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個別記事の管理2017-08-27 (Sun)

※※※※※※※※※※※※




8月30日(土)



「おじゃましまーす」

あたしはインターホンを押した後、「開いてまーす、どうぞー」という声に従って、勝手知ったるといった感じでお隣の玄関に入りこんだ。

「いらっしゃい、かをる子さん」

琴子さんが包丁を持ったまま出迎えてくれた。
ひえっ
思わずのけ反ってしまうじゃないのーー!

「琴子。何持ってんだ、おまえ」

「きゃーごめんなさい!」

慌てて戻っていく。
………転ばないでねー。

「いらっしゃい。森村さん。どうぞ、入ってください」

「はーい、おじゃまします」

あたしは手土産の『G線のベイクドチーズケーキ』を入江先生に手渡す。老舗のスイーツはシンプルだけどかなりのお気に入り。

「わざわざありがとう。唐突に招いたのに……」

珍しく申し訳なさげな表情。きっと琴子さんの思い付きなんだろうなー。お誘いがあったのは昨夜だった。

「いえいえ。それより、ずうずうしく来ちゃったけどよかったの? 最後の1日、まったり二人で過ごした方がよかったんじゃない?」

あたしは入江先生の眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。

「森村さんには色々お世話になったので……」

うん、確かに色々お世話したけどね。
恩にきせるつもりはさらさらありませんってば。

「ごめんね、突然。あたしがね、かをる子さんをお昼ご飯に招待しようって提案したの。助けてもらったお礼もきちんとしてなかったし、なんといっても一番迷惑かけちゃったもんね~~」

あ、やっぱり?
気を遣ってくれてありがとう……でも、入江先生は多分二人きりでしっぽり、がよかったと思うわよ~~

「でもお招きした割りにたいしたもの出来なくて……」

そうして部屋に入ると……部屋、さぶっ

エアコンの温度、低すぎない?
ーーーと、思ったら。
テーブルの上にどどんと鎮座しているのはーー

え~と…………鍋………!?

この真夏に?

それと、お皿の上には大量の塩結び………

「あたし、神戸にきて究めたのって塩結びくらいで……」

「 悪い。今回の料理は琴子が全部自分でやるからとおれはノータッチだから」

………そ、そうですか。
だから、覚悟してくれと。
そんな渋い表情されてもね……

「ぱっぱっと出来そうなのってお鍋しか思い付かなくって」

うん、ダイニングテーブルの上はとってもシンプル。卓上コンロの土鍋に大皿に盛られた大量のおにぎりだけ!

「でも、見て! てっちりなのよー」

じゃじゃーんとばかりに蓋を開けると、どうやらあの高級食材のふぐのお鍋らしい。

え? でもふぐの季節って秋から冬じゃなかったっけ?

「お父さんの伝で下関から送ってもらってたんだけど……さすがにこの時期だと冷凍ものかな。入江くんに栄養つくもの食べさせたいってお父さんに話したらクール便送ってきてくれてたの、すっかり忘れてて~~ 」

そーいえばふぐ料理の板前さんだっていってたっけ。琴子さんのお父さん。
あー、これが消費出来てないこと思い出して、あたしを呼ぶこと思い付いたわけ?

てっちりは大変美味しくいただいた。
野菜切って、昆布だしの鍋にぶちこむだけのものね。
アク取り一生懸命して、入江先生にも山のように取り分けてあげて、とっても甲斐甲斐しい。
当然野菜は繋がってたけど。白菜が万国旗のようでちょっと芸術的……?
ポン酢ともみじおろしでいただくから、夏でも意外とさっぱりしていいかも。

「ごめんね、これだけで。お父さん直伝の揚げ出し豆腐も作ろうかと思ったのだけど……」

「おれが全力で阻止した」

ははは。
とりあえず笑っておこう。

琴子さんの美味しい珈琲を飲みながら、食後にゆっくりと他愛ないお喋りに花を咲かせる。

「みてみて、『たまごろー』! こんなに成長したのよー。もう孫までいるのよ」

琴子さんからもらったパンダイの携帯育成ゲーム。たしかにレアな水玉柄のひよこだったのだけど、成長したら虹色孔雀になったのは驚いた。思わず琴子さんに見せて自慢してしまう。

「えーすごーい!」

二人でわーきゃーいいながら生まれた孫ひよこに餌をやっていると、入江先生も気を遣ってくれたのか、ちょっと出掛けてくると出ていった。

すると琴子さんがにやっと笑って、入江先生はもういないのにこそっと耳元で囁く。

「聞いて、かをる子さん! 入江くんからとっても素敵なものもらっちゃって!」

「なになに? ハーバーランドでプレゼント買って貰っちゃった?」

いいわねー指輪とかかしら? とワクワクしている私の目の前に、じゃじゃーんと琴子さんが自慢げに見せたのは……来月の病院のシフト表だった……はい?

「入江くんがこんな風に自分の予定をきちんと教えてくれるの、初めてなのー。電話するのにね、なるべく留守電じゃなくてちゃんと直に話したいから当直とかのスケジュール教えてほしい、ってお願いしててもなかなかシフト表見せてくれなくて。急患や急変があったらどうせその通りにならないから無駄だろって……」

そりゃそうだろうけど。ほぼ休みなしの研修医だし。
しかしなー家族にある程度のシフト教えるのは当たり前のことでしょうに。

「かをる子さんが、入江くんに何かいってくれたんでしょ? 『森村さんいわく、日常を円滑に過ごす為には家庭でも職場同様、報告連絡相談は当たり前のことらしいからな』って云ってね、これコピーしたのくれたのよー」

そうしてがしっとあたしの手を取り感謝の言葉を繰り返す。

あら。一般常識を語っただけだけど、少しは役にたったのかしら?
でもたかがシフト表でこんなに喜ぶなんて……それってどうよ……

「でもね……でもね。これ見て知った衝撃の事実がね…」

ずんっと暗い顔になって俯く。

「来月のあたしの誕生日……お仕事なのよーーしかも当直まで入ってるの! そのうえNICUの研修が始まるから9月はずっと忙しいってぇ~~~」

うん。そ、そうかー。
確かに休みなんて自由にとれないだろうけど。
医師でなくても嫁の誕生日だからといってわざわざ休みをとる旦那さんって日本人じゃ希少だろうけど。

「ま、分かってたことだから、今さらショックじゃないけどね。ちゃんとあたしの誕生日覚えてるかどうかも疑問だし」

それはないでしょーーと思ったけど、毎年あのお義母さまがかなり前から大騒ぎしてるから当日忘れようがないのだとか。

うん、でもちゃんと書類に記入してもらってるから何月何日かはわかってるハズ、安心して。

「これだけ毎日忙しければ、きっと人には誕生日ってものがあるってコトも忘れちゃうよね」

諦念の色を携えた力ない笑み。

まかせて、琴子さん! あたしが絶対に誕生日、忘れさせないからねっっ
ーーて、入江先生……絶対忘れたりしないんじゃないかしらんーー

琴子さんの白い首筋にしつこいほどにつけられている無数の赤い痕をちらりと見つめながらそう思う。

二人で洗い物をしながらそんな話をしていると時間はあっという間に過ぎる。
残ったおにぎりをラップして冷凍庫に詰めている琴子さんを横目で見ながら(入江先生、当分は塩結び生活ね)くるりと部屋を見回すと、以前来たときにはなかったものを見つけてしまった。

