聖夜に奇蹟は舞い降りる。 2





「お父さん、やだ……変なこと云わないで。……冗談にしてもその名前だすのはちょっとキツいよーー」

もう、6年も前のことだけれど。
心の底に澱(おり)のように沈んでいるひとつの名前ーー。
決して忘れることなんてできない。
傷つけてしまった美しいひと。
どうして今更彼女の名前を父の口から聞かされるのだろう?

「 冗談って………琴子……しっかりしてくれよ」

重雄は狼狽えて琴子の肩をがしりと掴む。

「お父さん………?」

「 失礼します。相原さん、如何ですか?」

一人の医師が部屋に入ってきた。
銀髪の温厚そうな医師であった。


「せ、先生。琴子の様子がおかしいんです。なんだか妙なことばかり話して……どっか頭でも打ったんでしょうか?」

重雄は医師に困惑した表情で訴えた。
その尋常ならざる様子に琴子も重雄がからかっているわけではないのだという気配を感じ始めていた。

え? え? え? どーいうこと?

あ、あたし、実はまだ結婚してなかったの?

もしかしてずっと夢を見てた?

いやいや、そんな馬鹿な。
だって夕べのなんやかんや、あんなにリアルにこと細かく、覚えてるのに。
甘い囁きも吐息も、肌を滑る感触もーー
ほら、手首にだって、腕だって、入江くんから付けられた痕が……

琴子は病院で着替えさせられたらしい検査着の腕を捲る。

「えー! ないっ」

思わず大声をあげてしまった。

昨夜直樹に付けられた4つのグラデーションキスマークも、手首の痣も、消えていた。

え? もう消えちゃった?

いやいや今までの経験値からいってこんなすぐに消える筈は………

琴子は首をかしげ、そして、ふと気がついた。

「指輪っ 指輪もない! ねえ、お父さん? あたしの指輪は? 入江くんからもらったサファイアの指輪……」

昨日勤務を終えた後、今日はデートだからだとずっと左手の薬指に着けていた筈なのに。

「琴子、直樹くんからもらったって……一体いつ? いや、いつから、何処で会っていたんだ……? 下関と東京で離れているのに」

「下関? 何?」

父の言ってることがわからない。

「CTでは脳に異常はありませんでした。もう一度詳しく調べてみましょう。事故のショックで一時的に記憶が混乱しているのかもしれません」

「お、おねがいします」

「それでは、相原さん、動けますか?」

「動けるけど……ねぇお父さん、どういうことなの? 下関って」

だんだん不安になる。
父親の話していることが全く意味不明で、理解できない。

「………とにかく、検査が済んだらゆっくり話そう」










幾つか検査を受けた後、琴子は部屋に戻ってきた。
主治医とさらに別の医師と質問をされるままに会話をしたが、彼らは手元の資料を見ながら終始怪訝そうな顔をして、琴子の答えを聞いていた。

部屋に戻った後、主治医が重雄に、とりあえず身体的には何の問題もない、ということで今日にも帰宅できると説明する。

「少し、精神的に不安定なところがあるようですので、退院後に精神科のある病院を受診してください。紹介状を書きますので。斗南大学病院でいいですか?」

「ええーっ」

斗南?

驚く琴子を尻目に重雄はさらに驚くべきことを伝える。

「いえ……自宅は下関の方なんです。東京には用事があって来ていて……すみませんが地元の病院を紹介していただきたいんですが」

「うそっ ……自宅が下関って……なんで? どうして? あたしたちずっと入江くんちに住んでるじゃない! 東京から離れたことなんて、一度も………」

慌てふためく琴子の様子を医師は真剣な眼差しで見つめると、「わかりました。宇部の大学病院でよろしいですか? 」
とカルテに書き込む。

「おねがいします」

「では紹介状の発行に少し時間がかかりますので、あちらで事務手続きを……」

「お父さん! お父さん! 待ってよ。ねぇ…………」



重雄たちが病室から出ていってしまった後、琴子は狐につままれたような気分でぼんやりとベッドに腰かけていた。


もしかしたら、クリスマスのどっきり?
みんなで驚かそうとか?

いや、でも、お父さんがあんなしれっと嘘をつけるはずがない。だいたいサプライズしようとしたってすぐに顔にでちゃうんだから!



