彼女は美しい夢を見る。

彼女は美しい夢を見る。(終)

 ←彼女は美しい夢を見る。  (23) →彼女は美しい夢を見る。あとがき






「はい。確かに受理しました。おめでとうございます」

二人揃って区役所に婚姻届を出した後。

「へへっ奥さんって言われちゃった」

ふわふわと夢見心地で歩く琴子の腕を掴まえて、「危ないだろうが。ちゃんと前見て歩け」と自分に引き寄せる。

「本当に…あたし入江琴子なんだね」

うっとりと直樹の顔を見上げる琴子。

「ああ、早いとこ名義変更しないとな。通帳とか、保険証にパスポートとか。あと大学の学生課にも」

「うんもうっそーゆー事務的なことじゃなくてぇ」

「大事なことだ」

「わかってるよー」

他愛ない話をしながら二人手を繋いでクリスマスに彩られた街を歩く。

「真っ直ぐ帰るか?  それとも何処かに寄って行くか?」

「えーっ?  もしかしてデートしてくれるってこと?」

「おまえの身体が大丈夫ならな」

一応退院したばかりだから、無理をさせるわけにはいかないが。少しの寄り道なら問題ないだろう。

「大丈夫!  全然っ大丈夫!」

「何処がいい?」

暫く空を見つめて考える琴子。
そして出した答は、
「井の頭公園!」

「ボートに乗るつもり?」

「うん!」

「……寒いぞ?」

「えー寒くないよ~?  入江くんに完全防備させられたから」

ニット帽を深く被りマフラーで首をぐるぐる巻きにされ、分厚いダッフルコートを着て、という完全なる冬装備でダルマのように着ぶくれている。

「この真冬に池に落ちたら『試練』じゃすまねぇぞ」

「……落ちるの前提?」

「兎に角寒いから外は却下!  風邪引かれたら困る」

「馬鹿は風邪引かないって!」

そんなやり取りをしているうちに二人は賑やかな街並みを目的もなくただ通り過ぎていく。
琴子はさっきから眉間に皺を寄せてあれこれ何処に行きたいか考えていたが、どうにも具体的なプランが思い付かない。もし入江くんとデート出来たなら、あそこへ行ってここへ行って、と考えていた筈なのにいざとなると何も出てこないのだ。
せっかくクリスマスなのにただ映画をみて時間を過ごすのは勿体ない。

「あ、そうだ、買い物! 入江くんのクリスマスプレゼント買いに行こう!」

「いい。要らないし。……おまえまず金持ってるの……?」

「あ、持ってない……」

思い出してしゅんとする。
見事に手ぶらである。
そういえば結婚前までは父からお小遣いをもらっていたがこれからどうするのだろう?
もらうわけにはいかないからバイトしなくちゃ……

「こ、これからバイトして、お金貯めて、何かプレゼントするね?」

「だから、要らないって。とりあえずプライスレスのもの、夜にもらうから」

「へ?」

きょとんとする琴子ににやりと笑う直樹。

「さあ、もう昼だし、飯でも食うか?」

というわけで、目についたカフェに入った。




「ああ…なんかこーゆーご飯、久しぶり」

パスタを口いっぱいに頬張りながら、幸せそうにフォークをくるくるとパスタに絡める。

「あんまりがっつくなよ。胃がビックリする」

「もう、大丈夫だよ―」

数週間点滴で栄養を保持していたのだ。目覚めたばかりの頃は流動食だったが、入院している間に普通食に戻ったし、紀子が差し入れてくれた食事も食べた。

「ふふっ入江くんのペペロンチーノもちょっとちょうだい!  あたしのボンゴレあげるから」

「結構辛いから止めとけ。刺激物はまだ早い」

そういう直樹の返答を聞く前にすでに琴子のフォークは直樹の皿に伸びている。

「ほんとー!   辛いっ!  でも美味しい!」

食べ終わった後、食後のデザートを頼むか頼まないかを散々迷った挙げ句、食べればいいじゃん、という直樹の声を振りきって頼むのをあきらめた。

「だって、今夜間違いなくおばさん……お義母さん手作りのクリスマスケーキが出てくるでしょ?
あたし入院して寝てばっかで太ったみたいだし。ほら、目が覚めてから、みんなやたら美味しいスイーツ差し入れてくれたじゃない?  あれがヤバかったんだよね―」

