19970404~君にオクルモノ



窓の外は満開の桜がもうそろそろ風に乗って、散り時を計っているのではないかと思われるうららかな午後。
あたしは目の前のパソコンの数字と眠気との戦いに疲れ、コーヒーを入れようと席を離れる。

ちらりと周囲を見る。事務局長は今は銀行に行ってお留守。だから比較的部屋の中はのんびりムード。経理の田沢さんも眠そうだけど、横に湯呑み置いて緑茶すすってるからわざわざコーヒーなんて入れてあげなくていいわよね。

立ち上がった瞬間に、部屋の扉がそうっと開いて、ナースが一人こそこそと入ってくる。
この娘はたしか中央採血室の宮谷さんよね。

「今日、事務局長いないんだよね」
狙って来てるクセにわざとらしい。金曜の午後はたいてい銀行に行っているというのはみんなよく知っているだろうに。

「森村さん、お願いっ 入江先生の住所とか電話番号教えて!」
あたしの前に来てこそっと小声で猫なで声。手にはあたしが以前好きだと公言していたアイドルバンドのプレミアチケット。

ここ数日前からナースを筆頭にした院内の女子職員からのこうした闇の接触がやたら多い。
この時期は毎年のことだし、あたしが絶対こういう裏取引をしないことを知っているくせに、今年はしつこいというか、諦めが悪いというか。

「そんな個人情報教えられるとでも?」

じろりとと蔑むように、そして冷たく。人からクールビューティーと評されるこの表情でたいていの人はすごすご引き下がる。

「えーっだって、森村さんは知ってるんやろ? ず~る~いわぁ~!」

ずるいって、あたしは仕事じゃっ

「ええ、知ってますとも。あなたの住所も電話番号も、出身校もね! あなたの履歴書も管理してますから。もし誰かからあなたの住所とか聞かれて、チケット一枚で答えていいわけ?」

「それは困るわ~」

「自分がされて嫌なことは他人にするなって習わなかった?」

毅然と言い放つあたしに、
「森村さんのいけず」と、舌を出して宮谷さんは出ていった。

いけずってなんだよっ
てめえの給料改竄して減らしてやろうか? あんたの給料明細作ってんのあたしなんだよっ

心の中で毒付いて、あたしは不愉快な気分を打ち消すべく給湯室にコーヒーを入れに行く。


--まあ、今年は仕方ないかもね。

ここは、神戸医大附属病院の事務局。
あたしは、ナースでも、検査技師でも、レセプトチェックをする窓口業務でもない--ただの地味な事務職員。
まあ、普通の会社の事務職と大して変わらない仕事よ。職員の給料と、福利厚生、保険関係を扱っている。
経理全般は定年まであと僅かな田沢さんと、もう一人元銀行員のパートのおばちゃんがいるだけ。
何にせよ、この部屋は病院の中で最も病院らしくない空間だ。職員と医療機器や薬品メーカーの営業しか出入りしない部屋。

そのあたしからあれこれ個人情報を入手しようと女子職員が躍起になっているのは、今年イチオシの目玉物件が研修医としてやってきたからだ。

入江直樹。
うちと提携している、東京の斗南大学からの入局。

皆が色めきたつのも仕方ない。なんといっても滅多にお目にかかれないレペルの美形なのだ。背も高いし、教授たちの触れ込みによると頭脳明晰で斗南を首席で卒業したらしい。

あたしも最初に履歴書見た時は目を疑ったわね。小さな履歴書用の写真見ても綺麗な顔立ちがはっきりと見てとれたのだから。
そして一週間前。この事務局へ今年の新人たちが入局前の挨拶に訪れ、あたしは院内案内と、食堂やタイムカードの説明や、提出してもらう書類の説明などを行った。
十人程の新人たちの中で、彼はもう目映いばかりに輝いていた。
背が高くて目立つという訳ではない。
もう何処にいたって燦然として、放たれるオーラが全然違うって感じ。
彼らを引き連れて院内案内をしている時、すれ違う人たちが振り返る、振り返る! 視線の痛いことったら。
間違いなくその視線は一点に集中していたのだけれど。

それからすぐね。用事がなければ誰も訪れない事務局に、やったらナースたちが来るようになったのは。
まあ、名前や何処の医局に入局するかなんてことは、4月1日(いっぴ)になれば分かることだからすんなり教えてあげたわよ。
でも流石にそれ以上の情報は教えてあげない。当たり前でしょう?
だいたいここの職員はみんな守秘義務ってものを持ってる。なのに他人の個人情報を知りたがるってどういうことよ。患者さんの情報がきちんと守られているのか心配になるわね。

「いけず」と言って去っていったあの娘は可愛い方だ。入局四日目にして今年の目玉物件を虎視眈々と狙うナースその他諸々の女子職員は、結構なりふり構ってない。
どんなに袖の下掴まされようとしても拒否してるあたしに、露骨に、「あなた自分が狙おう思ってんやないの?」とか、「もう、自分、電話番号登録してるん違う?」とか………あーうざっ。
残念ながら興味ありませんから。
そりぁ、あたしはアラサーの、独身の、さらに彼氏いない歴29年の女よ。どっちかっていうと美人の部類のあたしに、男っ気がないのにみんな驚くけど、しょーがないじゃない? だって、あたし、生身の男って、どうも駄目なんだもん! アイドルと、アニメとマンガの中の二次元の男にしか興味ないのよ、なんか文句あるかしら?
そうよ、どうせオタクよ、オタク。無論、職場じゃそんな素振り微塵もみせませんけどね。だいたいデートなんてしてる暇なんてないのよ。土日は、即売会やら、コスプレイベントで忙しいし、夜は夏〇ミまでに、何冊か入稿したいから毎日原稿と立ち向かっているのよ!

