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個別記事の管理2015-02-10 (Tue)







帰宅ラッシュ時間はとうに過ぎてはいるが、行き交う人の波は途切れることなくホームへ、そして改札口へと続いていた。

琴子が倒れていたというこの駅の階段下には事故後も直樹は幾度か訪れてはいた。
琴子が無傷であった理由を知りたかった為だが、やはり明確な答えは見つからず、ただこの高さから落下して何事もなかった奇跡に安堵するしかなかった。

今、久しぶりにその階段の上に立ち、そして一瞬下方を見つめた後、足早に階段を降り始める。
速川萌未の行方を捜し回り、今は病室の琴子の元に早く戻りたいと思っていた。
一刻も早く。
離れていることが不安だった。

階段の半ばまで降りた時だった。

くらりとーー一瞬目眩のような奇妙な感覚を覚えた。周囲の空気が歪んで、揺らめくような眩惑ーー。

そして足元を見ると、階段の下方がまるで底のない闇のように真っ暗で何も見えなくなっていた。

………何なんだ……これは?

行き交っていた人の気配、靴音、話し声、アナウンスや電車の滑り込む音などが一切聴こえなくなっていた。
恐ろしい程の静寂な世界。

一瞬で世界から全てが消え去ってしまったようなーー

これは……琴子の云っていた世界?

ーー世界から、あたし以外の何もかもが消えてしまったのーー

琴子が心細げに震える声で話していたことを思い出す。



何が………起きた?

誰かの手が……ふわっと闇に浮かぶ。

足元の深淵の奥にヒラヒラと手招きをする指だけが、妙に白く見えた。
薬指に指輪をしていた。
何処かで見たことがある指輪だ。
翠色の指輪……

不思議と恐怖感はなく、その手招きする手に誘われるようにゆっくりと闇の中に足を踏み出す。

階段は永遠に続くかのように思われた。





「……ザマーミロって思ってる?」

頭上から琴子の声がして、はっと振り替える。

……なんで琴子が……?


琴子は上から三段目の位置に立ったままで、階段の先にいる女と話していた。


そして、その瞬間、消え去っていたものが元通りになり、唐突に色々な喧騒音が直樹の耳に飛び込んできた。

足元の暗闇は消え、階段下の磁器タイルのベージュ色がくっきりと見える。
忙しなくコートの衿を立てて階段をかけ上る人や、足早に降りていく者もいる。

周囲はざわめいているのに、二人の声は滔々と聞こえる。
何故こんなにはっきりと聴こえるのだろうか?

しかしそんなことを訝しむ前に、二人の話す内容に直樹は愕然とした。

「誰もがセンパイみたいに、ストーカーまがいの行動なんて出来る訳じゃないわ」

「ストーカーって…!」

「ストーカーの挙げ句に婚約者から入江センパイを略奪しちゃうんだもん、スゴいわよね~!」

――何を云ってるんだ、この女!

憤りに胸が熱くなる。

こいつが……写真の女かーー。
顔ははっきり見えないが、間違いなく速川という女だろう。

「こうゆうの因果応報っていうの。自分が奪ったから、あなたも奪われるわ。ほら、もうきっと入江さんは他の誰かを見てるのよ。だから入籍もしてもらえない。結婚したのにかまってももらえない。ね?  わかったでしょ?」

悪意に満ちた言葉たち。
琴子、そんな言葉、真に受けるな!
おれはーーおまえしか見ていないから!


「……確かにあたしは沙穂子さんから入江くんを奪ったかもしれない……」

「かも、じゃなくてそうでしょ?」


違う、そうじゃない。
おれは最初から沙穂子さんのものではなかったのだから!

何故、琴子はこの女と落ち着いて話しているのだろう?
聴いていて吐き気がするような女の言い草。攻撃的で、憎悪を隠そうともしない女。
琴子の傷みを抉るようなことを平然と言い放つ女に、直樹は新たな怒りが沸き上がるのを感じていた。


「今の状況がその報いだというなら、あたしはそれを受け入れるしかないわ」

「なあに?  入江さんと別れる?」

「…入江くんが望むなら…あたしはどうすることも出来ないもの」

琴子、馬鹿なことを。
おれがそんなこと望む筈ないのに……!

