梅雨色風景 第三景



20040707 ~やっぱり、傘はひとつだけでいい。




暦が文月となってはや1週間。
1年の半分があっという間に過ぎたと思ったら、まだ明けてない筈の梅雨空も、ここ数日は鳴りを潜めて、真夏の灼熱の空に支配を譲っていた。
年々早まる猛暑日はすでに幾度か記録が塗り替えられ、朝から既に気温は高く、突き抜けるような青空は、ついうっかり今がまだ梅雨であるということを失念させてしまいーー



そしてーー。
唐突にぽつりぽつりと降ってきた雨を掌に受けとめながら、彼女は呟くーー。

「傘、忘れちゃった…………」





「朝、あんなに天気よかったのにねぇ」

「そうだよねぇ」

「もしかして、夜、おりひめさんとひこぼしさん、会えない?」

「うーん、多分通り雨みたいな感じだから、すぐ止むと思うんだけどなー」

「夜は晴れるかなー? 天の川見られる?」

「天の川は晴れてても見えないと思うけど……きっと織姫さまと彦星さまは会えるよ」

「ほんと?」

心配そうな琴美の顔がぱっと晴れやかになる。
琴子は娘の手を握りながら、「きっと止むよ」と、恨めしげに突然青空を覆い隠した真っ黒な雨雲を見つめた。

今日は琴美の幼稚園の七夕会だった。
午後から幼稚園に赴き、一緒に七夕飾りを作り願い事を短冊に書いて、園庭に立て掛けられた大きな竹に飾り付けた。
子供たちの織姫彦星の寸劇を観たり、歌を聴いたりしながら、あっという間に過ぎた時間だった。

こうした行事のある日は親子で帰宅が基本だ。
普段はバス通園なので、琴美は母と電車を使って帰れるのが楽しくて仕方ないようだ。
もっとも殆どの親子が車で帰園していた。
ベンツやBMWで帰宅時は道路が渋滞していたくらいだ。
入江家も本当は、紀子が迎えにくる筈だった。
出掛ける直前に親戚の訃報が届き、迎えに行けなくなったと琴子の携帯に連絡があったのは、殆どの親子がすでに帰園し、二人きりで幼稚園の園庭で紀子の迎えを待っていた時だった。

もう少し前なら誰かの車に乗せてもらうということも可能だったが、手遅れだった。すでに残った親子は琴子と琴美のみ。

「電車で帰る?」

と琴子が訊ねると、琴美は嬉しそうに「電車のるーっのりたーい!」と答えたのだった。

僅か二駅だったが、琴美は楽しそうに車窓の風景を眺めていた。
帰宅ラッシュには少し早かったせいで、席がひとつ空いていて、琴美を座らせた。
初めてというわけではないから、きちんと乗車マナーも守って大人しく座っていた。次の駅でお年寄りが乗ってきたら、すぐに立ち上がって譲ってあげた。
車内は琴美のお陰でほっこりとした空気に包まれていたが、あっという間に二人の降りる駅に到着した時には、空は随分と厚い雲に覆われ怪しい色合いとなっていた。
そして、段々混雑してきた改札口を琴美の手をしっかり握って抜け、駅舎から一歩出ようとした途端に、大粒の雨が琴子の頬に当たった。


傘は持っていない。
いや、一応梅雨時だし、天気予報も夕立の可能性は高いと云っていたので傘は持っていくつもりだった。
つもりだっただけで結局忘れた。
何年たってもその辺りの学習能力はないのだ。

「あ、みーちゃんはカッパがあるかも」

琴子は琴美の通園バッグをごそごそと探す。

「あーあった」

小さくコンパクトに畳まれたビニールを広げると、黄色い地に緑のカエルのキャラクターがたくさん張り付いたキッズ用レインコートとなった。

「梅雨時はお散歩出掛けた時に突然降られちゃうかもしれないから合羽を携帯させてくださいねーってことだったけど、良かったねーー」

「うん!」

とはいえ、琴子には何もない。
雨は大粒だが、まだそんなに激しくは降りだしていない。琴美にレインコートを着せてあげれば自分は傘なしでも大丈夫かな? と空を見つめる。

駅前のタクシー乗り場は突然の雨のせいであっという間に行列ができている。
雨が降っていなければタクシーを使うには申し訳ないような距離だ。
琴子には最初からタクシーに乗ろうなどという選択肢はなかった。

「走って帰る?」

「えー、ママ合羽は?」

「ママは合羽ないの」

「じゃあ濡れちゃうよー」

「うーん、でもまだそんなに沢山降ってないから今のうちに……」

そんなことを話しているうちに、少しずつ雨足は強くなってきたようだ。
合羽を着せてもらった琴美はテンション高くくるくると雨の中走り回っている。

「えーい、もう悩んでると雨ひどくなりそうだから行っちゃおう!」

どうせ家に帰るだけだ。
帰ったらシャワーを浴びればいい。
琴子は琴美の手を繋いで、「行くわよー、みーちゃん!」と、雨の中、一歩を踏み出した。


そして、数メートルも行かないうちにーー。


「あ! パパだ~~!」

紺色の大きな傘を差した直樹が、急ぎ足で行き交う人の波の中を縫うようにこちらへ向かっていた。

「入江くん………」

「よお」

「どおしたの?」

「迎えに来たんだよ」

「………へ? 今日は普通に日勤じゃなかったっけ?」

朝いつも通りに出勤する夫を見送った筈である。
琴子は今日は子供の行事だからとシフトを外してもらっていた。こんなとき子持ちは融通を効かせてもらえてありがたい。

「今日は手術だけ。予後も安定してたし、昨日が遅かったから、少し早目に上がらせてもらった。そしたら、おふくろから電話があって、二人を駅まで迎えに行けってさ。多分おまえたち傘持ってないから」

「なあんだ」

仕事の筈の直樹が目の前に現れた時、不思議な既視感に襲われた。
一瞬ーー遠い過去と空間が繋がって、あの日の直樹が此処にやってきたのかとーー。

そんな訳はない。
第一直樹の手には琴美用の小さな黄色の傘があった。

「あれ? 傘はみーちゃんのだけ? ママの傘はないの?」

琴美が不思議そうに訊ねた。
琴子も同感で直樹の顔を伺いみる。

「いいんだよ。パパの傘が大きいから、ママと一つで」

「えーでもみーちゃん合羽あるから傘要らないよー。みーちゃんの傘、ママにあげるよ」

「ありがとう。でもみーちゃんの傘ちっちゃくて」

「そっかあ。じゃあママとパパ、アイアイ傘だね! わーいラブラブぅ」

大きな声で囃し立てる琴美に、周りもくすくすと笑い声をたてながら通りすぎていく。

「さあ、琴美。はしゃいでないで、帰るぞ」

「はーい」

そして親子三人は雨の中、家路へと向かった。




「……それでね、みーちゃんってば短冊に全部同じこと書くのよ? 五枚ともよ?」

「へぇ。どんなこと書いたんだ?」

「あのねあのねあのね。みーちゃんのお願いはねー『いもうとがほしいです』なのー」

「『いもうとをください』、『おねえちゃんになりたいです』『あかちゃんがうちにきますように』『あかちゃんはおんなのこがいいです』」

「おんなじことじゃないじゃん」

「意味は同じでしょ?」

「同じ意味でこれだけバリエーション変えて書けれるなんて、すごいな、琴美」

「へへへ、みーちゃんスゴい~~?」

「確かに、この子、字も上手なの。同級の子達は殆どまだ解読不能で。さすが入江くんの血を引いてるなーって今日は実感したわ」

「ゆーこりんはねぇ、短冊に『 ねがいこと』って書いただけなんだよー」

「先生から『願い事』書いてくださいって云われたから、その通りに書いたんだよねー」

幼稚園児の願い事、面白いのよ。半分も読めないけど!

結構ツボだったのもあったらしく、コロコロと笑いながら話して聞かせる。

「………琴美の願い事が叶うかどうかは琴美次第だよ」

直樹が神妙な面持ちをして娘に告げる。

「えー、どうしたら叶うの~~?」

「とりあえず今夜はおばあちゃんと寝ることかな?」

「えー? どうしてぇ?」

「入江くんっ/////」

琴子の抗議は空しく無視され直樹はさらに真面目くさった風で娘に語る。

「妹を造るには神様に渡す設計図が必要なんだ。夜、パパとママが相談して作らなきゃいけない」

「ふーん。どんなせっけいず?」

「例えば、目はママに似てるとか、鼻はパパに似てるとか。性格はどんな風がいいかな、とか」

「あ。みーちゃんねぇ、お姉ちゃんっこのいもうとがいいなぁ。りんちゃんちのるーちゃんみたいにずーっとお姉ちゃんの後をついてくるの。すんごい可愛いの!」

「わかった。それも設計図に書いておくよ。でも、神様は気紛れだからちゃんと設計図通りに作ってくれることは滅多にないからな。思った通りの妹じゃなくても、いや妹じゃなくて弟でも、もしかして中々生まれなくてもーー神様に文句をいっちゃいけないから」

「うん、わかったぁ」

「とりあえず今夜はおばあちゃんの部屋な」

「うん!」

すっかり娘を丸め込んだ直樹を呆れながら見上げる琴子。

「なんだよ、文句ある?」

少し意地悪そうに、直樹は琴子の耳元で囁く。

「……別にないけど。確かにそろそろ二人目欲しいなーって思ってたし」

「じゃあ家族全員の総意だな」

きっと義母紀子も喜んで琴美を預かってくれるだろう。

妹への期待にテンションが上がったのか、琴美は両親から離れて雨の中、水溜まりを跳び跳ねて遊び始めた。

「………なんか、不思議」

「何が?」

「さっき、入江くんが駅に迎えに来てくれた時、ふっと思い出したの。昔、あの雨の日にあたしのこと待っててくれていてーープロポーズしてくれた日のこと。入江くんの差してくれた傘に入って二人並んで歩いて……ね、ちょうどこの辺りじゃない? 入江くんが突然変なこと訊いて、突っかかってきたと思ったらいきなりひっぱたいてきて、そして突然ーー」