--どうでもいいことね、そんなこと。まあ、そんなあたしでも綺麗な男は好きよ。見ているだけで目の保養になるし。ただ、付き合うとかは論外よね。

もう、本当はあたしの処にくる女たちに言いたくて言いたくてたまらないのよ。

どんなにあんたたちが狙ったってね、彼は既婚者ですからっ!
嫁、居ますから!


そう。彼は結婚している。
履歴書には流石に書いてないけれど、家族構成を記入してもらう身上調査書には、しっかり既婚に丸が打たれ、妻の名前も生年月日も記入されている。
そういう情報は必要ですからね。被扶養者がいるかいないか、配偶者控除があるかどうか、税金にも関わってきますから。

彼自身は一人暮らしとなっていたから、どうやら単身赴任なのはその身上書一枚で十分わかる。妻は同い年で、職業欄は学生となっていた。たぶん卒業するまでは別居を選択したのだろう。この歳で学生って…おそらく奥さんも医大生ね、きっと。
でも心配だろうね。あんなイケメンの旦那が単身赴任なんて。
いや、そうでもないのかな。きっと奥さんも美人だろうし、医師を目指す理知的でハイスペックな人で、個人主義的なドライな夫婦なのかもしれない。

まあ、そんな身上書一枚であれこれ妄想しているけれど、そんなことは人に言える筈もない。とりあえずは彼自身に早く自分が既婚者だと広めて欲しい。でないと、あたしの周りが煩くて仕方ないのだけれど。


あたしはコーヒーを片手に自分の席に戻る。

尤ももし彼が妻がいることを公言したとしても、単身赴任だと知られたら、舌舐めずりしているナースたちは諦めないかもね。彼自身も、遠距離で羽伸ばしてこっちで愛人の一人や二人作ったりして。いやー、揉めるかも。泥々の昼メロ愛憎劇始まっちゃうかも? きっと医者になろうなんて女、性格きつくてプライド高そうよね。(←偏見) うわあ、修羅場! なんか、面白いことになりそう……

ひとりでにやにや妄想している時だった。

コンコン。

誰? 礼儀正しくノックなんてする奴は?


「失礼します」

「……………!」

びっくりした!
妄想の当人が、相変わらずの美しい容貌を携えてこの部屋にやってきたのだ。

「小児外科の研修医、入江です。保険証が届いたと伺ってきたのですが」

「あ、はい」

そうだった。
医者だって、雇用されている以上社会保険に入ってもらわないとね。
今日午前中に届いて、各所に連絡しといたんだった。
しかしこの彼が一番乗りとは。保険証すぐに欲しかったのかな?

「はい、どうぞ」

あたしは封筒に入ったものを渡す。
「中、名前や生年月日、違ってないか、確認してくださいね」

「はい」
彼はあたしの言う通り、封筒から二枚のカードを出す。

本人のものと、被扶養者のもの。

「……間違いないですね」

あら? と、思った。
そんなに何度も会った訳ではないけれど、彼の印象は冷たくて無表情、といったものだった。小児科でその無愛想なの、問題でしょ? と突っ込みたくなるような。
それが--一枚の保険証を見つめている彼は--何だかとても嬉しそうで、優しそうな表情をしていたのだ。

そ、そんなに欲しかったんですか、保険証。自分か奥さん、ご病気ですか?

あたしが怪訝そうな顔をしていたのに気付いたのか、彼は妻の保険証を見つめながらポツリと話してくれた。

「……やっと、妻を扶養することが出来るんだな、と思って」

ああ。
つまり、今まで二人とも学生で、結婚してても親に扶養されてたってことね。
そしてそのことに関して、忸怩たる思いを抱いていたに違いない。

ふうん………

男のささやかな自尊心って奴か。
研修医の給料なんて雀の涙程度。養うにはきつい気もするけれど、それでも一枚の保険証は、自分が妻を扶養するのだと--守るのだという証みたいなもの--ってところだろうか?

そして、そんな風に考えるってことは、ずっと妻を自分がきちんと守りたいって思い続けてたってことだよね。

「奥様……大切に思ってるんですね」
思いもよらず、そんな言葉がつい口から溢れ落ちてしまった。

彼は一瞬訝しげな顔をしたけれど、すぐにまた柔らかい笑みを浮かべ、「ええ」と一言応えた。

「奥様、学生さんなんですね」
おっと、身上書のネタ話しちゃったよ。
しかし彼はとくに気にする風でもなく、
「ええ。看護学生です。まあ、ちゃんと合格すれば来年は彼女も社会人ですから、扶養するのはたった一年ですけどね」と、応えた。

看護学生。医者じゃないんだ。
にしては、医者より時間かかって卒業?