「これ、デートの写真?」

リビングのサイドボードの上に飾られたお洒落なメタルフレームの写真立て。
神戸の海をバックに、二人ならんで写った写真が入っていた。ハーバーランドだな。
その隣には小さなガラスの器に入ったエアプランツもある。殺風景だった部屋の中が少し明るくなっていた。

「へへ、そーなんです。このフォトスタンド、入江くんに買ってもらっちゃって~~」

嬉しそうに照れ笑いする琴子さん。フォトフレームの中の彼女もそれは幸せそうに微笑んでる。
隣の入江先生も私の知ってる表情の中ではかなり口角が上がってる感じだ。仏頂面なイメージが強いけど、こんな優しい笑みも浮かべられるんじゃない、と写真立てを持ってあたしまでニマニマしてしまう。

「お揃いのフォトフレーム買って、おんなじのプリントアウトしてもらったから、東京の寝室にも飾っておこうって」

それでも東京のおうちには、結婚式の写真やあのおかあさまの撮った写真が沢山飾ってあるらしい。

「 神戸に旅立つ時も、結婚式の写真、焼き増ししてこっそり鞄の中に忍ばせたのに、全然この部屋には飾ってくれてないようで……もしかして気がついてないのかも」

ちょっと拗ねたような口振り。

あ。それ、もしかして。

「琴子さん、その写真、きっと……」

「え?」

琴子さんが顔を上げた時、がちゃりとドアが開いた。入江先生が帰宅した模様。

「あ、入江くん、おかえり~~」

ばたばたと満面の笑みで玄関に走っていきお出迎え。
今は一秒でも一緒にいたいわよね。やっぱあたし、早々に帰った方がいいかも……

「駅で新幹線の指定券買っておいたから」

「え、あ。ありがとう……」

「多分台風は明日の夕方以降だから。午前中ならよほど止まることはないと思う。11時くらいのヤツでいいだろう?」

「……うん」

ちょっと戸惑ったようにチケットを受けとる琴子さん。
あたしが来る前に沢山あった荷物も宅配業者が引き取りにきたらしい。
ああ、もう帰っちゃうんだなーーと、琴子さんならずとも寂しさが募ってくる。

それでも琴子さんはくるりと振り向いてにこやかに笑って、「かをる子さんはやっぱり花火いかないの? なんとか今夜は天気は大丈夫そうだよ。せっかくの桟敷席なのに」と訊いてくれる。
うん、桟敷席のチケットあげたのあたしだからね。

夜に着ていく浴衣とか見せてもらって、(コンシーラーで念入りに首筋を隠すようぼそっと進言)しばし花火大会の話題となるけれど、一緒に桟敷席で観覧しましょうよ、というお誘いにはきっちり固辞させていただく。
この夏、最後のデートのお邪魔虫になりたくない、というばかりではなく実際都合が悪いのだ。

「ごめんね。明日イベントが名古屋であるのよ。朝が早いから今夜は準備だけしてさっさと寝るわ」

「えー、台風、大丈夫? 帰れる?」

「月曜休みとったからね。最悪帰れなくても大丈夫!」

そう。台風が来ようが槍が降ろうがオタクは決して即売会を諦めないのだよ。

「気をつけてね!」

「琴子さんこそ! 無事に帰ってね」

「大丈夫よー」

大丈夫かな~~~?

予想外の状況を招き寄せるのが琴子さんだもの。

そして、あたしは早々に隣を後にした。少しでも二人っきりにしてあげなきゃね。

しばしのお別れに、つい玄関扉の外で抱き合って涙してしまった。
でも、そのうちにまた会えるだろうし。

「次はいつくるの?」と訊ねたら、「えーと………」と困った顔をする琴子さん。

「ほんとは来月のあたしの誕生日に来たいなーー…ってひそかに思ってたんだけど……」

あー、入江先生、休みじゃないって……

「前期試験は終わってるし、ちょうど日曜だし試験休みで連休だし……でも、次の週には模試もあるんだよね……ほんとはもうこっちに呑気に来てる場合じゃないって分かってるんだけど」

「来たい時に来ればいいと思うわよ。あなた奥さんなんだもん」

「でも迷惑またかけちゃうかも……勉強しろって怒られちゃうだろうし」

「いいじゃない。迷惑かけたって。いってたじゃん。彼は刺激のある生活が好きだって。刺激をどんどん与えてあげればいいのよ。勉強だってね、どこでもできるんだから。東京でも神戸でも新幹線の中でもね。我慢してストレスためる方が勉強の効率は絶対悪いわよ!」

神戸と東京は決して近い距離じゃないけど、ものすごく遠い訳じゃない。
あれこれ思いあぐねたり遠慮せずにじゃんじゃん来ればいいのよ。夫婦なんだもの。

それに ……それに……。
琴子さんがいるとあたしが楽しいの。(ネタの宝庫だし!)

「うん! そうだよね! ありがとう、かをる子さん! あたし我慢しないっ会いたい時に会いにくるよ!」

琴子さんの顔がぱっと輝く。
なんというか………素直だな~~

そしてひとしきり別れを惜しんで、あたしは自分の部屋に戻った。













そして夕方。ようやく日が沈み、微かに花火の音が響き始めた。
2時間くらい前に隣が出ていく気配は感じたので、予定通り花火大会に出掛けたのだろう。
見せてもらった朝顔の浴衣、可愛かったな。きっとよく似合っているに違いない。

あたしは明日の準備をしつつ、少し外の風が強くなってきたような気がして、ベランダの外に出たみた。
ついでに明日の台風に備えて、物干し竿を下ろしておく。
あたしが琴子さんを助けるためにぶち破いた隣との境界壁はとうに直っていた。
色々あったなーとほんの少し前の出来事なのに懐かしむように思い出される。

紫色とオレンジの空の彼方で花火が色鮮やかに弾け始めた。
随分遠いけれど、ここから見えない訳じゃない。あたしはタバコを吸いながらしばし今年の夏最後の花火を鑑賞する。

………やっぱり風が強いな……。

台風の影響だろうか。
あたしの髪がばさりと顔を隠すくらい生暖かい風が強くなってきた。
西の空がどんどん真っ黒い雲に覆われ始めていた。いやな感じだな………
せめて花火が終るまで降らないであげて欲しい。
あたしは思わず怪しげな空を見つめて祈らずにはいられなかった。