状況が全く把握できない。
混乱する頭を抱えて、ベッドから窓の外を窺いみる。
窓の外の風景は、ビルが林立する東京のコンクリート色の街並み。見慣れた景色だった。
寒そうな灰色の空は、季節も決して変わっていないことを知らしめていた。
昨夜泊まった筈のホテルの外壁が向かいの低層ビルの狭間から垣間見えて、そういえば近くに病院があったっけ、と思いだした。
ここは決して知らない場所ではないことに、少しほっとする。

けれどもーー。


あたしがおかしいの?

それともお父さんがおかしいの?

ねえ、何が起こったの?

どうして、入江くんは来てくれないの? 妻の緊急事態なのに………


指輪も失くし、直樹の付けた痕すら消えた身体に、昨夜の出来事に自信がなくなってくる。

……もしかして、本当に夢? あたしの妄想? あんなエロい/////……いや、そんな………

何が何だかわからなくて琴子は所在無けにうろうろする。

ーーああ、そう指輪。
もしかしてコートのポケットとかに入ってないかしら。

琴子はベッドの隣にあった荷物入れの棚を開けた。

……………え?

ハンガーに掛かっていたのは、自分のものではないダッフルコート。

そして畳んで置いてあるのは、オレンジのセーターに、ジーンズに………

ーーあたしの服じゃない!

琴子は茫然とした。
その服を見たのはつい最近……そう、自分にそっくりだったドッペル琴子が身に付けていたものだーー

あたしの服は?

あたしの鞄は?

琴子は狭いロッカーの中を一生懸命探した。
しかし、それ以上のものはない。

置いてあった鞄は、ドッペル琴子が肩から提げていたネイビーブルーのショルダーバッグだった。
琴子が持っていたのは、今年紀子から誕生日に贈られたブランドのミニボストン。分不相応だからと断ったら長く使えるから大事にしてねと押しきられたものだ。その中に財布も、鍵も入っている。入江琴子とかかれた保険証や、病院のIDカード……

何処……? 見つからない。

どうして、あの私のそっくりさんが身に付けていたものがあって、自分のものがないのだろうーー

そして、琴子は瞬間的に、まさか、と思ってロッカーの内側に付いていた鏡を覗いた。

自分と同じ顔。

でもーー

あたしだけど、あたしじゃない!

琴子は僅かな違和感に気が付いて愕然とした。
イヤな汗が背中を伝った。


たとえば前髪の長さ。
クリスマスの前に、少しカットして眉毛の辺りで切り揃えてあった筈なのに、目にかかるくらい長くて。
髪全体の長さも五センチくらい長い気がする。
そして、肌の色つやも随分悪いような。
そんなところに吹き出物なんてなかった筈なのに、治りかけたニキビの痕が額にあった。

どうして?

なんで?

鏡の中の自分の微妙な違いに、なんだか言い知れぬ不安が押し寄せて来た。
心臓がどきどきする。

これはーー誰?


「この世界の琴子さんだよ」

突然後ろから男性の声がして、ビクッとして振り返る。
この部屋には誰も居なかった筈ーー。

なのに、彼はすらりと長い足を組んで、病室の窓に背をもたれさせて琴子を見ていた。

「ノ、ノ、ノ…………ノンちゃん!?」

あまりに意外な人物の登場に思わず目をこする。
確かについ最近までよく会っていた彼だけれども。
そう、彼はつい最近斗南で手術を受け、元気になって退院したばかりのノンちゃんーーノブヒロだった。

「……どうして、こんなところに! 一体いつの間に………」

どんぐり眼をさらに大きく開かせて、琴子は美しく成長した昔馴染みの青年を見つめた。

「この世界じゃ、僕は幽霊みたいなものなんだ。だから部屋の出入りは自由」

すうーっと手を琴子の方に伸ばすと、実体のないホノグラムのように琴子の身体を透過した。

「ひゃああーー!!」

驚いた琴子が数歩後ずさった。

「な、な、何~~~!? 何のマジック?」

「マジックじゃないよ。だから幽霊ーーというか、生き霊ってヤツ? この世界じゃ、直樹さん医者にならなかったし、琴子さんも看護婦になってないから、僕は手術を受けることなくって。でお陰で突然急変して三日前くらいに発作が起きて心停止。辛うじて蘇生されたものの、僕の本体はまだ意識不明で眠ったままなんだ」