あたしの疑問に応えるように、彼はうっすらと微笑みながら話してくれた。
「元々は文学部だったんですよ。オレ追っかけて看護婦になるって転科して」
へえ、情熱的。

そしてさらに一言。
「郵便局、すぐ近くにありましたよね?」
彼が何がしたいのかすぐに理解したあたしは指差しながら教える。

「ええ、病院の裏門の向かいにありますよ」

「今から行ってきていいと思います?」
彼がいたずらっ子のようにニヤっと笑う。
ふうん、こんな表情もするんだ。

きっと、奥さんの前じゃもっと色んな表情見せるんだろうな………そんな、気がした。
想像してたドライな夫婦関係ってイメージが、あっさりと消え去っていた。

「終業時間いつになるかわかりませんもんね。いいんじゃないですか? ちゃちゃっと行ってきちゃえば」

「じゃあ、そうします。ありがとうございました」

そう言って彼はさっさと背を向けた。
その背中にあたしは一応もう一言。

「保険証送るなら、簡易書留にしてくださいね」

「分かりました。書留の速達で」

彼は軽くクスッと笑い、そして出ていった。



残念だったね、彼を狙う女たち。
彼はたぶん、妻を愛しているよ。そんな気がする。そして、そんなあたしの勘は割りと当たるのだ。


--そして。
その勘が間違いなく当たっていたことが分かったのは、それから僅か30分後のこと。


あたしは医局に持っていく書類を抱えて、病棟の方へ向かっていた。
すると、廊下の片隅にある公衆電話の前に立つ彼--入江直樹を見つけたのだ。
立ち聞きするつもりはなかったのだけれど、ついそのまま足を止めてしまった。


「……琴子? オレだけど………って、うるさいっ 落ち着け! 何興奮してんだよ? ったく、まだ離れて十日足らずだろうが。…………こらっ泣くなっ 泣くとおまえ、何言ってるかわかんねえし。………落ち着いた? うん、そう。オレは大丈夫だよ。部屋も片付いた。……ああ、まあなんとかやってるよ。それと、今日郵便物送ったから。多分明日には届くと思う。
……って、また興奮する! たいしたもんじゃねぇよ。期待しすぎんな。ハンコかサインがいるからな。……じゃあ切るよ。まだ仕事中だから。ああ、わかってる。
うん。うん。……ああ、知ってるよ…………オレもだよ……琴子……」




さっきあたしと話していた時とは比べ物にならないくらいな豊かな表情。
怒ったり笑ったり呆れたり……そして、最後に名前を口にした時の、なんとも言えない愛し気な……そして切るときの切ない表情(かお)………。

いったいどんな奥さんなんだろう?
クールな鉄面皮と思われていた彼にこんな顔をさせるなんて。
少なくともハイスペックの理知的な妻って感じじゃないわね。
あたしは少しドキドキして、受話器を置いた後も何だか妻の余韻を追い求めているような彼の背中を見つめていた。
やがて彼は何事もなかったように足早に立ち去っていった。


彼の奥さん--。
意外に早い時期に彼女はこの病院を訪れることになり、ちょっとした一騒動が起きるのだけれど、それはまた別の話、ということで--。







※※※※※※※※※※※※※※※

変なことが気になるのです。二人が学生の間、扶養者は誰なのか、とか。学費はどっちが払ってるのかとか。
とりあえず、社会人になってやっと自分が扶養者になって奥さんを養えるのって、うれしいんじゃないかと。そう思って出来たお話でした。

ただ、この頃って、保険証はカードではなくて紙切れ一枚だった気がします。本人の保険証に被扶養者の名前が載っているだけで、離れて暮らしているとコピーかなんかで被扶養者は対応していたような。だから、カードは捏造。カードの方がどうしても絵図がよいなと(^^;
それと病院の健康保険組合がどうなっているのかも分かりません。国立医大なら共済組合だろうけれど、私立医大はどうなんだろう? なんか違ってたらゴメンなさいm(__)m

因みに今回の語り手、森村かをる子さんと申します。オタッキーな腐女子(この頃そんな言葉はないとは思いますが)という実は細かい裏設定が色々あるのです。さて、彼女が今後出る機会はあるのでしょうか? 神戸ネタは好きなんですが、皆様色々書かれてますもんね。

後、第三者目線って書きやすいですよ、というアドバイスしていただいたM様。そのお言葉で生まれたキャラです(^^)
まだブログ始めたこと伝えてませんが(^^; いつか読んで頂けたらな、と思ってます。


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にゃんこ様

コメントありがとうございました!
かをる子さん、気に入っていただけてうれしいです。私も関西弁話せないので、かをる子さんは東海地域出身の設定です。基本、地元は方言だけど、外に出ると標準語なのですよ(^^;神戸の話は薄ぼんやりと話はあるのですが、他にも書きたいものが色々あって、何から手をつけようか思案中です……(^^)

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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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