するとあたしの祈りはまるで軽く却下されたかのように、花火とは別の閃光が雲間を照らす。そして暫くたってから遠くで雷鳴が響いた。
雨もぽつりぽつりと降ってきた。
この感じ。
スコールが唐突に訪れる気配が、予報士でなくてもひしひしと感じる。

予想通り数分で雨は激しく叩きつけるようなものとなった。
当然花火はもう上がらない。
あたしはベランダの掃き出し窓から外を見つめる。すっかり日が落ちた暗闇の中の激しい雨で殆ど何も見えないけれど。

大丈夫かな、琴子さんたち………

せっかくの花火大会なのに。
でも1時間くらいは楽しめたのかな?
降りだす前に早々に帰途についていればよいのだけれど。
ああ、でもせっかくの浴衣が濡れ鼠になってるかな……

微かに救急車のサイレンの音が、雨音に紛れて聴こえた気がした。

ーーなんだろう……? ざわざわとイヤな胸騒ぎがする。

あたしは思わず窓辺に張り付く。
雨は先程より小降りになっているけれど、雷鳴はまだ時折響いている。
そして、救急車のサイレンもまだ鳴り響いているのが聴こえた。数も多い。パトカーに消防車に……色々な音が混じりあっている。救急車の音だけはだんだんと近づいてくる様子から、間違いなくうちの病院に向かっているのだろう。
あたしはドキドキして、思わずテレビのスイッチを入れた。

いやな予感は当たった。

ニュース速報のテロップが画面に流れたのはそれから1時間のちのことだった。
21時を回っていたけれど、隣人が帰ってきた気配はない。

『神戸市の花火大会で、突風によって露店のテントが飛ばされ多数の怪我人が出た模様』

ーーまさかね………

あたしは跳ね上がる心音を押さえるように深呼吸をする。それでもドキドキが止まらない。
そして隣人が何事もなく帰宅してくることを祈りつつ、玄関の方に全身の感覚を耳に集中させて一晩中待っていたのだった。







※※※※※※※※※※※




かをる子さん登場で、入江くんの影が薄くなってしまいました………f(^^;


さて、最後の最後でトラブルの予感…………f(^^;
でも次は最終回に持ち込める(あくまで予定)かな……?


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* Category : 1日で終わらない西暦シリーズ
* Comment : (8) * Trackback : (-) |

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* by なおちゃん
琴子ちゃんのことだから何かあるだろうけど❓かおるこさんと同じで二人の怪我は嫌です、せめて新幹線が止まるくらいがちょうどかな?それで東京に帰れないぐらいがちょうどかな、でも最近本当に大変な天気月ズいてますよね本当に以上気象ですね。

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Re.マロン様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

リコメが大変遅くなり、ほんとうにすみませんでしたorz
予定ではかをるこさんご招待のエピはなかったんですが、そーいえばちゃんと御礼をしてなかったな、命助けてもらったのに…!と思い出し、慌てて挿入しました^_^;
やっぱりかをるこさんはうちでは神戸のキーパーソンですからねぇ。
そして、最後の最後まで心配かけさせられる笑 この部屋の隣に住んでいる、もう運命ですね(((^^;)

Re.なおちゃん様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

リコメが遅くなり申し訳ありませんでしたorz

はい、やっぱり最後まで何かあるんですよ。
そうですねー変な天気や災害が続いていやになります。今も台風来ているので、被害がないことを願うばかりです( ´△`)



Re.紀子ママ様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

リコメが大変遅くなり申し訳ありませんでしたm(__)m
いえいえ、毎回コメントいただいて、1話くらい大丈夫ですよ〜〜
ラストが近づいて寂しいといってもらえて嬉しいです。書き手冥利に尽きます。
うちの幅をきかせすぎのオリキャラたちも生き生きしてるなんて、嬉しいお言葉〜(感涙)
紀子ママ様の入江くんへのお怒りは、全くもって私の怒りなので、それをオリキャラたちに代弁させました。一緒に共感していただけてよかったです。
香純さん……なんだか回収が一番面倒な女になってしまったわ……お陰でご都合主義的に無理やり収めた感が否めないですが、思い入れもないので、ま、いっか笑(←投げやり)
そうそう、この夏休みの出来事が、入江くんがあんな中途半端な時期に神戸から戻ってくる元となるんですねー。そのための夏休みでした( °∇^)]

Re.コトリン様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

リコメが大変遅くなり申し訳ありませんでしたm(__)m

ほんと、最後の最後までトラブルに巻き込まれる琴子ちゃんでした。いや、今回は直樹さんも一緒ですからね。一蓮托生な二人です(((^^;)

個別記事の管理2017-08-20 (Sun)

残暑お見舞い申し上げます。

といいつつ、蓋をあけたら天候不良で色々大変なようです。

うち方面はやっぱりそこそこ暑いですけどね。

でも、野菜が……一気に高くなってたよ~~(´д`|||)









※※※※※※※※※※※






8月29日(金)




その朝は割とまともな時間に目覚めることが出来た。といっても8時は過ぎていたが。
ブラインドの隙間から零れる朝陽によって自然と目が覚めたのだ。
目が覚めると眼前には直樹の整った顔があり、毎度のようにドキドキする。
昨夜だってこれよりも近い距離で目一杯愛されたというのに。

「そろそろ朝ご飯つくるね? 今日こそは……」

そういって直樹がしっかり抱え込んでいる腕をほどこうとするが中々離してくれない。寝たふりをしているがどうやら起きていたらしい。
手が怪しい動きを始めている。

「………入江くぅん」

少し拗ねたような甘えたような声で懇願すると、今日はあっさりと解放してくれた。

若干、琴子の足腰は覚束ない様子ではあったが、昨夜は直樹がそれなりに自重したために動けないほどではない。

お陰でちゃんと朝食を作り( 塩結びと味噌汁、そして定番の殻入り卵焼き) 、洗濯をし、掃除をしてからの勉強タイムであった。

今日は1日直樹に勉強をみてもらう、という約束だったのだ。
昨日最後に寄ったのはハーバーランドの書店である。そこで琴子の国試対応の問題集や参考書を選んでもらい、できれば教えて欲しいと頼んだ。

「あ、あ、忙しいよね。論文とか、入江くんも色々勉強しなくちゃならないだろうし。うん、もうこの問題集買ってもらっただけで大満足だから大丈夫だよっっ」

いや、買っただけで満足するな……

本当に買っただけで終わる危険性は十分あったし、忙しいといいつつ琴子を抱き潰すことで休みの殆どの時間を費やしてしまっているという贖罪の念は一応あった。いや、ベッドの傍らに常に問題集を置いて身体に学習させてはいたのだがーー流石に1日くらいはきちんと琴子の勉強を見てやらねばと昨夜は自戒したのだった。