「…入江さんの為すがままなんだ」

「そうだよ。入江くんの望みが叶うことがあたしの全てなの。入江くんがあたしと別れたいなら、あたしはそうするよ。入江くんの望んでることはなんでもしてあげたいから」

琴子、おれは絶対そんなこと望みはしないから……!

「ふっふっ健気ね~。そういいながらも、あなたは別れてもしつこく想い続けて追っかけ続けて、ストーカーするんじゃないの?」

「入江くんが他の誰かを選んだら、あたしはもう追いかけたりしないよ。沙穂子さんと婚約した時も離れようと思ってたし。
……でも想い続けることはやめない。だって心の中は自由でしょ? ずっとずっと心の中で想い続けたって誰にも迷惑かけないし」

………琴子! 琴子! 琴子!
叫んで飛び出して抱き締めたい衝動にかられる。
なのに、何故一歩も足が動かないのだろう?
声が出ないのだろう?


「…… あたしに嫌がらせの手紙送り続けたのあなたでしょう?
……人のことストーカーストーカーって言うけど、それだって立派なストーカー行為だよね?」

琴子がいつになく凛として目の前の女にいい放つ。
決して目の前の悪意に押し潰されることはない。

ーーああ、そうだ、おまえは突然バカみたいなパワーを発揮させるんだ。


「………悔しかった。妬ましかった。あなたになりたかった。それくらい入江さんが好きだったの」

「…速川さん……もういいよ。あたし、別に手紙のことであなたを責めるつもりないから……だからもう苦しまなくていいよ」

琴子、何故そんな女に添うような言葉をかける?
何故そんなに簡単に許すんだ?

「嫉妬して変な手紙送ったりする自分が嫌だったんでしょ?  苦しかったんでしょ?  もう、大丈夫だから……」

「大丈夫って何よ!  わかったふうに言わないでよ!  あなた全然変わらないのね!  そのいい子ちゃんなところ!  相変わらずの偽善っぷりね!」


女の言葉に直樹のタガが外れた。
その瞬間、動けなかった身体が突然何かの呪縛から解き放たれたように自由になった。
思わず琴子に駆け寄ろうと階段に足を掛ける。

――偽善なんて言葉、琴子に言ったって無駄だ! あいつはそんな言葉の意味も知らない。
いや元々あいつの頭の辞書にはそんな言葉も概念も存在しないんだ!


「待って……!」



直樹が階段を掛け上がろうとした時、琴子の身体がくらりと後ろに反り返って倒れていくのが、スローモーションのように確認出来た。


「琴子……!」


そのあとは無我夢中だった。

両手を広げて落ちてくる琴子を受け止める。いくら細くて軽いといっても重力を加算して受けとめた衝撃は生半可なものではなかった。足元の悪い階段上で踏ん張っても、そのまま直樹も後ろに引き倒されそうになる。
しかし並の運動神経ではない彼のこと、階段の蹴上の部分に足をあて、反動をつけて蹴り、下へ落ちる力を半減させる。
その間琴子を抱え直し、頭を庇うように腕で囲い自分の胸に顔を押し付けさせた。

落下しながらも自分は顎を引き、受け身の態勢をとる。

琴子の身体を守るように地面に触れないように――背中を丸め臀部から落ちる。

尻と背中をもんどり打った後、琴子を抱えたまま左肩を下にして地面に倒れこんだ。
激しい痛みが夢ではないことを告げているようだった。

痛みに耐えながらも抱えている琴子の身体を一瞥し、明らかな外傷がないことを確認すると、直樹は大きく安堵の溜め息を付いた。
そして、気を失っている琴子を地面に下ろし、立ち上がろうとした時――

くらりと。
視界が歪んだ。








「………大丈夫ですか?」

気がついたら直樹は階段の一番下の段のところに、壁に凭れるようにして座りこんでいた。
駅員に声をかけられ、直樹は壁に掴まって立ち上がる。
左肩と背中、腰などに激しい痛みを感じたが、何とか立って歩くことは出来そうだ。

「大丈夫です」

そういいながら、ようやく周りを見回す。

琴子はーー?