直樹からすれば何処がどう太ったのか、という気がするが、琴子には大きな問題らしい。

「前はケーキバイキングとか行って普通にドカ食いしてたじゃん」

「うーん、そぉだけどさ。一応奥さんになったからって、甘えて努力を怠ってはいけないと思うのよね。結婚して安心しきってぶくぶくに太ったなんて思われたくないもの」

殊勝な琴子の言葉に可愛いと思いつつも苦笑いを隠せない。

「…甘えて努力を怠ってはいけない………ねぇ?」

直樹のいつもの意地悪気な表情が琴子を覗き込む。

「まあ、そういう努力は学生のうちは勉学の方で頑張って欲しいもんだな。おまえ、結婚式からハネムーン、その後の事故でなんやかんや一ヶ月くらい大学行ってないだろう?  単位は大丈夫なのか?」

「……うっ…た、多分」

途端にしゅんと縮こまる琴子。だいたいその前の前期試験は散々だったのだ。それは全て直樹の婚約騒ぎのせい……と言い切れるほど、元々のレベルに自信はないのだが。

「……まあ、一ヶ月位ですんで良かったけどな」

ふっと目を伏せて呟く直樹の様子に、そういえば随分心配させてしまったのだと気付く。

「不思議だよね。なんだか凄い長い時間夢の世界にいたような気がするし……そうでもないような気もするし……あたし、どんな夢を見ていたのかしら?」

琴子の夢の記憶は覚醒とともに薄れていき、今ではうっすらとしか覚えていないようだった。
幸せだった想い、辛く苦しかった想い、例えようもない恐怖………断片が残像のように微かに残る程度で、パズルの欠片のような映像をかき集めても、具体的に言葉として表すことはできなかった。

そして、そのことに直樹はほっとしていた。
そんな夢、忘れてしまった方がいい。
段々と悪夢と化していった辛い夢は特にだ。

夢の世界の琴子から受けた電話で、その夢の内容を聴いていた直樹は、逆にしっかりと琴子の夢の記憶を覚えていた。

随分鮮明だったらしい夢の日々は、一つのループを繰り返す度に琴子の望みを叶えていったようだった。
願望を叶えようと思うことを夢見るというのなら、間違いなく琴子は夢の中で夢を叶えようとしていたのだろう。

直樹の機嫌を損ねない披露宴、誰にも邪魔されないハネムーン、理想的な甘い新婚生活。
乙女の夢を具現化したまさしく『夢』。
夢の中の自分は余りにも自分の感情にストレートで、この先も琴子が心密かに望んだとしても、そのような行動を取ることは出来ないと思う。そして、それが琴子の望む理想の直樹なのだろうかと、微かな不安を覚えたものだ。

「…あたし……夢で見ていた記憶がどんどん薄れて行くのだけれど、入江くんと電話で話したことは鮮明に覚えているの」

訥々と琴子が話す。

「入江くんが真っ直ぐにあたしに伝えてくれたこと、一生忘れないから」

「照れるからさっさと忘れてくれ」

「やだっ」

頬を膨らませ訴える。

「あんな風に入江くんが沢山話してくれることなんてもうないかもしれないし」

ーーまあ、確かに。しかし、少なくとも言葉で伝える努力をしなくては、と一応反省しているのだ。とにかく、琴子には「察しろ」ということは通用しないのだから。

「でも夢の中で電話で話した入江くんは、普段よりずっと沢山話してくれたし優しかったけれど、夢なのか現実なのか分からなくなるようなあやふやな感覚はなかったの。すとんと、本物の入江くんだって分かったよ」

くすっと柔らかく微笑む。

「……ちゃんと覚えてる。あたしのこと、はじめから好きだったって」

「……言ってねぇぞ、そんなこと」

「言ってたよ一!  近づく男にみんな嫉妬してたって。須藤さんや武人くんにも嫉妬してたって!」

――本当にこういうことだけは記憶力
がいい。

苦虫を噛み潰したような顔を見せる直樹に、琴子は顔を上げてふふふと笑う。結婚式の時に見せたちょっとしたどや顔だった。

「別に夢の中のおれのように、甘く優しい奴じゃなくてもいいんだろ?」

耳元で意地悪く囁く。

「えーと、たまには甘い人もいいかな?」

慌てて訂正する琴子が可愛い。

「そんなに夢の中のおれは甘かったのか?」

「……だから、もうあまり覚えてないって!」

ーー覚えてはいないのだ、本当に。
ただ断片的に妙に恥ずかしい映像が思い起こされるだけで。
入江くんが部屋に夜這いに来たりとか。
ラブホ行ったりとか。
なんか入江くんがすごくまっしぐらな……いや。そんなまさかね。