というわけで、朝からみっちり勉強である。ここ数日は随分と甘やかしてくれた直樹だったが、勉強となると手は抜かない。相変わらずのスパルタできっちり頭に叩き込まれた。
いつのまにか昨日買ったばかりの参考書にはあちこちに事細かく解説のついた付箋やら蛍光ペンのチェックが入っていた。
直樹が自分のために時間を費やしてくれている。
それだけで琴子は大感動だ。
教え方が上手いのも事実で、琴子が記憶しやすいように面白い引用や比喩を巧みに使って、ややこしい専門用語もすんなり記憶できた。


「はぁ~~~めっちゃ賢くなった気がする。あたし、明日が試験だったら絶対合格出来そうなのになーー」

「あと半年維持してくれ」

休憩タイムになり珈琲を飲みながら平穏な時間を過ごした。

「少し曇ってきたね。台風、今どこだっけ?」

「確か奄美の辺りじゃなかったかな。どうもこっちに来そうだな、今度のは。またおまえの念で追っ払えよ」

「ええーっ 無理~~」

パソコンで天気をチェックしていた直樹が「この分だと日曜にこの辺来そうだな……」と顔をしかめる。

「………帰る日だね。新幹線動くかな………」

「下手すりゃ縦断コースだからな……上陸すれば少しは速まるだろうが……今のところ予定じゃ日曜の夜だから、早めに帰れば大丈夫じゃないか?」

「………そっか。早めに……ね。……そうだね……」

琴子の声のトーンが少し小さくなる。

「どうせ、日曜からおれは仕事だから見送りとか出来ないしな。なるべく早いうちに出た方がいい」

「うん。わかってるよ。……あたし一人で帰るから大丈夫。荷物も少しずつ片付けないとね……」

「新幹線は指定券買ってあるのか?」

「ううん。ーーまだだよ……」

もう帰りの日のことを考えねばならないのだと思うと、胸がだんだん苦しくなってくる。
それを振り払うように、くるりと振り向いて「さ、勉強の続きしよっ」とにっこりと微笑む。ガラス越しに映っていた琴子の表情は、今にも泣き出しそうだったけれど。







* * *







「色々お世話になりました。何度もご迷惑かけてほんと、すみませんでした」

かなり涼しくなった夕方になってから琴子は直樹とともに病院を訪れていた。

「あらあら。わざわざありがとね~~どう? 入江先生とまったり過ごせてる?」

昨日ハーバーランドで購入した菓子折を持って救命の医局を訪れた琴子は、一人ソファの上で仮眠していた姫子にまず挨拶をした。

「お陰さまで。皆さんが入江くん呼び出しかけずに居てくれたのでのんびりと過ごせてます」

のんびりと言うのは語弊がある。
とはいえ、がっつり抱き潰されてます、とも言えない。

「まあ、なるべく呼びつけないようにはしようと何となく暗黙の了解はあったけどね。実際、猛暑もやわらいだせいかそんなに急患も多くなかったしね」

「よかった~~~ふふ。救急車のサイレンが聴こえる度に入江くん、病院の携帯確認してましたよ」

心から安堵した表情の琴子に、姫子も微笑んだ。

「入江先生は一緒に来てるの?」

「あ、はい。小児外科の方に用事があるみたいで」

「どうせこっちに来たら仕事引きずり込まれそうってんで避けたんだろ?」

「必要なら呼びつけられるだろうって」

平日で、ある程度スタッフが揃っているうちに病院に挨拶に行きたいと云った時、直樹も小児外科の研究室に用があるとついてきたのだ。夕方なので時間外玄関口から訪れ、そのままエレベーターホールで別れたあとは、琴子はまず入院中の圭子を訪れた。
圭子も月曜くらいには退院できるらしい。弁護士が昨日きて今後のことをあれこれ詰めたようだ。
病院に来ていたマスコミもすっかり居なくなり、Kカンパニーの報道もされることはなくなった。
警察には退院してから一度は出向くことになるだろうけれど、絶対不起訴にさせるからと弁護士は自信があるようだ。

紀子にお薦めされたパンダイの就職の件も、わざわざ東京の本社から会社案内と中途採用面接の書類が届いたらしい。

「ほんま、冗談やなかったんやね……」と圭子は呆然としてしまったらしい。

「なんや入社したら社宅に入れてもらえるようなんよ」

「良かったですね~~」

「でも、受かるかどうかはわからんみたいやわ。採用に関しては最終的には人事部の判断まかせらしいし」

パンダイ社長夫人のお墨付きがあってなお落とすことができる人事部長がいるだろうか?

「絶対大丈夫ですよ! 圭子さん、頑張り屋さんだもの」

琴子の後押しに圭子も漸く少し微笑んだ。

「………琴子、東京帰っちゃうんか?」

母の傍で過ごしている広大が、琴子にまとわりついて寂しそうに見上げた。

「うん。明後日には帰るんだ。明日は色々と忙しいので今日のうちにお別れの挨拶しておこうと」

「また来るんか?」

「……うん……そうだね。すぐに来れるかどうかは解らないけど、来年国家試験に合格したらこっちに住むと思うよ」

「やったぁーー。ほな、琴子。ぜっったいに合格するんや!」

「もっちろん! ぜーったい合格するからねっっ」

広大の絶大なる応援を受けて琴子もガッツポーズをとる。
それでもこれでしばらく会えないからと、琴子にへばりついて離れたがらない広大とひとしきり遊んだあと、涙ながらに別れを告げて病室を出た。

そしてその後に救命の医局を訪れたのだ。
佛円や他のメンバーは皆、ICUやHCUにいるという。

「……各務先生も……?」

「ああ。あいつは出張かな。雑務が多いからな」

「そうなんですね。各務先生には入江くんのことちゃんとお願いしておきたくって」

直樹が聞いたら余計なお世話だとむっとされそうだが。

「伝えておくよ。あいつ、入江先生とあなたのこと、結構気にしてたからね」

このまま他の人たちと会えずにお別れするのは少し残念だが、もし来年この病院に来ることが出来たら会うこともあるだろう。

琴子は少し姫子と話したあと、救命を後にした。






「くるみちゃん、元気でね~~」

「入江先生のことはうちに任せとき」

「任せるようなことは何もないからっ」

直樹を小児外科に迎えにいく前に、つぼみクラブに寄って片瀬主任とくるみにも別れの挨拶をする。
相変わらずのくるみの軽口に冗談と知りつつも突っ込んで、くすくすと笑いあった。
ボランティア自体は短い期間だったけれど、色々なことに巻き込まれて、随分長い時間を過ごした戦友のような気さえする。

「レポート、なかなか良かったわよ。アンケートで利用者の忌憚ない声も聞けて色々参考になることも多かったわ。卒論、頑張って。川嶋先生によろしくね」

片瀬から励まされて琴子も不安だった卒論に自信が少し出てきた。すっかり忘れていた卒論指導の川嶋教授の手厳しい毒舌も思い出してしまったが。

「9月に入ってすぐ介護施設でのインターシップもあるんだったわね。頑張って。あなたなら大丈夫よ、きっと」

「はい! ありがとうございます!」

「……これ以上、妙なことに巻き込まれないよう、祈ってるわ!」

「…………はい………」

真顔で肩をがっしり掴まれて、琴子もひきつり笑いを返すしかなかった。








「琴子。挨拶はすんだか?」

つぼみクラブの託児室から出ると、併設している小児科の病棟から直樹が歩いてきた。隣には楡崎教授もいた。

「あ、うん……」

琴子はペコリと教授に頭を下げた。

「入江くんがお世話になってます。妻の琴子です」

何度か姿を見かけたが、漸く挨拶ができた。

「うんうん。話はよく聞いてるよ。もう帰っちゃうだってね。確か斗南は夏休み9月の半ばまでじゃなかったっけ?」

近所のお爺ちゃんが散歩の途中で話しかけるように気さくに琴子に話し掛けてきた。

「9月に入ってすぐに他にもインターシップがあって………」

「そうか。残念だな。君がいると入江くんもなかなか人間らしくなって面白いんだが」

「ええ? 面白い? 面白い? 面白い!? 入江くんがですかっっ!?」

直樹を評する形容詞としては今だかって聞いたことのない単語に、思わず琴子は大声で叫んでしまった。

「い、入江くんの何処が~~~」

「琴子っっ」

ネクタイで首を絞めかねないくらいの勢いで教授に迫っていく琴子を直樹が引き剥がす。

「……まさか…モノマネとか隠し芸とか……あたしの知らないネタを持ってたの!?」

「あるか、そんなもんっっ」

「いやいや、やっぱり君も面白いな……」

教授がくつくつと肩を震わせる。

「入江くんは優秀だが、意外とルール違反を何度も犯してね。本当はいけないことなんだが何だか意表を突かれた感じでそれが妙に人間臭くて面白いと思ってしまってね」

「え? ウソっ! そんなの絶対嘘です。入江くんがルールを破ったりなんかーーあ」

唐突に看護科合格デートで夜こっそりと勝手に井の頭公園のボートに乗ったことを思い出した。
意外と大胆なとこあるんだ、と驚愕と感動を覚えたことを。

「前科はあるようだな」

教授が楽しそうに直樹の顔を窺う。

「………えーと」

「彼がこの病院に来て犯したルール違反は二つ。一つは院外で患者や患者の家族に会ったこと。もう一つは患者の情報を部外者である君に話したこと」

「……それって奈美ちゃんのこと?」

琴子はきょとんとした瞳で直樹と教授の顔を見比べる。
直樹は苦虫を噛み潰した表情をしながら琴子に説明をする。

「基本、医療者は守秘義務があるから、例え家族であっても患者の病状や個人情報をべらべら喋ってはいけないんだ」

「え、あ、そーいえば…………あっあっでも入江くんがあたしに話してくれたのは、あたしが変な誤解したからでっそれで仕方なくなんです。入江くんは好きで話した訳じゃなくって。すみませんでした!」

慌てて深々と頭を下げる琴子。

「公園で奈美ちゃんのお母さんに会ってたのも、奈美ちゃんに手術了承してもらう為に色々考えがあってのことで……」

「琴子、そのことはもういいから」

直樹としても教授にはつい本音を伝えてしまってあるのでこれ以上突っ込まれたくない。
だからこそ教授の琴子への興味が絶大になってしまった訳だが。

「そうそう。このことはもう解決済みだから気にしなくていいよ。椎名さんにも理解してもらったしね。終わり良ければ全てよし。君のお陰であの子は手術を了解してくれて無事治癒出来たんだから……ただ今回は何の問題もなかったが、色々と難しい患者さんも多いからね」

「あの時はすみませんでした」

直樹も深々と頭を下げる。

「院外で会ってた件は他の先生に見られてバレたんだが、守秘義務違反は自分から私に謝罪にきたからね、彼は。わかってて奥さんに話したんだよ。きっと君が暗躍することを期待してたんだよ」

「別にしてません。誤解されたままだと色々面倒だから守秘義務違反だとわかってて琴子に話したんです。こいつが真っ先に奈美ちゃんに会いにいくなんて想定外でしたよ。……想定するべきでしたが。
琴子、おまえはナースになっても自分の担当患者のことおれにべらべら話すんじゃねーぞ」

「ええ? それは難しいかもっっ」

絶対すぐに入江くんに相談しちゃう~~

と青ざめる。

「ルール違反はしないに越したことはないんだけどね。入江先生はそういうタイプではないと思ってたから私も意外でね。というか、彼のそんな意外過ぎる行動はみな根本は奥さんに影響されてるということが分かって、それが興味深くて。だから君と会ってちゃんと話してみたかったんだよ」

………決して患者さんの不利益になるようなルール違反は犯さない。
君たち二人はその点は大丈夫だろうと思うよ。
あ、でもルール違反を推進してる訳じゃないからねーその点は誤解なく。

そういってふぉっふぉっと楽しげに笑う。

「もう、会う前にいろんな噂が伝わってきて……いや、ほんと飽きないよね。なんだか大変なことに色々巻き込まれたみたいだけど、大丈夫ですか?」

「え、あ、はい」

琴子も恐縮して首を縮める。

「奥さんには申し訳なかったなーと。一度ちゃんと謝りたくってねぇ」

「え? あたしに? 謝る?」

琴子が不思議そうに首を傾げる。

「君の旦那さんを神戸にスカウトしちゃったこと」

「え、あー。それは……はい、確かにちょっと恨んでました……」

えへっと頭をかく。

「ははは。正直ですね。君のような奥さんがいたから彼はなかなかうちにくることに色好い返事をくれなかったんですねぇ」

「………え」

「来年国家試験に合格したら神戸に来るそうだね。頑張ってください。そして、早く彼の傍で支えとなってあげるといい。入江先生は稀に見る優秀なドクターですが、彼には医師として欠けている部分があってねーーそしてそれの欠落は実に医療者としては致命的なことなんだがーーそれをしっかり補う存在として君はかなり重要で必要不可欠なキーパーソンのようだ」