ーーキスしてきたこと。

まざまざと思い出して妄想モードに入りかかったのが分かりやすく顔に出る。

普段は鳥頭のくせして、そんなに細かく覚えていなくてもいいのに。
特に逆ギレして頬を叩いてしまったことに関しては出来れば記憶からすっぱり削除して欲しいのだが、と苦笑する。
若気の至りの一言で済ますには過去の自分の大人気なさに、時折虫酸が走ることがある。
なのに、琴子はすべてを飲み込んで受け入れて、あの日と全く変わらない愛をもって今もなお包み込んでくれる。

「……… 時々思うのよね。あの日、入江くんが駅で待っててくれなかったらどうなってたのかしらって」

「前にもそんなこと言ってなかったか?」

「そうだっけ?」

「そうだよ。鳥頭」

「そっかぁ~~でもね、それだけあたしにとっては大切な出来事なんだよ。人生のき……き……分かれ道ってヤツ?」

岐路と言いたかったらしい。

「分かれ道じゃないよ。道は初めから一つしかなかったんだから」

「え?」

「例え何か掛け違って、あの日におまえにプロポーズすることが出来なくても、きっと必ず何処かでおまえを掴まえたと思う」

「………入江くん……」

いつの間にか雨は小雨に変わっていた。
しとしとと心地よい雨音が、二人だけの空間を作っているようで、傘の外の世界から二人を遮断する。

「 で、そろそろ、例の場所だけど、再現キスでもしたいわけ?」

「そ、そんなわけないでしょっ!」

過去を回顧し、妄想し再現したいと思うのは琴子の定番パターンなのだが、さすがにこの日が高く人通りもある時間に、そんなことは望みはしない。

「あれから10年以上も経ったんだなーって懐かしんでただけだもの」

「そうか」

「そうだよ。まさか10年経って、親子でこんな風に歩くなんて思いもしなかったし」

「そーだな」

同じ街、同じ道。
少しずつ変わった家や建物はあるけれど、変わらず家路へと続く道。

「ママーっ雨、止んだよ~~!」

少し先を歩いて、時折水溜まりを覗き込んだり、跳び跳ねたりしていた琴美が振り返って叫んでいた。

「あ、ほんと」

琴子が傘から手を差し出す。

「ああっママ、虹! 虹が見えるよー」

少し興奮したような琴美の声に、思わず琴子も空を見上げる。

「本当だー。きれい!」

いつの間にか空の雨雲はゆるやかに流れていき、青空が垣間見え、4分の1の弧を描いた虹が空に薄く浮かんで見えていた。

「傘、閉じなきゃ……」

琴子が直樹の持っている傘の柄に手を掛けようとしたら、直樹がすぐに自ら閉じようと傘の上部の上はじきと呼ばれる部分に指を添えて、傘を斜めに傾ける。



「……?」

琴美は一瞬、おや? と思った。
一本の傘に入っていた両親が、傘を自分の方に傾けてその姿が見えなくなったのだ。
ほんのちょっとの時間のような気もしたけれど、少し長いような気もした。傘を閉じようと傾けた割りには、半分閉じられたまま、そのまま止まっている。

ーーと、思ったら、すうっと傘が閉じられて、隠れていた両親の姿がちゃんと現れてほっとする。
何故か母の顔が赤い。

「どうしたの? ママ? 顔が赤いよー」

「な、な、なんでもないわよ」

「ふーん?」

なんだかパパはにやにやしてる。こんなとき、たいていパパはママに何かイタズラしてるんだよねー。

琴美は内心思ったが、すぐに目の前の虹に心が向いた。
いつまでも見ていないとすぐに消えてしまいそうだ。

彼らの横をすーっと通り抜けた一台の自転車の、少しびしょ濡れな部活帰りらしい男子高校生が、妙に赤い顔をしていたことは誰も気がつかなかった。



「さあ……帰ろう」

閉じた傘を持って、彼らは家路に向かう。
消えそうで消えない虹の彼方へ向かって。

「夜、織姫と彦星会えそうだね」

「うんっよかったー!」


梅雨明けは、もうすぐ。
また暑い熱い夏がやって来るーー。







※※※※※※※※※※※※



終わりました~~
本当は、『八月はラムネ色』の直樹さん進化の歴史のように、一話でそのホップステップジャンプを表したかったんですが、三つの話を書き上げるのに梅雨が終わりそうな気がしたので、やむなく3話に分けました~~
そして、結局1週間以上かかり……三景目を七夕にアップすることも叶わず……orz
そして、何よりやっぱり7月から始めちゃ遅いよねーな、感じですっかり晴天続き。ありゃりゃな感じでございましたわ笑
今日はちょっと雨降ったし、明日もうち方面は雨そうなので、ま、いっかf(^^;


直樹さん、娘からは死角になってたけど、後方は全く無頓着……f(^^;
相変わらず人に見られても気にしない性格です笑

そして、琴美ちゃんの願いが叶えられるのは10年後だったりします……
うちでは翌年生まれるのは弟なので(^w^)






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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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