「えええ~~っ うそっ なんでっ? って、『この世界』ってどういうこと? 」

何だかよくわからないが、琴子はノブヒロの身体をつんつんと指でつついて、そして確かにすっと通り抜け実体がないことに目を白黒させている。

「琴子さんがいた世界と少し次元のずれた世界。いわゆるパラレルワールドってヤツ? 実をいうとね、この宇宙には無数のパラレルワールドーー多次元宇宙が存在するんだ」

「は……い??」

「人間って、よく選択に迷うじゃん? あの時Aの道を選んでいたら、とかBの道を選んでいたらって。実はその度にもうひとつの道を選んでいた場合の別の世界が生まれるんだ。ひとつの人生で人は何度も迷うだろうし、人間は60億以上いるしで、それはもう無数の平行世界が毎日毎日どんどん生まれてるってわけ」

「……ごめん、云ってる意味がよくわからない……」

「つまり、とある選択の結果、この世界は、琴子さんと直樹さんが結婚してない世界になってしまったんだ。直樹さんは、あの沙穂子さんってお嬢さんと政略結婚してーー」

「えええええっっ~~~~うそっ なんでっ どうして!」

琴子は真っ青になってノブヒロに掴みかかろうとしたが、あっさりとすり抜けて、がくっとなる。

「それって………入江くんが……あたしじゃなくて沙穂子さんを選んだって……そういう選択をした世界ってこと?」

「うーん。一概にはそういえないんだけど。色々な要因が絡み合って、そういう結果になっちゃったというか」

「いやーっ 絶対いやっ そんなの絶対いやっ なんでそんな世界に来ちゃったの? 元に戻して! 早くあたしが元にいた世界に帰してよ」

「ほんとに、なんでってこっちが聞きたいよ。まあたまたま違う次元の二人が同じ場所に存在したことで奇妙な歪みが生じたんだろうね。で、その衝撃で二人の意識だけが入れ替わってしまったみたいだね」

「……意識……だけ?」

「身体はこの世界の琴子さんのものだから」

「ああーー」

だから、自分と違う妙な感覚があったのかーー

「元に戻れるの?」

泣きそうな顔でノブヒロを見つめる琴子。

「もちろん。明日の同じ時間の同じ場所で二人がもう一度すれ違えば元に戻れるハズ」

「よ、よかったぁ……」

実のところ彼が話した全てのことを理解出来た訳ではないが、とにかく元に戻れるならなんでもいいのだ。

「とにかく、戻ってもらわないと困るんだけどね。今、この緊急事態の為に、たまたま僕が琴子さんと顔見知りってだけで臨時の次元パトロールを仰せつかっているんだ。で、もし、今回のことを上手く処理してきちんと二人を元に戻したら、僕もちゃんと生き返らせてもらえるって手筈」

「じゃあ、完全に私たちの利害は一致してるわけね! ノンちゃんも生き返れるのね! よかったあ~~一緒に頑張りましょっ」

ノブヒロの手をがしっと両手で握り締めようとして、空を切り、結局自分で両手を組んでお願いポーズをとる。


「でも、それが案外難しいかも」

「え?」

「まず、向こうの琴子がこっちに戻りたいと思うかどうか………」

「え…………」

「だって、あっちにしてみれば、大好きな直樹さんと結婚出来てる世界に行っちゃった訳で、あまりな違いに愕然としてるだろうし」

「あ、あたしだって愕然としてるわよっ」

「うん、でも間違いなく向こうの世界の琴子さんの方が幸せじゃん?」

「それは………」

琴子はひどく寂しそうで儚げな表情をしていたもう一人の琴子を思い出す。

「それに、こっちの琴子さんは、今東京に住んでないから。あのお父さんの様子だとすぐにでも東京離れそう」

「そういえば……下関って。ねぇ、下関ってどーゆーこと?」

「うーん、ちょっと待ってね。とにかく、こっちの琴子さんはかなりそっちの琴子さんと違う人生送ってるからなー。何処から説明すればいいんだろ?」

ノブヒロはノートのようなものを取りだすと、パラパラとページを繰る。

「一応、ある程度自分の人生わかってないと1日過ごせないよね? じゃあ、ざくっと説明するよ。えーとねぇ…………」



とりあえず、大きな違いは、直樹さんがあなたをあの雨の日に迎えに行かなかった、ってことだけど。

ただ、こっちの琴子さんは金之助って人とデートしたり結婚を考えたりしてなかったからなー。そこからして違ったために、直樹さんが焦らなかった、ってのが大きいかな。

まあそもそも琴子さんのお母さんが、意外と察しが早くて、直樹さんの身代わりみたいに金之助さんと付き合うの反対したし、琴子さんが苦しまないようすぐに東京を離れる決断をしたしーー

