡き母との邂逅シーンを描くときかなりうるうるしながら書いてましたので、それが伝わったのなら書き手冥利につきます(^_^)
やっぱり、こういうのが書けるようになったのは親になったからかな?と思います。自分が子供を残して死ぬことを考えると10秒で泣けます……(..)

もとの世界の入れ替わった琴子と案内人悦子さんの様子を妄想したらそれだけでまた話が作れそうですが、あまり長引かせないためにも引きこもらせました(笑)入江くんと関わらせたら色々面倒なことになりそうで。絶対すぐ不審に思って気がつきますよね。同じ琴子だけど母がいるいないだけでも随分性格が違ってくる部分があると思うので。

とりあえずラストは少しは甘い二人を、と。うちのブログではこの数日後の元旦0時0分に受胎予定(笑)

ラストシーンはノンちゃんの目覚めで、と最初から決めていたのでそこまで辿り着いてよかったです。
たとえ綺麗事であっても、お話の世界ではみんな幸せになってほしいですよね。
最後までお付き合いありがとうございました。

§ Re.マロン様

コメントありがとうございました♪

はい、この『奇蹟』のメインは琴子と母を会わせてあげることでした。パラレルならではの力業ですが(笑)
マロン様も泣いていただけたのですね。悦子さん出るだけで泣けてしまうとおっしゃってましたものね。
私も書きながら泣いてましたので、ほんの一瞬の邂逅、喜んでいただけたようで嬉しいです。

そうそう。妄想の初めの頃は、案内人を菊之助じーさんとかで考えてましたが、すっきりしなくて。ノンちゃんにしたとたんにラストまでの流れがきちんと出来ました。初めはこの世界ではノンちゃんも死んでることにしようかと思いましたが、このラストの為に、彼は生き返らなくては!と。すべての収束はノンちゃんのお陰でした~~(^_^;

そうそう、こっちじゃ散々かき回した琴子ですが、向こうは関わらないよう潜んでもらいました(笑)なにせ案内人が悦子さんだし(^_^;
動いたら大変なことになるかもです。元の世界は平和なのに……(^_^;

なんか去年のカノユメでもナースに見せつけてたような気がします。何処でも見せつけますね~~伝説のパカップルですから(^w^)

もっと、リアルななまはげストラップ探してたのですが、あまり思い描いていたのがなくて、妙にかわゆいお守りに。そしたら何故か御守りがまたm様と繋がっちゃいました♪

なんとか大団円にまとめることができました。最後までお付き合いありがとうございました(^_^)

ほんと、インフル、気が抜けません。まだ娘の学年は大丈夫ですが、去年も同じパターンで、卒業式の頃、三年生流行ったらしいので……気をつけます!

§ Re.たまち様

コメントありがとうございました♪

はい、お嬢嫌いにはキツイ話になってしまうし、たまちさんも大変な時なのにしんどい話でごめんなさい、と思ってました。ラストのハッピーエンドを信じて待っている、とおっしゃっていただいたので、なんとかハッピーエンドまで持っていけました。
私はパラレルワールドって、あとがきにも書いたけれどSF小説の影響多いです。ジャンルとしてはタイムトラベルものの方が好きですが、タイムパラドックスを考えると頭が混乱してきます(笑)
そうですよね、同じ人生でもきっと福禍の数はみんな等しいのかもしれません。
あっちの世界にいっていた琴子も、きっとお母さんが幼い頃に亡くなっている人生なんて耐えられない、こっちの琴子はなんて辛い想いをしてきたんだろう、と胸を痛めていたと思います。きっと直樹と結婚してることなんて比較にならないと。

お嬢と結婚してる世界ってほんと、辛い展開ですから、たまちさんの心を重くしてしまって申し訳なかったです。
いや、でもうちの直樹さん、こんなんだから。琴子が離れた瞬間にこの人ロボットのようになっちゃってますから。
あまりに散々なお嬢の結婚生活にさすがに同情の声もありましたが、やっぱり、黒い罠を仕掛けて琴子を追い払ったしっぺ返しは食らわねば、なのです。
とりあえず、お嬢にも幸せになってもらわねば、性格がとってもうつくしい琴子ちゃんは、自分だけが幸せになるのは……と思ってしまうでしょう……(^_^;いちおうイタキス総幸福の法則に基づいてみんなに幸せになってもらいました(^w^)