そういってぽんぽんと琴子の肩を叩くと、教授は楽しそうに黄門さまのように豪快に笑いながら、すたすたと歩いていってしまった。


「……… 入江くんに足りないとこなんてあるわけないのに……ちょっと何気に失礼だわっ」

琴子が少しばかり憤慨して、不思議そうにいつまでも教授の背中を見つめている。

「………あるよ」

「え?」

「おれにはなくて、おまえは持ってるもの」

「えーーー? 何? 何? 何?」

「いわない」

「えーーケチーー!」

頬を膨らませる琴子の顔を両手で挟み込み、ぺしゃっと潰す。

「さあ、帰るぞ。明日は荷物を送り返さないとな………」

「うん、あとね。覚えてる? 明日……」

「花火大会だろ? 覚えてるよ」

「 へへ、よかったーーでも台風大丈夫かな……」

予報では日曜だが、風が強まってくれば中止の可能性もある。

「さあな。おまえのパワーで大丈夫なんじゃないか?」

「だから、あたし、そんな超能力持ってないってばぁー。………え? あ、もしかして! 入江くんになくてあたしが持ってるって、超能力!?」

「あほっ」

直樹はずるずると琴子を引き摺って病院から出ていった。
出た途端にふわりと赤とんぼが鼻先を掠めた。

「あ………」

秋の気配は、そこはかとなく寂しさを増殖させる。

「……帰ったら荷造りな」

「はーい………」

現実的な直樹の言葉に、素直に返事を返して空を見上げる。
台風の気配はまだ感じられない夕刻の空は、オレンジと紫に染まった棚田のような雲によってぴっしりと覆われていた。雲間から零れおちる僅かな陽の光はさながら宗教画のようで、悲しいくらいに綺麗だった。






※※※※※※※※※※




お盆休み中に最終回まで一気に書きたかったのですが……結局無理でしたorz
何処にも遠出もしてないのに、なんだかんだ忙しかったです………(*_*)
さーて、あと二話くらい……かなぁ?


休みって本当にあっという間だよね……(鬱)







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* by なおちゃん
花火大会もいいけど!台風で一日ぐらい神戸から帰るのを、遅れちゃえばいいのにね、まだまだ入江君のそばにいたい琴子ちゃん?入江君も一緒かいやそれ以上かもしれないけど、早く国家試験が受かって入江君のいる場所に行ければいいね。

Re.マロン様 * by ののの
コメントありがとうございます♪

締めに近づいてきたのでとりあえず、フルキャスト出しておこうかと思いつつ、オリキャラ多すぎで色々後悔してます(((^^;)
でも彼らのお陰で濃い1ヶ月になったかな?

琴子の存在がどんだけ重要かはこの2ヶ月で思い知ったんでしょうね。自分の選択が間違いだったとは認めないだろうけど。
でも今時間が巻き戻ったら違う選択してたかも……(でなきゃかがみんや姫子さんやかをる子さん出した意味ないわー)

花火……無事見れるかな…(今、絶賛続き書いてますが、まだ会場に辿り着いてない……(-_-))

Re.heorakim様 * by ののの
拍手コメントありがとうございました♪

はい、確かに『心身』ともに(爆)!
入江くんのような家庭教師いたら……勉強に集中できない気もするな……琴子のようにがむしゃらに頑張る子なら教えがいもありますよね(^_^)

Re.まる様 * by ののの
拍手コメントありがとうございました♪

『最高デス』の一言、嬉しいです!!

Re.なおちゃん様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

ほんと、そうですよねー。翌日から予定がつまっている琴子ちゃんは帰らないわけにはいかにいという……さて、この台風は何か最後の最後でトラブルを呼ぶのでしょうか?
いまだに迷走しつつ続き書いておりますのでお待ちくださいませ(((^^;)




個別記事の管理2017-08-06 (Sun)



※※※※※※※※※※※







「……………琴子」

灯りがついて、周りの客もぞろぞろと席を立ち始めていた館内で、直樹は声を殺して啜り泣く琴子を自分の肩に寄せて、優しく背中に手を回す。

「あ、あ、ごめんね。シャツが涙でグシャグシャ……」

「いいよ」

「あ……鼻水も」

「…………いいから……」

忘れていた訳じゃない。
もうあと3日しかないということをーー。

言葉にした途端に、考えまいと封印していた想いが溢れかえってしまったらしい琴子。
しばらく涙が落ち着くのを待っていると、係員が席を立つように誘導してきた。

「申し訳ないですが、もう少しこのままで……次の回が始まるまでには出ていきますので」

直樹がそう云うと、琴子は慌てて顔をあげて「あ、だ、大丈夫です! 入江くん、もう行こう! 時間が勿体ない!」と、涙を手の甲で拭うと、直樹を促すようにすっくと立ち上がる。

「琴子」

「お腹空いちゃった。なんか食べに行こう」

まだ赤い目をしているが、にっこりと笑って直樹の手を引っぱった。






「いいのか? こんなとこで」

入ったのは全国チェーンのハンバーガーショップだった。

「うん。昨日からゴージャスなものばっか食べてるから、ちょっと口が庶民的なもの求めてるの」

ディナークルーズのフルコースとホテルのモーニングビュッフェを食べただけなのだが。(その前日はコンビニ調達のおにぎりだのパンだの)

「それにね、ほら、この、ハンバーガー入江くんの買ってきてくれたヤツなんだよねー。覚えてる? 井の頭公園でボートから落ちたあとで………」

「覚えてるよ」

「昔から好きだったけど、あれから格別に大好きになったの。ここのハンバーガー」

琴子は映画館を出たあとは、泣いたことなど忘れたように、いつも通りにひたすら喋り倒していた。映画の感想から豪華客船の話になり、タイタニックの話になりーー

そこからボートから落ちたことを思い出したのか、帰着点がハンバーガーとは琴子らしい連想ゲームだ。

「ぷ。ケチャップが付いてるぞ。子供みたいだな」

琴子の口の端についたケチャップを直樹が指先で拭いとり、ペロリと舐める。
途端に琴子の顔がぽんっと赤くなる。

(…………ゆうぺはもっとスゴいとこ舐めてるだろ……)と内心思わずにはいられないが、日常の衆目の中でのこんな行為はかなりの萌えポイントなのだとは、直樹にはわからない。
そして唇ごとかぶりつきたい衝動を、かなりの理性を、直樹が総動員して抑えつけているのだと、琴子は知るよしもない。

そのあとはお店を見て回りたいという琴子に付き合ってブラブラとハーバーランド内をウィンドーショッピングをしながら過ごした。

「きゃー可愛いーカップ。あ、この食器のセットもいいなー」

「女ってこーゆーの好きだよな」

琴子が「ここ覗いていい? 」 と指差したのはお洒落な雑貨屋だった。
ファンシーな雑貨やファブリックのひとつひとつに大袈裟なリアクションをする琴子に呆れつつも、普段なら決して一人で入らないような店の中の、雑多でカラフルな品々を物珍しげに直樹も眺めた。

「ふふ。なんか、こーゆーの憧れてたんだよね。結婚して二人で新しい生活のためのあれこれをお買い物するの。ペアのグラスや食器や……キッチングッズに、ちょっとしたインテリアなんかも……ね? このクッションも素敵~~あー、このカッパとカエルのマグネットも可愛い~~」

「………ピンクのハートが飛び交うクッションは趣味じゃないし、冷蔵庫にマグネットでメモを付けるのも無しだな」

趣味ではなくても、実家のメルヘンな寝室も受け入れてしまっていたので、結局自分はたいしては拘りはないのだと思う。だがもし琴子と二人で選んでいたらきっと自分の好みを押し通していただろう。新婚時代は特に、自分でも振り返ると疎ましく感じるような青さがあったのは確かだ。

「そーだよねー。でも、二人で妥協点を探しながら買い物するのが楽しいと思うのよ」

結婚してもそのまま同居だった為に、二人で何かしら新婚生活のための準備をするということは全くなかった。
あれこれ仕度を調えてくれた紀子に感謝はしていたが、今思うと少しは色々と二人で相談し合って揃えていきたかったかも、と琴子はほんの少し思うこともある。

「入江くんが神戸に単身赴任するとき、せめて引っ越しの日くらい付いていって、新生活のお買い物に一緒にしたかったなー」

ちょっと残念そうに呟く琴子。

「たいして準備なんかいらないし、適当に揃えていくからいい」ーーと、手伝いたいという琴子の願いをあっさり断ったのは数ヵ月前の春だった。
琴子も強く申し出たりはしなかった。

「うん、わかった。あたしが行っても引っ掻き回すだけで作業なかなか進まないかもね~~」と、ぺろりと下を出して案外あっさりと引き下がった琴子。
あまりにも忙しなくバタバタとした引っ越しだった為と引かれる後ろ髪をばっさり断ち切りたいという自己都合の想いから、妻のささやかな願いすら拒否してしまったのだと、今さらながら胸に突き刺さるものを感じた。

「おれの部屋にこんなファンシーなものは要らねーぞ」

「うん、わかってるよー。ほら、こんなシックな木製の時計とか、この金属のフォトフレームとか入江くんちっくでお洒落なインテリアだと思わない? あと、もうちょっと植物とか飾ろうよ。緑は癒しになるのよー。入江くんの部屋って殺風景すぎるもん」

「植物なんて世話できないから枯らすだけ。部屋なんて寝に帰るだけだから必要最低限のものだけで十分だし」

「このエアプランツとかサボテンとか、放っておいても大丈夫だよ」

ちょっとした玄関先や窓辺に飾るようなインテリア小物を楽しそうに物色している。

今ある食器も日用品も近くのホームセンターで揃えたものだった。食器などはほぼ無地の白いものばかりだ。それでも購入時には琴子が来ることを考えてペアで揃えてはあったのだが。
確かに味気ないものばかりだ。
母親の趣味で華美な装飾に溢れた実家のものへの反動かもしれなかったが。

「好きなの買えば?」

そう云ったら「ホント?」と嬉しそうにいそいそとガラス小瓶に入ったエアプランツやフォトフレームやインテリアアクセサリーを選んで篭に入れ始めた。
レジで自分で財布を出そうとした琴子を止めて、「おれの部屋のもんだから」と直樹がカードを出す。

「えー、でもあたしが勝手に選んだのに」

少し困ったように琴子が直樹を見上げた。
本気で直樹に払ってもらうつもりはなかったようだ。

「あー、じゃあこっちのフォトフレームとマグネットはあたし払う。あたし東京に持って帰って使うから」

と、ふたつ買ったうちのひとつのフォトフレームを律儀に選り分けようとする琴子を制して、「全部まとめて」とカードを出して精算する。

「きゃー入江くん、ありがとう! 嬉しい」

「それくらいで喜んでもらえてどーも」

全く欲のない妻に呆れつつ、買ってもらった商品の入った紙袋を大事そうに抱きかかえる琴子に目を細める。

「あーゆーのはいいのか?」

ふと目に留まったレジ近くのスペースの、アクセサリーのコーナー。
色とりどりの石が連なったエスニックなネックレスやイヤリング、ピアスなどが雑多に並んでいた。
何にせよ雑貨屋のヒカリモノだ。高校生が小遣いで買えるようなチープなアクセサリーであるが、琴子が真っ先に飛び付くかと思ったら意外とスルーで拍子抜けして、思わず直樹から声をかけてしまった。

「え? 買ってくれるの?」

驚いたような顔がすぐに花開いたような笑顔になる。

「あげない」

「だよねーー」

特に残念そうでもなく、ふふっと笑って少しの間「あ、これ可愛い~」「あ、こっちも好き」などと呟きつつ、ネックレスを物色していたが、結局どれも選ばずに店から出た。

「いいのがなかったのか?」

直樹が問うと、
「ううん。そういう訳じゃないけど。今日はこっち買ってもらったからもう十分満足なの~~」と、雑貨屋の紙袋を見せて幸せそうに笑う。

そんなの日用品だろう、と内心突っ込みながら、直樹はこの近くに宝石店があったどうか脳内マップを検索していた。
琴子に婚約指輪と結婚指輪以外の宝飾品をプレゼントしたことは一度もない。
出来れば初めて贈るものはそんなチープな雑貨屋のアクセサリーではなく、きちんとジュエリーショップで購入したいと思っていた。自分できちんと稼いで、それなりのものを吟味して選びたいと。

「アクセはね、どうせ実習中はつけないし、よく失くすからなるべく買わないようにしてるんだ。そして、いつか一人前のナースになったら入江くんからプレゼントしてもらうのが密かな野望なの~~」

「…………密かなって……喋っちまったじゃん」

「えへへへ」

野望って………

今から買ってやろうかと算段仕掛けたのに、完全に出鼻を挫かれた。

ーーこれはもう、琴子が一人前になるまでお預けだな……って、いつのことだよ………

直樹は心の中で嘆息する。



「そろそろ帰ろうか……」

まだ夕暮れと呼ぶには早い午後の時間だった。何軒かのショップを冷やかしたあとはお決まりの本屋でかなり長い時間を過ごした。琴子はここでは国家試験対応の問題集や参考書を選んでもらい、「ええっこれも買ってくれるの~~? すっごい、入江くんにいっぱいプレゼントされちゃったよ!」と嬉しそうに笑ったあとだった。

「足が疲れたのか? 」

「うん。大丈夫。こうやって入江くんと特に目的もなくぶらぶらとウィンドショッピングしながら歩くことなんて初めてでしょ? それだけで楽しかったから」

えへっと笑う琴子。

「今夜こそ、あたしにご飯作らせてね。もう、あと何回も出来ないんだし………」

言ってしまってから、自分の言葉にはっとして、思わず目を伏せる。

「じゃあ、任せるよ。食えるもんつくってくれよな」

「えー、だ、大丈夫だよー。ほら、ちょっとはあたし上達したと思わない?」

すぐに沈んだ気持ちを払拭して直樹の軽口にいつも通り頬を膨らませて応える琴子。
たまらなくいとおしくなって、直樹も早く部屋に戻りたいと思う。
いや、だがここはちゃんと琴子が夕飯を作って一緒に食べるまでは待たなくてはなと自ら戒める。