「ちょ、ちょっと待って……! お母さんって」

ノブヒロの言葉に引っかかりを感じたところに、がちゃりと扉が開いた。

「琴子。もう帰っていいと言われたから、帰るぞ」

重雄が少し怒ったような顔つきで素っ気なく言った。

「……たく。理美ちゃんやじんこちゃんに会う約束をしたからと、東京で降りて別行動にしたのに。まさか直樹くんに会いに行ってたとは……」

「え? そうなの? あたし」

「とにかく予定通り秋田に行くぞ。悦子も待ってるし。どうにもおばあちゃんは年を越すのが難しそうだしな。おまえもきちんと顔を見せに行かないとな」

「……お母さんが……待ってる?」

ぽかん、と口を開けて、琴子は父の語る信じられない言葉を聞いていた。

「………お父さん……お母さん、生きてるの?」








※※※※※※※※※※※※



つまり、そーゆー『奇蹟』なんですがf(^^; 大丈夫ですか? こんな話。


そして、こんなところで年越しです(^_^;
案の定、旅先ではさくさく進められませんでした~~ごめんなさーいm(._.)m

では、皆さまよいお年をお迎え下さいませ♪






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§ Re.pqnndq様

コメントありがとうございます♪

悦子さんは生きているけど、直樹さんとは結婚できない……ちょっとした究極の選択ですよね。このパラレルの方の話で掘り下げると、とことんどろどろのシリアス長編ストーリィになってしまいそうなので、さくっと進めていくつもりです。
クリスマスの一夜の物語のような。
ご期待に添えるかどうかわかりませんが、頑張ります(^_^)

§ Re.マロン様

コメントありがとうございます♪

案内人を誰にしようかと考えて、初めは菊之助じーちゃんだったという(笑)亡き人しか出来ない役なので。ノンちゃんにしたくても死なしてしまうのは忍びなく、しばらく悩んでたのですが……(..)で、結局生き霊f(^^;

そうなんです。究極の選択。どっちがいいのか。ほんと、難しいですよね。

ふふ、こんなとこで年越ししちゃってすみせん。クリスマスの話なのでさくっと終わらせたくて、期限を1日にしてしまいましたf(^^;その1日で、何が起き、出来るのか……
しばしお待ちくださいませ(^_^)

§ Re.りん様

コメントありがとうございます♪

そして、はじめまして(^_^)まあ、初めから読んで下さったのですね。嬉しいです!
ふふ、そうですねー。うちはあまり若い頃の何考えてるのかわからない入江くんを書かないものでf(^^;わからなさすぎて。つい、大人になって琴子がどんなに大切か実感していく入江くんばかり書いてる気がします。
ふふ、改心入江。頑張って書いていきたいと(^_^)

まあ、初コメがうちなんて光栄です。全然大丈夫なので、これからも是非コメントいただけたら嬉しいです!

§ Re.ちょこましゅまろ様

コメントありがとうございます♪

気になるところで終わってすみませーん。
はは、ホラーですねぇ。生き霊ノンちゃんf(^^;そう、二人が結婚せず医療者になっていないと、色んな所に余波が及ぶのでは、という妄想です。理美も結婚していたかわからないし、金之助もクリスと出会っていたのかな?とか。

ふふ、色々考えていただいて嬉しいです。悦子さん生きてるのって、嬉しいし会いたいけど複雑ですよね。自分は一緒に過ごした想い出はないわけだし。
……なんてことを考えつつ、話を妄想してます。

世話しない時期で、いつ更新できるかわかりませんが、しばしお待ち下さいね♪

§ Re.紀子ママ様

コメントありがとうございます♪

はい、明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします(^_^)

そう。そしてこちらの世界はなかなか
大変な事態なのです。ひとつ歯車がずれるとみんなの運命が変わっていってしまう。そんな世界です。お陰でノンちゃんも生き霊になって狂言回しの役割に(すまぬ^_^;)
大変な世界だけど、悦子さんが生きている。
悦子さんが生きているからこそ、違う運命になってしまったのかもしれないーーでも、どちらがいいのか、究極の選択ですよね。
にしても、琴子ちゃん、この事態にびっくりぽんです。まず現状把握に時間がかかりそうです(^_^;)

はは、ついクリスマスの話として始めてしまってものの、1日という短い期間で収拾つくのか、ちょっと不安になってますが、頑張ります(^_^)

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