倒れている筈の琴子はいない。

いったい……何が起きたんだ?

歩きながら夢を見たと云うのか?

けれど。
この痛みは余りにリアルだーー。

呆然としながら、直樹は自分の腕を見る。
今でもはっきりと感じられる琴子を受け止めた重みと衝撃。
そして全身の痛み。
歩きながら、だんだん痛みが増していくのを感じた。

いろいろな記憶がごちゃ混ぜになっているが、自分が今まで速川萌未の行方を捜し回ったあとに、琴子の元に向かう為に駅に降り立ったことを思い出した。

ああ、そうだ。早く琴子に………
早く琴子の元に向かわなくてはと、一歩を踏み出して改札口へ歩んで行く。


琴子………おれがおまえを助けたのか?
おれはおまえを助けることが出来たのか?







身体を引き摺りながらもようやく病院に辿り着いた直樹は、真っ直ぐ琴子の病室に向かった。


琴子は………穏やかに眠っていた。

苦悶の顔も、愉悦の笑みもない。無表情で規則正しい息をしているだけだ。

「……琴子」

呼び掛けても相変わらず瞳は閉じられたまま。
その頬に触れ、髪に指を絡めようと手を伸ばした時――

「……うっ!」

左肩と背中に痛みが走る。

ワイシャツの袖を腕から抜いて肩を確認する。
青い打撲痕に軽い擦過傷が確かにあった。

やはりーー夢じゃなかった?
俺は琴子を助けたのか?
時間と空間を飛び越えて?

受け止めた時の激しい衝撃は、今だ腕に残っている。
そしてこの痣――。

琴子の落下状況を聞いて、殆ど無傷というのが不可解だった。
だが自分が時間を遡って琴子を助けたのだとしたら……

馬鹿な……!  そんなベタなSF小説のようなことがある筈ない。
直樹は自分の頭に降って湧いた考えを打ち消そうとする。
だか、この傷は?  痛みは?
どう説明すればいい?
眠りながら歩いて転んだとか?
キリスト教徒の聖痕のように、思い込みで傷が出来たとか?
幾つかの医学的事例を探そうと記憶の倉庫を検索してみるが、しっくりくるものは見つからない。

そして直樹は何処かで理解していた。頭の中では否定していても――心の中ではあれは事実なのだと。

数週間前に琴子の身に起きたことと、夢の中の琴子と、そして今の自分と――リンクしてしまったのだと。

琴子と繋がった。
琴子に想いを伝え謝罪することが出来た。
琴子を救うことも出来た。

なのに何故目を覚まさない?

直樹はそおっと琴子の頬を両手で包んだ。
こつんと、額を琴子の額に合わせる。

「目を開けてくれ…琴子…」

願いも虚しく琴子の瞳は開かれない。彼女の大きなくりっとした瞳を覆っている瞼の上に唇を落とす。
瞼から鼻に、鼻から頬に……。
そして頬から唇へ。

「琴子、感じてるんだろ?   おれのキスを……」

――入江くん、眠ってるあたしにキスした?

少しはにかむように小声で囁いてきた琴子の声を思い出しながら、
親指の腹で琴子の唇をなぞりながら、耳元に囁く。
そして何度も何度もキスを繰り返す。このまま永遠にキスし続けたなら、いつか目を覚ますかもしれないと僅な期待と希望を込めて――。







その夜は一晩琴子の傍らで、夢の欠片も見ずに眠ってしまったようだった。
自分がこの数日間殆ど眠っていなかったことを、朝の検温の看護師が部屋を訪れ、起こされるまで、すっかり忘れていたのだ。

身体を起こした瞬間に、左肩に激痛を感じ、昨日のことがはっきりと蘇ってきた。夢ではなかったのだということが思い知らされる。

本当に…何がどうなったというのだろう?