ハーバーランドの外に出ると、微かに熱をもった潮風が頬を撫でた。

「やっぱ、まだ暑いね~~」

台風のせいで風が強い。靡く髪を疎ましげに払いのけたあと、琴子が何か言いたげに直樹を見上げる。

「なに?」

「あのね。入江くん。写真撮りたい。二人一緒の」

「昨日も船で撮ったじゃん」

念のため持ってきたデジタルカメラで一枚だけ通りかかった二人組の女子に頼んで甲板で撮ってもらったのだ。
夜の海とハーバーランドの夜景をバッグにして撮った一枚は、直樹がとても格好よく写っていてそれはいいのだが、何故か琴子の姿が半分見切れていたのだ。
ホテルに戻ってから画像チェックした琴子は「絶対これわざとよね!」と憤慨していた。

ちなみにまだデジカメは普及しはじめたばかりで画素数も少ないが、新しもの好きの紀子のお陰で最新モデルを借りてきていたのだった。
カメラを持ってきても写真嫌いの直樹と一緒に撮れるか自信はなかったが。

「もっと沢山撮りたいの~~。神戸の思い出を切り取っておきたいの」

「そーいえば、さっき買ったフォトフレーム、5枚くらい写真入れられるヤツだっけ」

「 へへ」

琴子も同じフォトフレームを買っていたから、同じ写真を同じように部屋に飾って欲しい、という意味だろう。

「ダメ?」

と甘えるように訊く琴子には何も答えず、直樹は横を通りすぎていったカップルに近づくと「すみません」と声をかけた。
カップルなら恐らく大丈夫だろう。そして男性の方に手渡す。
デジカメの使い方を簡単に説明すると、「へぇースゴいな」と物珍しげに覗きこんで構えてくれた。

「ほら、琴子。ここでいいのか? 撮ってもらうぞ」

「え、え? いいのぉー?」

海を背景にして二人並んだところを撮ってもらった。
直樹に肩を引き寄せられ、ぴったりと密着した感じは昔初めて撮ってもらった構図に似ていたが、今回はイタズラな台詞は呟かれることなく、しっかりと二人並んだカメラ目線の写真を撮ることが出来た。

出来上がりの写真をその場で確認しながら琴子はにまにまが止まらない。

「デジカメってすぐ見れて便利~~」

「家帰れば、パソコンですぐプリントアウト出来るぞ」

「きゃー早く帰ろう!」

琴子は直樹の腕に巻き付いてテンション高くおねだりしたのだった。







※※※※※※※※



なかなかデートが終わりませんでした(((^^;)

出来ればもうちょっと進めたかったのですが、今週末は忙しくて断念(ーー;)


本日はソウさまと西からわざわざ名古屋までいらしてくれたmさまとLaLa展に行って参りました(//∇//)
楽しかった~~
そちらのレポは(レポというほどのモノではない)別ブログで呟いております。

ああ、入江くんにきゅうり水飲ませたい………(^w^)なんのこっちゃ笑




ここのお話でも台風が近づいてますが、これから台風がやってくる地域の皆様、お気をつけくださいね。何事もないことを祈っております。







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* by なおちゃん
楽しそう入江君と二人きりのデートもうすぐ終わっちゃうのは寂しいのは琴子ちゃんだけでなく入江君も寂しいんだよね?この後どんな展開になるのかな琴子ちゃんがナースの試験が受かり入江君と同じ神戸で働けるのか個人的にはいりえくんと同じところで働かせてあげたいけど❓原作は別々なんだよね?結局しびれを切らした琴子ちゃんがいる東京の病院に戻るんだけどね?

Re.マロン様 * by ののの
コメントありがとうございます♪

帰る三日前って寂しさMAXですよね。きっと入江くんが神戸に旅立つ前もそんなんだったろうなーでも忙しくて直樹も構ってる時間もなかったろうなーなどと妄想あちこちに行きつつ書きました。
琴子って物欲ないですよね。だから結婚6年たって初めて何も貰ったことないことに気がつく………
もう、健気な琴子ちゃんに何か買ってあげたくなってしまって悩みましたよ(((^^;)ああ……原作と齟齬が生まれてしまう〜〜と。(あの時はアドバイスありがとうございました♪)

Re.紀子ママ様 * by ののの
コメントありがとうございます♪

入江くんへのお怒り、ごもっともですわ。みんなからあれこれ言われ、琴子もあんなに大変な目にあって………もっともっと大切にしてソッコー東京帰りたい…と片隅では思ってるでしょうけどね。いかんせん、そこは大人だから帰るわけにはいかないし(きっと準備に9カ月必要笑)根っからの気質もあってなかなか素直にはなれない入江くんなのです(素直になるにはあと2年必要……^_^;)
でも、3日後、それなりの成長が見せれたら……(見せれなかったらどーしよーっっ汗)

Re.るなたま様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

猛暑続きに台風の到来。るなたまさん方面はご無事でしたでしょうか。
こんな話でもひとときの癒しになっていれば幸いです(^_^)

一度もオンコールないあたり、かなり救命メンバー、二人を熱く見守ってますね〜〜余程人手が足りなくなる時以外、入江を呼び出すな、という暗黙のルールが存在しているかも……そう思わせるのも琴子の人徳笑
さてあと数日。別れまでもうすぐ……琴子ちゃんの寂しさも募ってますよね………

お気遣いありがとうございました。るなたまさんもご自愛くださいね。

Re.なおちゃん様 * by ののの
コメントありがとうございました♪

そうですよね。楽しい時間はすぐ終わってしまいます。あとはもう帰る日が刻々と迫っております。
はい、このお話、一応原作のスキマなので、原作と同じ展開です。入江くんが東京に戻るのはまだ9ヶ月先なのです。(でも、きっともどる可能性考えて、この辺りから段取りして習得すべき研修を詰め込み初めているに違いない笑)


Re.水玉様 * by ののの
コメントありがとうございます♪

そうなんです!LaLa展行って来ました。去年水玉さまが行ったという記事見て以来、いつ名古屋にくるかもう心待ちにしてたんですの。ソウ様にソッコー連絡しちゃいました。楽しかったです(^_^)

へへ、そうですか? そんな風にいって貰えて嬉しいです。近所のプレゼント御用達の雑貨店イメージしながら書いたんですが、名古屋のお洒落でセレブな雑貨屋さんみて、ハーバーランドならこっちだよなー、と思いつつもう書いてしまったので修正しませんでしたが。

ええ、琴子になら何を汚されてたって構わない直樹さんです。
ほんとにね、スキマということを忘れて東京に戻したくなくなっちゃうし、直樹さんデレ100%にさせたくなってしまいます^_^;
神戸の話は原作じゃほぼスルーだったんで、デートさせてあげれてよかったですよ。(でも私が神戸を知らないのが苦戦の要因笑)

ほんと、この夏の天候には毎日はらはらですね。これ以上大きな災害がなければよいのですが。お互い頑張って夏を乗り切りましょうね。水玉さまが頻繁に更新されてるのをみて、私も頑張らなきゃ、と励みになっております!