向こうもこっちも、あまりそれぞれの世界の人に接すると、きっとすぐばれてしまうし、色々混乱をきたすと思うので、お母さんとの邂逅は一瞬の予定でした。一瞬でも育てた娘のことは分かるだろうな~~と想像しました。いくら天然でもね。

エスカレーター落ち……確かにここが突っ込み処ですねf(^^;カノユメでも階段落ちがありますが、うちっていつも落っこちながら変な世界に行ってしまいますf(^^;なので、このエスカレーター近辺は既に不思議な磁場が張り巡らせ、きっと倒れた後、踏み板の部分には倒れずに跳ぶようにふわりと放物線を描いて下に落ちて入江くんの腕にストンと………(^_^;因みにこの落方を物理的に説明すると『ご都合主義の法則』が当てはまります(笑)

そうそう、余計な記憶は必要ないので、異常事態時の記憶は消されてしまうのがセオリーです。これもご都合主義の法則、使えます(爆)本当は1日時間が遡って24時間をなかったことにしようかと思いましたが、そしたらその24時間の世界でまたパラレルワールドが生まれてしまうな、と変なことを考えて存在させました。
そう、琴子はすぐ忘れるけど、直樹まで忘れたのでこれは神の仕業とわかります(笑)

数話分の感想、まとめてありがとうございました(^_^)

§ Re.さち子ママ様

コメントありがとうございました♪

そう、すべてのパラレルワールド、どんな世界でもイリコトは最強なのですよ!
そして、彼らだけでなく、彼らの周りも幸せになるのです♪

§ Re.なおちゃん様

コメントありがとうございました♪

そうですね、お母さんと会わせてあげるという奇蹟をプレゼントするはなしでしたが、ちょっと展開が衝撃的過ぎたかしら、とドキドキしてました。最後のハッピーエンドをみなさん喜んでもらえてとても嬉しいです。
亡き母との邂逅は特に……やっぱり、子供を置いて逝ってしまった母の気持ちは切ないです。
ふふ、なまはげストラップ、受けてもらって嬉しいです。
はい、また色々妄想してまーす♪

§ Re.りょうママ様

コメントありがとうございました♪

はい、お母さんになんとか会わせてあげることできました。
でも一瞬じゃないと絶対ばれちゃうと。(一瞬でもぱれました)

あっちでも色々動いてるとややこしいことになるので引き込もってもらいました(^w^)

そうそう、得意の階段落ちです(笑)エスカレーターですが。もう、受け止めるの慣れたかも……?
ほんと、この頃はもう愛情だだ漏れですからね♪

§ Re.楓様

拍手コメントありがとうございました♪

その後のパラレルの二人のリクエスト、ありがとうございます♪
あとがきにも書いたのですが、元々ベースの別の話があるので、そちらの方をいつか書きたいと思います♪
ええ、勿論このパラレルの二人もラブラブのハッピーエンドに間違いないですよね(^w^)

§ Re.はるな様

拍手コメントありがとうございました♪

号泣されたのですね。そんなに感情移入していただいて嬉しいです。
温かい気持ちになったなんて、そんなはるな様のコメントに私も温かくなりました。こちらこそありがとうございます(^_^)

§ Re.ちびぞう様

拍手コメントありがとうございました♪

そういっていただけて嬉しいです。
ほんと、パラレルの二人は昼メロよろめきドラマの嵐の最中にいて、直樹はなんだかなーな大馬鹿者だったりしたのでヤキモキさせちゃいましたね。
それでも、どんな世界の二人も絶対幸せになれるということをノンちゃんに言わせたいのと、琴子にお母さんと会わせてあげたかったので、それが完遂できて満足な私です♪
本当に琴子は存在そのものが奇蹟を巻き起こすブリザード娘なのですよ。ブリザードの向こうにはいつもすっきり爽やかなハッピーな青空が待っているのです(^w^)

労いの御言葉ありがとうございます。最後までお付き合いくださり、感謝感謝です♪

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ののの

Author:ののの
管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR