“納涼祭り2016”


※7/28 ラストシーンで書き忘れてたことがあり、どうしても書き加えたくて、ほんの数行だけ加筆しましたf(^^;わかるかな……?



※※※※※※※※※※※※※※※





三日目の朝である。

「あれー? ママ、虫に刺されたの?」

朝目覚めた琴美が、ノースリーブのワンピースに着替えていた母の首もとを指して不思議そうに訊ねた。

「豚さんの煙、効かなかったのかなー?」

蚊取り線香は長時間タイプで一晩中焚いていた。

「ええっ? えーと……」

琴子は初めて自分の胸元を見て慌てふためく。
鏡で確認すると首筋から鎖骨の辺りから、ぴっしりと昨夜直樹につけられた痕が残っていた。

「どうした?」

顔を洗ってきたらしい直樹が部屋に戻ってきた。

「ねぇーパパ、ママだけ虫に刺されてるの」

「そりゃ、ママの血が美味しいからだろ」

「入江くーーん!」

「コンシーラー持ってきてない?」

「持ってるけど」

「じゃあ問題ない」

「うん、もうっ!」

結局、二晩続けて未遂に終わったのだ。キスマークの一つや二つで(いや実際はかなりたくさん)ガタガタ云うな、という気分の直樹であった。
琴美が「ひいばあちゃんにお茶もらってくるー」と出ていったのを見送った後、直樹は少し不思議そうに妻を見つめた。

「今日は早起きだな」

朝目覚めた時にもう既に琴子が布団の中にいなくて少し驚いたのだ。

「ちょっとコンビニまで散歩してたのよ」

「……コンビニって……」

この家から最寄りのコンビニまでは徒歩30分以上かかる。

「なんか買い物?」

「……実は生理が来ちゃって……」

ぼそっと小声で恥ずかしそうに告げた。

「来ると思ってなかったから全然準備してなくて、それでちょっと…… ああっ、あたしこの痕付けたままでっ 」

生理って……つまり今夜どころかしばらくお預けってことか。

直樹は内心毒づきながらも、
「……あれ? おまえ2週間くらい前に来たって言ってなかったか?」と、ふと気がついた。

「うーん。前の、ちょっとだけだったんだよねー。なんか最近不順で。ホルモンバランスが悪いのかなーー」

「ストレスでも溜まってるのか?」

「入江くんとあまり会えなかったからちょっとストレスだったかも」

「この2日間は、結構べったりだったけどまだ足りない?」

「全然足りないよーー」

えへっと上目遣いにそう言って照れくさそうに笑う琴子の瞳に思わず吸い込まれそうになる。

「琴子……」

おれも足りないかもな。

そう言葉にする前に、琴子の肩を掴み、そっと引き寄せる。
誘うような少し開いた唇に顔を近づけてーー

「ママーーっお腹すいたー! ばあちゃんが朝御飯できてるってぇ」

もう、パターン化し過ぎて、何を云う気にもなれない直樹であった。






そして、再びのんびりと3人だけで朝食をとった後でーー。

「ねぇねぇ、アケビはいつ採りにいくのー?」

琴美の問いかけに、直樹が少し困ったように娘をみた。

「ごめん、琴美。今日はじーちゃんが町のグリーンセンターに肥料を買いにいくのを手伝ってほしいって頼まれたから付いていこうと思ってて」

「ええーっ? だって、明日もう帰るんだよね? だったらいつぅ?」

「多分、午前中だけで終わると思うから」

「あ、じゃあ、あたしが一緒に裏山に付いてくわ。なんてったって1度行ってるし」

軽ーく軽はずみなことをいう妻に直樹は思いっきり顔をしかめ、そしてきっちり嗜める。

「バカっ絶対ダメだ! 二人して遭難するのが落ちだろうが」

「えー?」

大丈夫だと思うけどなー

そうだよ、みーちゃんがついてるから大丈夫だよパパっ

二人の抗議も空しく、当然ながらそんな危険に満ち満ちた冒険など許されるはずもなく、こんこんと説教されて諦めざるを得なかった。

「じゃあ、川なら行っていい?」

「川?」

「うん、昨日ケンちゃんが明日川で遊ぼうよって誘ってくれたの。わかんなーいって返事しといたけど」

子供の頃自分も祖父に連れられて魚釣りなどした川は、河川敷は広いが、川幅はたいして広くないし流れも穏やかだった。

「あの川は大して水量もないから大丈夫だろうけど………ママがちゃんと傍にいてくれるならいいぞ」

「大丈夫だよ。ちゃんと見ててあげるから」

「やったぁ」

そうして、迎えにきたケンに、「琴美はまだ泳げないから深いところに行くなよ」と釘を刺して直樹は祖父と共に軽トラに乗り込む。

「えー、パパ、トラック運転できるの?」

運転席に座った直樹に琴美は目を丸くした。

「軽トラなら普通免許で運転できるよ」

「でも、それ、オートマじゃ……」

琴子も少し驚いたようだ。

「ちゃんとミッションも運転できる!」

そう言い放ち、発進する直樹に、「……でもそんな車も軽々運転出来ちゃう入江くん……ミスマッチだけどそれが逆にカッコイイ」とハートマークを散らす琴子である。
きっと琴子のことだから直樹がトラクターを運転してもギャップ萌えに転がりまくるだろう。

そして、直樹たちを見送った後、琴子たちもケンに案内されて川に向かった。

「こまんか川だばってん深い所もあっから気ば付けーしゃい」

「はい、おばあちゃん」

祖母の云った通り、葉の覆い繁る桜の樹の並ぶ堤防を降りるとそこは渓流というには穏やかな美しい水の流れがあった。
河原はそこそこの広さがあるが、流れている川幅は狭く、水の量は少なそうだった。
水着を着ていたケンは、すぐにバケツと網を持ってばしゃばしゃと水の中に入っていく。
水着を持っていない琴美は、サンダルを履いたままそおっと水の中に入る。

「ママーっ冷たいよー。プールよりすっごい冷たい」

「 ほんとだねぇ」

琴子も手だけ水に浸けてぱちゃぱちゃと泳がす。

「川の水ば、がばい冷たか。そんなの当たり前と」

バカにしたようにケンがいつまでも川辺から離れない琴美をさっさと置いてずんずん川の真ん中に入っていった。

「ケンちゃーん、あんまり遠くにいっちゃダメだよ」

「この辺までこんと、魚がとれんと」

「えー? お魚いるのぉ? みーちゃんも行きたい」

ケンの方を羨ましそうに見ていた琴美だが、やはりケンのように水着を持っているわけではないので川岸から遠くに行くことに躊躇いがあるようだ。

「みーちゃんはこの辺りでじゃぶじゃぶしてましょ? 服が濡れちゃったら困るでしょ?」

「うん …………」

水が冷たくて気持ちいいので、いつまでも足首まで浸かる辺りで、魚がいないか二人で腰を屈めてみていた。
そして、石と石の隙間をすっと行き交う小さな魚の影に一喜一憂する。
川の水は澄んで綺麗だ。
堤防の木々が緑の葉を繁らせ川面を覆うほどせりだして、木陰を作っていた。
午前中ながらも暑くなりそうな陽射しを遮ってくれて、心地よい。
蝉時雨の音。
川のせせらぎ。
耳からも感じられる夏の情景。
琴子と琴美は、落ちた葉で船を作って流したり、ケンの採った魚を見せてもらったり、スカートの裾を少し濡らしながらも楽しく過ごしていた。

「すごいね。こんなおっきな魚とれるんだね」

「イワナは滅多にとれんけんね。フナやドジョウや……」

「あ、カニもいるのー? ちっちゃー」

「沢蟹やけん、食えると。素揚げにしたらうまか。寄生虫おるけん、火は通さねばいかんけんね。干潟でとれるんば塩漬けにして瓶詰めにしちょってガニ漬けゆうと、じいちゃん焼酎のツマミにしとる。ばってん、おれは好かんけんね」

「えー食べるのーー? 可哀想」

水辺の石の狭間にいる小さな蟹に、琴美は興味津々だ。

自然いっぱいの中で、静かな時間が流れている。

明日はもう帰らなくてはならないのが残念ね………

琴子は瞳を輝かせて川縁で遊ぶ娘を見つめてぼんやり思う。学生の頃のようにゆったり出来ないのが、娘にも申し訳ない。

「おれ、あっちでイワナさがすとね」

「気を付けてね。あっち深くない?」

あっち、と指差した上流の方は少し川幅が広くなり、岩場も多い。

「平気やけん。慣れとると」

そしてばしゃばしゃと上流の方に向かっていくケンの姿を見失うまいと、琴子はずっと目で追う。

ばしゃっ

「いたーい」

「みーちゃんっ」

琴美が石に躓いて、すっころび、スカートの裾をびしょびしょにしてしまったのだ。

「あら、お膝も少し擦りむいたわね……ちょっと待って、バイ菌入らないようにしないとね」

琴子はハンカチを出して、血が滲んだ膝小僧を拭いてやり、常備していた絆創膏を取り出す。

「ほら、もう大丈夫だよー。キティちゃんの絆創膏ですぐ痛くなくなるからねー」

絆創膏を貼ってやり、ようやく半べそをかいていた琴美が落ち着いて来たときーー

ばしゃん。


少し離れたところで、何か大きな水音がした。

「何……?」

「あれ? ケンちゃんは?」

琴子は一瞬にして背筋に緊張が走るのを感じた。
琴美を見つつも、ケンの様子も目の端で見ていたつもりだった。
琴美よりだいぶ上とはいえ、まだ小学生である。
なのにーー。

「ケンちゃんっどこ!?」

思わず大声で叫ぶが、反応がない。
川面に視線を走らすが、何処にもその姿がない。

「ケンちゃんっ ケンちゃーん!」

暫くすると、もがくようなこどもの手が、川面からばしゃりと飛び出したのが見えた。

「ケンちゃんっ」

琴子はスカートの裾が濡れるのも構わずに、川の中に入っていこうとした。

「琴美はここにいて! 」

そう言い置いて、ケンの姿が一瞬見えた川の中央部に向かおうと足を一本踏み出す。

その時ーー


ーーだめ。

耳元で、声がした。

ーーあなたは、川の中に入っちゃ、ダメよ。

「え……?」

琴子が振り返るが、誰もいない。

気のせいかと無視して先に進もうとしたが、今度はぎゅっと誰かに腕を掴まれた。

「な、何……?」

掴まれている筈の腕を見ても、何も拘束するものはない。
だが、『見えない何か』に捉えられているせいで、琴子はそれ以上一歩も動けない。
じたばたもがいても、まるで金縛りにでもあったように身体を動かせなかった。

「ケンちゃんっ………! 誰か……誰か……」

誰か、助けて!!

入江くんっ 助けてぇぇーーっ



琴子がそう叫んだ時ーー。

「琴子っ」

まるでドラマのようだった。
呼び求めた救世主が、唐突に風のように現れて、琴子の横を駆け抜け、川の中に飛び込んでいった。

「え……? え? うそっ」

な、なんで? おじーちゃんと一緒に出掛けた筈じゃ……

琴子が訝しんでいる間に、直樹はあっという間にケンが溺れている辺りに辿り着き、直ぐ様抱え上げた。

岸に上がると河原の上に降ろして、心臓マッサージを始める。

「い、入江くん……ケンちゃんは……」

不思議なことに、直樹が川に飛び込んだ途端に琴子を拘束していた不可解な力は解けて、琴子の身体はあっけなく動いた。

直樹が人工呼吸と心臓マッサージを繰り返している間、幽かに遠くから救急車の音がする。
直樹が連絡したのだろうか……?

「んっ、……げほっげほっ」

ケンが目を覚ました。

「よ……よかったぁ」

琴美も琴子の脚にすがって泣いている。

「ケンちゃんは? ケンちゃんは? パパ、生きてる?」

「もう大丈夫だよ、琴美」

直樹が琴美の頭をくしゃっと撫でる。
そして、琴子を方を向いてーー

「いったい、おまえは何をやってたんだ!」

酷く冷たい瞳で、強く叱責した。

「川では絶対子供から目を離すな! 鉄則だろうがっ! それに子供が溺れているのに、ただぼーっと突っ立ってるだけなんて! ……もし溺れていたのが琴美でも、そんな風なのかよっ?」

呆れるような蔑むようなーーそして、何より直樹自身がひどく驚いているようなーーそんな表情だった。

「まあ、おまえが飛び込んでいたって一緒に溺れて二次被害に遇ってただけだろうがね。でも、おまえは絶対いざと云うときにはバカみたいな力を出すヤツだと思ってたのに。失望したよ」

「………そ、そうだね……ごめんね……あ、あたし………何にも……出来なくて……」

震える声で琴子は目を覚ましたケンに謝る。
ポロポロと大粒の涙が零れていた。

「……あたしの……せいで」

「すぐ救急車がくる。堤防の上に上がるぞ。動けるか? 琴美」

「うん、パパ。でもね、ママを叱らないで。ママ、みーちゃんが転んじゃってそれで絆創膏貼ってくれたりとか……」

さっさとケンを抱きかかえたまま堤防の上に上がっていく直樹を、琴美が必死に追いかける。母を庇う言葉を一生懸命探しながら。


どさっ

鈍い音が後ろからして、直樹が振り返る。

「ママっ」

琴美が後ろへ駆けていった。

倒れている母のところへーー。









救急車には琴子とケンの二人をのせて、町の救急病院へと搬送された。
連絡を受けた博子おばも、自分の車で救急車を追いかけた。
泣き叫ぶ琴美は、駆けつけた祖母に預けたが、大丈夫だろうか。
直樹は青白い顔をして横たわる琴子を見つめながら、一緒に行くと駄々をこねた娘につい強い口調で「待っていなさい!」と怒鳴ってしまったことを密かに反省していた。
目の前で母親が倒れたのだ。琴美がパニックになっていたのは仕方のないことだった。娘を顧みる余裕の欠片もなく、直樹自身も激しく動転していた。



ーー琴子。

バイタルに問題はなかった。
木陰にいたから熱中症ではないと思われた。
直樹の診立てはただの過労と貧血による意識喪失だ。

よくよく考えれば、琴子があの場面で真っ先に助け出さない筈がない。
例え自分の命を投げうっても。
(だから、そんなことをしなくて良かったのだーー)
動けなかったのは何かあったからだと何故思い至らなかったのか。

だいたいーー。

まず、この場所に直樹が来たのもある意味、尋常ならざる力に無理矢理引っ張られてきたようなものだった。
町へ向かう途中、唐突に助手席に座っていた祖父が、直樹の握るハンドルを掴み、「急いで川の方へいくばい」と叫んだのだ。

「じーちゃん、危な……」

直樹が祖父の方を見ると、真剣な、恐いような形相した祖父の顔に大きな黒子があった。

「え……?」

「早よう! 早ようせんばいね! おまえの嫁と子供が………」

隣にいるのは200年前亡くなった菊之助じいさんの霊らしい。
意外とすんなりとそのことを受け入れられた。
そして、恐らく川で何かあったのか、それともこれから起きるのかーー

「わかった、じーちゃん」

直樹はハンドルを大きく切って交差点でUターンした。




川に着いた途端、祖父の顔は元の黒子のない顔に戻っていた。
事態が分からずに茫然としていた祖父に、家に戻って祖母を呼んでくるよう頼んだ。そして堤防から川を覗き込むと、溺れているケンと立ち竦んでいる琴子を確認した。
琴美は少し離れた川岸にいる。ケンには悪いが少しほっとした。
そしてすぐに携帯で救急車を呼び、下に駆け降りたのだった。






「ご主人、このタオルで拭いて下さい」

救急隊員にタオルを渡され、初めて自分がびしょ濡れなのを思い出した。
川に飛び込んだので、当たり前だ。

ケンは意識を取り戻し、ちゃんと受け答えもできている。恐らく問題はないだろう。

琴子はーー。

「すみません、奥さん、妊娠の可能性は?」

「え、いえーーー」

救急隊員の言葉は女性の患者を診る時の常套句だ。これを訊かねば薬や治療の選択が出来ない。

「確か今日生理がきたとーー」

言いかけてはっとした。
突然、思い至るものがあった。

「2週間前も生理が来たと言ってました。もしかしたら2週間前のそれは着床出血かもしれない……」

稀に受精卵が着床する時に絨毛が子宮を傷つけることがある。その際に生理と同じように出血し、妊娠に気がつかないことがあるのだ。

「じゃあ」

「妊娠している可能性がないとはいいきれません」

なぜ気がつかなかったのだろう?
微妙な体温の高さや、気だるそうな様子やーー
生理が来たと云うことばを鵜呑みにして、琴子の身体の変化を掌握しきれていなかった。

「今回の出血は不正出血かもしれない……」

「2週間前が着床出血なら、今妊娠5周目か6週目くらいですね。とりあえず、妊娠の可能性も配慮します」

「お願いします」








「妊娠6週目に入ったところですね。もう心拍も確認できますよ」

担当の産科医は、50代半ばの女医だった。斗南病院と違って、ごり押しで女医に変えさせることはできないので、直樹は内心ほっとしたが無論顔には出さない。

「出血は問題ないと思われますが、しばらく安静にしてくださいね。東京に戻ったらなるべく早く主治医のところで受診してください」

「ありがとうごさいます」

直樹は女医に頭を下げて、貰ったエコー写真を手にして、琴子が横になっている処置室に戻る。

ケンは何の問題もなく博子おばとさっき帰宅した。

けれど、琴子はまだ目覚めないーー。

「琴子、入るぞ」

それでも直樹は、医師と面談をしている間に琴子が覚醒しているかもしれないと声をかけてカーテンを引いた。

相変わらず眠ったままの琴子。
そして、その横にーー琴子の手をぎゅっと握って不安そうに彼女をみつめる一人の女性がーー。

「………あなたは……」

そこにいる筈のないひと。
琴子によく似た顔立ちの、写真でしか知らないひと。
けれど、直樹はその有り得ない現象を、特に何の疑問も恐怖もなく受けいれていた。それは随分当たり前な光景のように思われた。

ーーごめんね、直樹さん。

喋っているのか、心の中に話しかけているのかよくわからなかった。

ーーあたしが琴子を掴まえてたの。川の中に入らないように。だから、この子を叱らないであげてね。

「………… ありがとうごさいます。もし、お腹の子供に何かあったら……こいつはきっとずっと自分を責め続けていたかもしれない」

妊娠12週までの流産は、母親の行動には一切責任がない。全て胎児に原因がある場合だ。そして、そのことをよく分かっている琴子でも、もし川に入った後で赤ん坊が流れでもしたら、きっとずっと自分自身を責めるだろう。

ーーよかった。とりあえず何事もなくて。菊之助さんも間に合ってよかった。

「…… もしかして、じーさんの琴子に対する態度が豹変したのって」

ーーふふ。菊之助さんにも協力してもらっちゃった。ほら、安静にしておかなきゃならない時期じゃない? あたしは流石に直樹さんのおじいさまに拘わるこたができなくて。で、菊之助さんに頼んで、おじいさまの夢枕に立ってもらったのよ。

「………それで、じーさん、琴子に何もさせなかったのか」

いったい夢枕に立って、どんな脅しを掛けたのか。

ーーあ、でも! 二人の夜を邪魔しろ、なんて一言もいってませんからね。菊之助さん、勝手に妊娠中の営みは赤ちゃんに障ると思い込んでて……

「………………………………まあ……したからって流産はしませんが……」

このひとも見てたのかっ?

若干の引っ掛かりを感じていると。

ーーあ、大丈夫。あたしはちゃんと離れてたから! そんな、娘の………なんて、覗き見しませんってっ

心の声はきっちり聴こえるらしい。



とはいえ、わかっているといないとでは、おのずと抱き方は変わってくる。感染症を防ぐためにも避妊具も着けた方がよい。いや、やはり安定期までは我慢した方がいいと、医者である自分が一番よくわかっている。

……にしても、あのじーさん、おれが無体なことをするとでも思ったのかっ
いくらなんでも母親の実家でそんなに激しくするかっ

何となくもやもやと腹立たしさを感じつつも、直樹は目の前の人に深々と頭を下げた。

「……色々とありがとうございました」

ーー直樹さん。これからも、琴子をよろしくね。そして、この子と、琴美と、こらから生まれる子どもを守ってあげてね。

「………はい」

はい、おかあさん。
全力であなたの娘と孫を守ります………






「………入江くん?」

琴子がぼんやりと目を覚ました時、直樹は自分の手を握りしめたまま、ベッドに突っ伏して眠っていた。

なんで、こんなところにいるのだろう?
馴染んだ消毒薬の匂いや色々なものが混じりあった独特な匂いが、自分のいる場所をあっさり特定させる。

夢を見ていた。
病気の時に熱を出して眠っている琴子の傍らで、ずっと傍についていてくれた母が、優しく手を握りながら、何かを話しかけてくるのだ。

その何かが思い出せない。

「………はい」

直樹の口から寝言のような言葉が出てきてびっくりした。
彼から寝言なんて殆ど聴いたことがなかったから。

「……入江くん?」

琴子がおそるおそる掛けた言葉に呼応するように、直樹が跳ね起きた。

「琴子!」

「い、入江くん……」

「よかった……どうだ? 何処か痛いとかないか? 気分は悪くないか?」

不安そうな直樹の顔に、どうやら自分は直樹に余計な心配をさせてしまったらしいと、初めて気がつく。
そして、徐々に倒れる前の記憶が甦ってきた。

「大丈夫。あたしはなんともないよ! それより、ケンちゃんは? 琴美は?」

琴子は少し身体を起こして、直樹にすがるように訊ねる。

「ケンはもうおばさんと家に帰ったよ。琴美はばーちゃんに預けてあるから、もう少ししたら来ると思う」

直樹がそう告げると、よかった、と琴子は大きく安堵のため息をつく。

「琴子、ごめん。さっきは怒鳴って」

直樹が琴子の手を両手で包んで謝る。

「ううん、あたしが目を離したのがいけないの。身体が全然動かなくて、助けに行けなくて……ほんと、情けない。入江くんが呆れるのも無理ないよ」

そういう琴子に、
「ほんと、助けに行かなくてよかったよ」と直樹が真面目な顔をして応えるので、「そ、そりゃあたしが助けに入っても二次被害で面倒なことになってたかもしれないけどっ」と、少しばかり抗議する。

「ばか。そういう意味じゃなくて」

直樹が琴子に一枚の写真を見せる。

「え? これ………え? え? えええーーっ!!!?」

琴子はそれを受け取って見つめてから、意味がよくわからないとばかりに、直樹と写真を何度も見比べる。

「いま6週目に入ったばかりだそうだ。まだ5ミリくらいだけど、ちゃんと心拍も確認できた」

「……ウソ……だって、生理……」

琴子は呆然と自分のお腹を擦る。

「ただの不正出血だ。前のやつは着床出血だと思う。ああ、出血は大丈夫らしい。胎児の心拍に問題はないようだ。一応安静にするように言われたから、明日おふくろに羽田まで迎えにくるよう頼んでおくよ」

まだ母には言わないほうがいいよな、と内心思いつつ。
二人目妊娠を知ったら、横断幕を持って到着ゲートを陣取りかねない。

「あかちゃん……?」

「ああ。琴美の七夕の願いが叶ったな」

琴子の排卵日と妊娠週数をかんがみても………多分、七夕だ。

「赤ちゃん………」

まだ信じきれないように茫然と呟くばかりの琴子をぎゅっと抱き締めると、
「ああ、おれたちの子どもだ」そう言って優しくキス。

「………生まれるのは3月末か。春ごろだな。きっと大丈夫だ。必ず無事に会えるよ」

何故なら最強の守護者(ガーディアン)たちが全力でお腹の子どもを守ってくれたのだからーー。












さて、母のお腹に弟か妹がいると知って、祖母と祖父に連れられて病院にきた琴美がハチャメチャに喜んだのも無理はない。

「あたしがたんざくにいっぱい妹欲しいって書いたおかげ?」

「そうかもな」

そのテンションで東京の祖母と電話をして、ついうっかり赤ちゃんのことを口にしてしまったのは仕方ないことなのだ。

琴子はすぐ帰宅できたが、無論その後は祖父の家で安静に過ごした。
夜、ケンと博子おばが篭いっぱいのアケビを持って琴子の見舞いに来てくれた。ケンの父が裏山に採りにいってくれたらしい。

琴美は初めて食べるアケビを「あまーーいっ」「種がいっぱーい」と、感動しながら母と食べた。

「いっぱい、九州の想い出できたね」

夜、再び琴美を挟んで川の字になって寝転がり、琴子は娘に訊ねた。
今夜が九州最後の夜である。

「うん。でも一番は赤ちゃんだよ」

琴美がにまーっと笑う。

「神様がみーちゃんのお願い叶えてくれたの」

「そうだな」

「そうね」

「妹だといいなー」

「それはわからないな」

「パパ設計図書いたんだよね?」

「神様が全部願いを聞いてくれるかはわからないよ」

「そうかなぁ~~~」

仲睦まじく語り合う親子の様子を、二人の守護霊がずっと眺めていたかどうかは……神のみぞ知る。




「今度くるときば、こまいのがまた増えとっと」

九州の家を出るとき、祖父は手土産をたくさん渡しながら、少しむすっとしながら琴子に語りかけた。
空港まではケンの父が車で送ってくれるということで、甘えることにした。

「今度は客扱いはせんばってん、覚悟するとね」

「え? おじいさん、あたしが妊娠してること知ってたんですか?」

「そげんこた知らんばい」

ふんっと鼻を鳴らす祖父に、隣の祖母が補足説明をした。

「ちょうど2週間くらい前から毎晩ご先祖の菊之助さんが夢枕にたつとね。『琴子は気がついとらんたい、腹に子がおるけん、働かせたらあかんと。これで流れでもしたら、直樹はもう2度と此処にくることはなかばってん』とね。最初は信じられへんけん、ばってんご先祖さんが色んなこと知っとっと。おじいさんが尋常小学校の頃ば教室で漏らしたこととかね。信じるしかなかとね」

祖母は可愛らしくころころと笑う。そんな不可思議現象であっても、とくに気にせず当たり前のように受けとめているらしい。

「うーん、菊之助じーちゃんってば………でも、感謝すべきかな。あ、でも次はあたしがご飯作って、床拭きでもトイレ掃除でもなんでも手伝いますからね!」

力強く答える琴子に、祖父は「今度は甘やかせんけん覚悟するとね」と不敵に笑う。

「望むところよ!」


そうして、長いような短いような真夏の九州の旅は終わったのだった。

「バイバイ、ひいおじーちゃん、ひいおばーちゃん。そして、ホクロのおじーちゃん!」

琴美は見送る曾祖父母たちの方を振り返り、大きく手を振った。


ーー次は、家族四人で来るとよか。
楽しみに待っとっとよーー







そして、羽田の到着ロビーで紀子が横断幕をしっかり携えて彼らを出迎えたのは、やっぱりお約束なのである。


『祝! 二人目懐妊! Baby come soon♪』








※※※※※※※※※※※※※※


終わりました~~~f(^^;
前後編が思いの外長くなり……でもなんとか3話で終えました。
中編を入れると絶対展開の先読みできちゃうなーと悩んだけれど……emaさんの素敵イラストどうしても挿入して、即アップしたかったので……まあ、いいかな、と。(結局、後編も長すぎたので、分けなくてはならなかったでしょう)