「何突然茹でダコみたいに真っ赤になってんだよ」

「な、なんでもないっ」

余計焦ってさらに赤くなっている。

「あ、あ、あたし寝ている間、変な寝言とか言ってなかった……?」

「変な寝言って?」

「え?  え?  えーと……変な声とか……」

「変な声ってどんな声?」

「えーと……もう、入江くんの意地悪!」

突然真っ赤になった琴子の様子に、彼女が何を心配しているのか察した直樹だが、少しピクリとこめかみが震えた。

夢の話を琴子から聴いたときには、無論そんな具体的に夜の話などは語ってはいないが。
かなりリアルな日常を過ごしていたようなのでそういうこともあったのだろう。
何せベタ甘の入江直樹だったらしいから。
そして琴子が心配しているような寝言やら変な声やらはなかったと思う。
幸せそうな表情や、辛い表情は見せていたけれど、それ以上に夢の世界のことが実体に現れることはなかった。

繋がっているようで、隔絶しているような。

そもそも、琴子がいたのは夢の世界だったのか?
琴子の夢の内容を聞いた時から考えていた。夢が深層心理を表すというのなら、半分位は当たっているのかもしれない。琴子の願望、琴子の畏れ、琴子の不安……それらが作り出した意識だけの世界なのか。
あるいはどこか次元の違う平行世界にいたのかもしれない……昔読んだSF小説のようなことを思う。

だか真相を探ろうとすることに対して意味はないと思ってる。非科学的非現実的なことに真しやかな解釈をつけることは容易だが、それが真実だと立証することは不可能なのだ。

「………まあ、忘れさせてやるよ。バラレル世界のおれのことは」

「へ?」

「覚悟してろよ」

「??????」


超絶イケメンに耳元で何やら囁かれて、顔を真っ赤にして俯いている女性……実はさっきからかなり視線を集めていたのだが、とりあえず二人は気づいていない。


食後のコーヒーが出されて、一口飲んだ直樹は、ふと思い出したように「ああ、欲しいものあった」と、呟いた。

「何?」

「おまえの淹れたコーヒー」

「えっ………」

少し驚いて、でも嬉しそうに「うん」と頷く琴子。



コーヒーを飲みながら他愛もない会話を続けていた。

「……入江くんも冬休み明けたら大学戻れるよね?」

「多分ね」

「入江くんこそ、夏からずっと休学してて大丈夫?  やっぱり三年生もう一回やり直し?」

「……誰に言ってるんだ?」

ギロッと睨む。

「えー、でも絶対出席日数足りないし、前期試験も受けてないし」

「前期試験分は、後期試験でまとめて受ける。出席の足らない分はレポート提出で単位を貰えるよう交渉してある」

「……さ、さすが……」

天才は抜かりない。医学部に転科したばかりでまともに授業を受けてはいないのに、レポート提出だけで単位が取れるとはどれだけすでに教授たちの気に入られているのか。

「じゃあ、一緒に四年生になれるね」

「おまえがちゃんと進級出来ればな」

うーっとうなりなから剥れる琴子の鼻を摘まむ。
直樹は笑いながら、
「少しは勉強みてやるよ」と、珍しいことを云う。

「……ううん、大丈夫。入江くん、自分の勉強だけで手一杯なのに」

「気にすんな。文学部の試験なんて片手間で教えられる」

「……ほんと?」

上目遣いで直樹を見つめる。

「ああ」

「嬉しい。頑張るね、あたし」

「ああ」

優しい……入江くんが優しい……ま、まさか夢の続きじゃ……

琴子は密かに自分の掌をつねってみる。

「イテッ」

「夢じゃねーよ」

ぺちんと額を弾かれて、「だって……」と舌をぺろっと出す。

「馬鹿みたいに甘くはなれないが、協力出来ることはしてやるってことだよ。………夫婦なんだし」

少し照れくさ気に話す直樹の言葉に、くすぐったいような嬉しさが沸き起こる。

「……そろそろ行くか?」

伝票を持って立ち上がる。
このカフェで随分ゆっくり時間を過ごしてしまった。

「うーん、やっぱり外は寒いね」

カフェから一歩踏み出した途端に冷たい北風が顔面を突いた。一段と空は灰色の雲に覆われて、今にも白いものがちらつくのではないかと思われるような寒気が肌にまとわりつく。