一晩たって、朝のスッキリとした頭でも、やはりあの奇妙な出来事に対して納得のいく答えを導くことが出来ない。


琴子は相変わらず眠ったままだ。



ピンポーン………


インターホンの音に直樹は琴子から離れた。



訪れたのは琴子の落下事故を捜査していた刑事二人だった。

なんだ、一応捜査していたのかと軽く驚く。

「……実は、行方が分からなかった速川萌未ですが」

刑事の一人が眠る琴子を一瞥した後口火を切った。

「どうやらずっと友人の家を泊まり歩いていたようですが、一昨日友人の家で手首を切ってこの病院に運ばれていたんです」

「……え?」

「命に別状はないようです。ただ興奮状態が酷くて、医師からは聴取する許可が降りていないため、まだ会ってはいないのですが」

「…そうですか…しかしリストカットって……」

「やはり彼女は琴子さんの事故に関わっているのかもしれません」

そういった刑事に、もう一人が
「おい、予断は禁物だぞ」と釘を刺す。

「ああ、すみません、不確定なことを……」

「しかしもしかしたら、速川萌未がこの部屋を訪れる可能性があります。事件性が確定している訳ではありませんので、常にこの部屋を警護している訳にはいかないので……」

……多分もう、訪れている。
あの時部屋の前にいたという女は速川だろう。
直樹は確信していた。

「了解しました。琴子から目を離さないようにします。まあ、この部屋なら勝手に侵入することは出来ませんので、安心だと思います」

刑事たちの云わんとすることを理解して、直樹は返答する。

「……まあ、確かにそのようですね」

刑事たちは、要人の為に用意されているこの部屋の豪奢さに目を白黒させていた。

「……けれど…これはただの事故だと思います」

直樹の言葉に刑事二人は怪訝な顔を見せた。

「何か分かったんですか?」

「いえ……何となくそう思っただけです」

直樹の曖昧なその答えに少し苦笑して、刑事たちは部屋を後にした。

自分らしくなく、適当なことを告げてしまったことに、刑事と同じように苦笑を禁じ得なかった。
たが。
あの駅での光景が事実ならば、あれは事故だったのだろう。
琴子は自分で態勢を崩し足を滑らせたのだ。あの女が突き落とした訳ではない。
あの女の罪は、琴子を救助することなく見捨てて逃げ出したことだ。
しかし琴子は決してあの女を責めないだろうし、事件とするのもよしとしないだろう。
そう思ってふと口から出た言葉だった。
直樹自身、あの時あの女が琴子に投げつけていた言葉が全て現実のものならば、絶対許せるものではなかった。事件であろうが事故であろうが、このことに関する責任をきっちり取らせてやりたいと思っている。

たが、全ては琴子が目覚めてからの話だ。

もしこのまま琴子が目覚めなければ――琴子が願うことではないと分かっていても、容赦ない制裁を加えることだろう。

「そんなことをすればおまえは怒るかな……?」

琴子の髪を指ですきながら、直樹は優しく囁く。
そして頬を両手で包み、顔を覗きこむ。
少し乾いた唇をそっと指でなぞる。

そして、ゆっくりと顔を近づけてーー

唇まであと一センチの処で、琴子の愛らしい唇から軽い呻きのような吐息が漏れた。

「………けて…」

「!   琴子!?」

無表情だった琴子の顔が、悲しげな苦しげな表情に歪む。
そして。

それまでベッドに縫いつけられたかのように動かなかった腕がすうっと持ち上がり、直樹のワイシャツの袖を掴んだ。

「………りえくんっ!  助けて!」

そう叫んだ琴子の瞳が――大きく見開いた。

                                             












※※※※※※※※※※※※※



ふたつめのミッションは「愛する妻をキャッチして一回転して着地する」……でした^-^;
いやいや、紀子さん、一回転は難しいですってば。それに、10点満点に綺麗に着地してないしね(^^;若干減点ありですよ、直樹さん(爆)



さて………やーっと琴子ちゃん、覚醒!?







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* Category : 彼女は美しい夢を見る。
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Re.ねーさん様 * by ののの
拍手コメントありがとうございます♪

たしかに忍者かサーカス団(←原作の入江くんの突っ込み)じゃなきゃ無理でした……^-^;
一応一回転させられないかちょっとは考えたんですが……半回転ひねりくらい?(笑)

コメント







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