「おまえ、四年生になったらどうすんの?」

二人並んで歩き出しながら、直樹が問いかける。

「え?」

「就活。もう三年から準備してる奴もいるだろ」

「ああ……うん」

琴子は一瞬困ったような顔をする。

理美やじんこには結婚したんだからもう専業主婦でいいじゃないと言われた。二人は必死で就活準備をしている。
直樹の為に1日中尽くしていられるのならそれも悪くない、という気持ちもあるし、折角大学まで行かしてもらって社会に出ないのも申し訳ないという思いもある。何よりも大学は何をやりたいが探すために行くのよと、かつて直樹に大見得切ったくせに、自分は何も見つけられていないのが情けなくて仕方ない。
――いや、本当は見つけているのだけれど。
余りにも自信がなくて、言葉にするのもおこがましいと思うのだ。

「おまえ、夢での出来事をおれに話した時に、云ってたけど……」

「何を?」

「将来の『夢』について」

「え……?」

「夢の中じゃおれが言い出したみたいだけど」

「な、何を?」

「現実のおれは、おまえから言い出すのを待ってるから」

「え? え…?」

何となく思い至るのか、戸惑ったような顔をしている琴子のニット帽を下にぐっと下げ、半分見えなくなった顔からちょこんとつきだした鼻を摘まむ。

「ふがーっやめてー」

叫ぶ琴子の唇をふわっと掠めとるように塞ぐ。
ニット帽で目が隠れた状態で、一瞬何が何だかわからなかった琴子だが、分かった瞬間に顔が真っ赤になる。

「えーちょっと、ここ街中っ」

慌ててニット帽を取ると、二人を遠巻きにじろじろと見ていく通行人たちが……。

「もうっ! こんなとこでー!」

剥れながらも直樹の腕に掴まる。
そして――剥れながらもやっぱり嬉しいとか思ってしまう。有り得ないほど甘いのは今だけかもしれないけれど。

そして二人は結局目的もないまま歩き出す。

「で、どこに行きたいか決まった?」

「うーん、決まった……かな?」

「何処?」

「あのね、『おうち』」

「は?」

「おうちに帰りたいかな、やっぱり。入江くんに早くコーヒー淹れてあげたいし。ずっと帰ってなかったし……あたしたちの部屋なのに全然二人きりで過ごしてないし」

顔を赤くして一生懸命伝えようとする琴子が余りに可愛いと思う。

「了解、奥さん」

街はクリスマスの装いに溢れているけれど、イルミネーションの耀き始める時間まで、病み上がりの身であちこち動き回るのはやはり無理というものだ。

「どうせ、これからも毎年クリスマスは来るのだし」

この先もずっと……二人で共に過ごすクリスマスがある筈だから。

「……え?」

「いや。じゃあ、早めに家に帰って、二人でじっくりと………」

「え? ええっ!/////」

「……何赤くなってんだよ。二人で今後の生活設計の話をしようってこと。家計管理のこととか、おまえの小遣い、どこから捻出するかとか」

にやりと意地悪く笑う直樹に、
「え? あ、あ、そ、そうね。大事なことよね。あ、あたしバイトして生活費稼ぐから!」と、慌てて答える。

「おまえが学業と主婦業とバイトまで出来るわけないだろ? おれが数ヵ月会社で働いた給料プラス、ゲームのロイヤリティで二人分の雑費くらい1年は何とかなるだろ」

「ろ、ろいやり……?」

「特許権、著作権等の知的財産の所有権のこと。おれは社員だし役員だから、放棄してるけれど、アニメ部とおまえに多少なりとも入るようになってる。予想通りに売れれば、暫くはなんとかなるだろう」

「えー? あたし? なんで?」

「おまえの肖像権。ま、モデル料だな」

実を言えば勝手に琴子でキャラクターを作ったオタク部を脅して、その取り分を減らして琴子に回しただけだが。

「学費や生活費までは厳しいから、その辺は帰ってから親父たちと相談しよう」

「う、うん」

直樹が二人の生活についてしっかりと考えていたことに驚いていた。
あんなにバタバタの結婚だったのにーー
琴子にとっては、別室だった二人の部屋が同室になったくらいしか生活の変化はないように思えていたーーというより、何も考えていなかった。

本当にきちんと考えなきゃーー
暮らすということ。生活するということ。
自分の将来のこと。
それはもう自分だけの問題ではないのだと、改めて思う。

ああ、でもこれから、本当に。
ちゃんとした夫婦としての日常が始まるのだと思うと、不思議な気持ちになる。




「あ、あの行列」

歩道の右端に『コトリン最後尾こちら』という看板を掲げた人の前に延々と続く行列が見えた。
そういえばこの近くに、ゲームやおもちゃを扱う家電量販店が有ったことを思い出す。

「凄いね!  入江くんの作ったゲーム、本当に大人気なんだね」

「コトリンのお陰でな」

「……もう、なんでコトリンかな~?」

「アニメ部の連中に聞いてくれ」

もっとも琴子がモデルのゲームだったからこそここまで頑張れたのだろうが。

「でも、この並んでる人たち、みんなクリスマスプレゼントの為なんだよね。良かったよね、ギリギリ間に合って」

学生など若者たちも多いが、それ以上に子や孫の為に並んでるらしい親世代祖父母世代の人たちが圧倒的に多い。
直樹が不眠不休で造り上げたものが、今夜多くの子供たちの枕元に置かれるのだろう。そして朝起きてそれを見つけた時の子供の顔を想像しただけで幸せになる。
そして幸せそうに笑う琴子の顔を見るだけで直樹の顔にも笑みが浮かぶ。

「生産が間に合わずにもしかしたら出荷停止になるかもと危惧したんだが、町工場の頑固親父たちが頑張ってくれたお陰で何とかなったよ」

完成披露パーティーの後に正式に退社したものの、予想以上の売れ行きに工場の生産ラインが追いつかず、各工場との折衝を直樹が統括することになり、結局昨日まで引き継ぎが終わらなかった。

「……頑張ったよね」

延々と続く行列の横を通り過ぎながら、琴子は直樹を見上げ、くしゃりと破顔する。

――よく、頑張ったな……

昨日の重雄の言葉と重なる。
そして、純粋に直樹の仕事を褒め称えていた、電話の中の琴子とも。
間違いなくあの時の会話は夢ではなく、目の前の琴子なのだと確信する。
携帯電話の着信履歴は今でも残ったまま確かに存在し、夢でも幻でも脳の誤認識でもないのだと。

「入江くんって本当に凄いよ。勉強や運動だけじゃなくって、なんでもできちゃうんだね」

琴子の心からの賛辞に、直樹は初めて自分のしてきた仕事に対する誇りを持てたように思えた。ゲームや玩具の類いに思い入れや関心が有ったわけではない、ただ親の会社の仕事というだけで、どちらかといえば渋々という感情が強かった。
だが今は会社の仕事に携わって良かったと、心から思う。恐らく自分の人生の中で必要な周り道だったと、琴子の笑顔を前にした今なら素直に思える。

「でも、これで本当にやりたいことが出来るんだよね?」

「ああ」

「これでお医者さんの勉強が出来るんだね?」

「ああ」

「子供たちに一杯夢を与えた入江くんが、今度は自分の夢を見られるんだよね……」

まさに夢を見るようにうっとりと話す。

「夢みたいに幸せ」

直樹の腕に自分の腕を絡め、そしてその腕に凭れるように顔をぴたりとつける。
こんな風に腕を絡めても振りぼどかれない幸せ。
ぎゅっとくっつき合い身を寄せることの出来る幸せ。
当たり前のように一緒に歩ける幸せ。
ささやかな幸福に夢見心地になる琴子に、直樹は囁く。

「また、つねるなよ」

「もう、つねったりしないよっ」

「……夢じゃないから」

「……うん。わかってるよ」

耳元に響いた低い声にどきんっとしながらもはにかむように直樹を見上げる。

「ちゃんと現実だってわかってる……入江くんが想ってくれていることも、入江琴子になれたのもすっごく夢みたいって思うのも確かだけど……でも、ここにいる入江くんが全部真実(ほんとう)だってわかってるから」

「……琴子」

「もう、不安になったりしない。入江くんを信じるよ」

そこはちょうどスクランブル交差点の手前。多くの人たちが信号待ちの為歩道に止まっている。
直樹は皆が立ち止まっていることをいいことに、そのまま琴子を抱きすくめる。

「…え?」

「もう、二度と不安にさせないから」

「……入江くん……」

「おれはこうゆう性格だし、おまえみたいに心の中のことを全部口に出しちまうなんてことは到底出来ないが……それでもなるべく自分の考えを言葉で伝える努力をしようと思う。
おまえもおれが分からなくなったらちゃんとおれに聞いてくれ」

「…うん」

「お互い歳を重ねて、言葉なんて交わさなくても以心伝心で分かり合えるくらいの夫婦になれたらいいな」

「…うん」

「そこに到達するまではちゃんと言葉で伝えるから」

「……うん…」

「すれ違って誤解し合うこともあるかもしれないけれど、ケンカして、言いたいこと言い合って謝って、仲直りして……そういう日常をひとつひとつ通り過ぎていって一歩一歩夫婦になって行こう」

「…ひっく…ひっく…うんっ!」

いつの間にか信号は青に変わり、抱き合う二人を避けるように人の波が横断歩道へと流れ込んでいく。
涙が止まらなくて、いつまでも直樹の胸に顔を埋めて上を向くことが出来ない。そんな直樹も優しく抱き締めたまま離さない。
行き交う人の流れはゆらゆら揺らめく極彩色の影のようだ。


信号が何回か変わり、人の流れは何度も止まり、そしてまた動き出す。けれどもいつまでも横断歩道の手前で立ち竦んだまま抱擁を交わす二つの影。
今日がクリスマスイヴのせいか、誰もこのカップルを気に止めない。一瞬ちらりと横目で見ても凝視することもなく、通り過ぎる。

そして危うい空模様から漸く舞い始めた最初のひとひらが、琴子の頬に落ちた。

「冷た……」

「おまえの望み通りホワイトクリスマスになりそうかな」

しっかり抱き合ったまま、二人同時に空を見上げる。

「ふふっそうだね」

皆の視線が舞い落ちる雪に向かっている隙に、琴子の唇に落ちた雪を拭いとるように直樹のkissが降ってくる。

やがてひらひらと降っていた雪は少しずつ増えはじめ、行き交う人びとも手を差しのばして雪の結晶を掌で捉えようとしていた。
今日は特別。
365日のうちで、一番雪の似合う日。

雪が段々と激しく降りだしたせいか、足早に過ぎ去る誰もが、交差点の手前でいつまでも口付けを交わしているカップルに注意を払ってはいなかった。

ひらひらと………
汚れなき銀の結晶は、新しいこの門出の日を真っ白に染め上げてくれるだろう。


漸く唇を離した二人はくすっと顔を見合わせる。

「これからも……よろしくな、奥さん」

彼が耳元で囁き、彼女はふたたび真っ赤になりーー

けれどしっかりと手を繋いで、雪が舞い落ちるスクランブル交差点に一歩を踏み出した。




二人の帰りを待つ我が家に向かって――。















――彼女は美しい夢を見る。(了)


※※※※※※※※※※※※





終わりました………^-^;

本当は昨日アップしたかったのですが……初稿には入っていなかったお約束のあの言葉は入れなきゃね、と思い出し……手を加えると例のごとくなんやかやと迷走が始まるという、いつものパターンだったりします(^^;

言い訳っぽいことはとりあえず後書きで!
長くなりそうな気もするので、明日以降だとは思いますが……(^^;

ただひとつ……ラストシーンはスクランブル交差点のど真ん中でkissを!と思っていたのに……リアルに青信号の点灯する長さとか考えてしまい、交差点の手前で止まったまま動いてくれませんでしたとさ……てへっf(^_^)




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Re.紀子ママ様 

コメントありがとうございます♪

労いのお言葉もありがとうございます。
皆様の不満を少しでも解消できたのなら、本当に良かったです(^^)v
……猿でも出来る…(爆)ええ、本当に(^^)

そしてどのお話でも琴子ちゃんが辛い目に合わないと直樹は身に染みない……お約束ではありますか(^^;私も自分が琴子ちゃんを苛めるサディスト気分になります……(これでもM度100%の真性Mなんですが)

はは、私も結婚20年になりますが、以心伝心無理です(^^;あ、不機嫌? くらいしかわかりません。しかも、なんで不機嫌かも分からないっ!やっぱり愛が足りないかも?

そうですねーこの直樹は嫉妬事件を起こさないと信じたいですね。新婚早々、神戸の後くらいの甘々な旦那様になってくれることを切に願います(^^)
速川さんも琴子ちゃんのお陰で憑き物おちて、みんなそれぞれの将来を考えて…幸せな一歩を踏み出せて、何とか大団円にまとめられました♪
紀子さんだけは……なかなか難しいですねぇ。彼女を反省させるには琴子ちゃんが相当辛い目にあわないと……(-.-)

こんな不可思議なお話に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

Re.マロン様 

コメントありがとうございます♪

そうですね、あの科白はテッパンです(^^)
ほんと、いわれてみたいですーふふ(^w^)

はい、言葉足らずの直樹さん、頑張ったあの電話での長セリフ、無駄にしないで常に自戒してほしいものです。

ふふふっタクシーをリニアモーターカー並み……そうですねぇ、琴子ちゃんが早く家に帰りたいってんだから、もうマッハで帰ることでしょう! もうほぼ1ヶ月ぶりの×××ですからねー/////長い夜でございましょう♪

マロン様も浄化できたようなので良かったです(^^)v
このような拙いお話を最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました(^^)

Re.たまち様 

コメントありがとうございます♪

はい、無事入籍できました(^^)v
ふふ、公園のボートは、もう琴子ちゃんの頭にはそれしか思い浮かばなかったということでしょう。咄嗟のことすぎて。きっと、1日たったらあれこれ思い浮かんで悔しがるかもしれません。そう、直樹さんはあえてそんなボートには乗らないでしょう(^w^)

そう、プレゼント。モノは要らないです。欲しいものは一つだけっ
ドラマチックな状況でも頭の中は野獣かも?
眠ってる間琴子ちゃんを襲わなかった君に拍手!(いや、やったらただのケダモノ……)
まあ、やっと取り戻した奥さまですからしばらく過保護でしょう。でもまだまだ青いとこあるからなー。今後嫉妬事件起こさないでね、と切に願います。
そう、妙な夢は琴子ちゃんは忘れていいのです。その代わり記憶力のいい直樹さんはずっと忘れず自らを戒めて欲しいです。
直樹の休学しているのにちゃんと進級している謎や、生活設計、琴子の夢、色々盛り込みました。琴子の夢は絶対直樹が望んでること。夢の中の直樹さんのように押し付けられませんが。
そうですね、琴子ちゃんと出会ってどんなに彼が人間らしくなったことか!
はい、ホワイトクリスマスに二人は最高の夜を過ごしたことでしょう(^^)v

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました!

Re.ねーさん様 

コメントありがとうございます♪

そうですねー直樹さんにはザマーミロな感じで終わりましたが、きっと夜はラブラブだったことでしょう(^w^)
ふふふ、忍耐の直樹さん。でもあの夜だけでなく、多分眠ってる琴子ちゃんの傍らでずっと悶々してたかもしれません……(実を云うと、某所のリア獣直樹さんのお陰で、眠ってる琴子ちゃんを襲うケダモノ直樹さんが時折現れて押さえるのに苦労しましたのよf(^_^))
ちょっとしたところでねーさん様にツボっていただけて嬉しいです。コメント読んで思いっきりにやけてしまいました。もう、3つのミッションは二番目を入れたいが為に無理矢理こじつけたミッションですので、ツボって貰えて嬉しいです♪
『サーカス』OKですよー(^^)vサーカス団員直樹さんでしょうか!?忍者といい勝負ですね(^^)

ふふ、なんとか終わりました♪
こんなお話ですが、最後まで読んでいただけて本当にありがとうございました!

No title 

ホワイトクリスマスは、過ぎちゃったけど?またまた、コメントしたくなりました、でも?二人いい感じ❓映像としてみたくなりました、ブログだから、創造しながら見ていたんだけど?夫婦に、なり、これから?これから幸せになってね?v-24

Re.なおちゃん様 

コメントありがとうごさまいます♪

懐かしいこちらのお話にもコメントうれしいです(^_^)
映像としてみたくなるなんてありがたいお言葉(^w^)そうですね、ようやくきちんとした夫婦になって、この二人はこれから起きるなんやかんやはきっとないものだと思いたいですね~~(^w^)
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