ええ、結局一番の大ボスはえっちゃんかしら笑 200歳年上の大先輩を裏で操る女……




一応7月は一人梅雨祭りに始まり、納涼祭りと普段よりたくさん更新できたかなーと(その分、リコメが滞り………ごめんなさいっコメントは有り難くしっかり読ませていただいてます。日々の活力です。そして、地道に返信してまいります)
梅雨祭りのラストの琴美の七夕の願いから繋げたかったので、連載が頓挫してしまい、お待ちの方は申し訳ありませんでした。
とくに深く考えてなかったけど、ハルの誕生日を3月に設定していたので、七夕受胎なら、辻褄あってる!と密かにガッツポーズ(^w^)ーーーなのでした♪

8月はちょっと忙しくて更新ペースはかなり落ちると思いますが、連載中心に戻して、納涼祭りも2本くらいネタあるので書きたいなーと頭の中では計画してます。(いつも計画倒れ……)気長にお待ちくださいませ。





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2016.07.26 / Top↑

“納涼祭り2016”



後編をお待ちの皆様、すみませんm(__)m
ちょっとどうしても今日、こっちを先にアップしたかったのでf(^^;




私には珍しいあの人目線です(^w^)




※※※※※※※※※※※※※※※






1年365日の中で、どの日が一番嫌いかといえば、アタシはまずこの日をあげるわね。
7月25日。
ええ、ツートップの12月24日と2月14日を抑えての断トツ1位よ。

とにかく、この日はアタシにとって最も運のない日よ。

親が離婚したのもこの日だし。
初めて告白してフラれたのもこの日だったわねー。
以来、絶対この日には告白しないわ。
そういえば、初めて自分の性別に違和感を感じたのもこの日だったわ。
みんな、可愛いワンピースの水着着てるのに、なんでアタシだけ黒いパンツ一丁なの? 無性に恥ずかしかったの覚えているわ。
高校の時、母親にカミングアウトして、泣かれたのもこの日。
結局ずっと気まずくて、大学からは家を出た。

なんにせよ、この日はアタシにとって、史上最悪の日なのだ。

なんといっても一番サイアクなのはーーまたひとつ歳をとること。
これ以上歳を取るなんて有り得ない。
もう、これからあたしはこの日が来ても歳をとるのはやめるわ。永遠の22歳よ。ふんっ。

もっともアタシは誕生日が今日だと誰にも教えていない。
誕生日、非公開よ。
誰に訊かれても誤魔化し続けてきたアタシ。
嬉しくもないのに祝ってもらうのは苦手。
親にすら高校のカミングアウト以来、おめでとうっていってもらったことがないわね。どうでもいいけど。


そうそう。だいたい琴子なんて、結婚してるのに旦那さまにちゃんと誕生日祝ってもらったことないっていうじゃない。
いやーそれも有り得ないけど。
ま、あの娘は旦那には祝ってもらえなくても世界中の人が祝ってくれそうなくらい、人好きのする娘だけれどね。
きっと入江先生は誕生日とか関係なく365日変わらず琴子を愛してんのよね。まーったく羨ましいこって。
夏になると薄着になるから、キスマークの露出頻度がかなりな率で高いと思うのよねー。特に入江先生、神戸から帰って間もないせいか……なんか、加減を知らないと言うか……激しすぎない? ほぼ毎日よね!?
なんであたしが毎度毎度コンシーラー貸さなきゃなんないのよ。

ああ、そういえば今日は琴子の代わりに夜勤替わったんだった。
誕生日の夜に夜勤。仕事しながらカウントダウン。
まあ、アタシらしくていいんじゃない?
あの娘は今日はお義父様とお義母様の結婚記念日のお食事会っていってたわ。
休みをとる日付間違えたからって泣きつかれたのは三日前。
別にいいわよ。琴子はアタシの誕生日なんて知らないし、予定だって特にない。
入江先生も当直なくて早く帰られたから……いいわね、家族で仲良くホテルでお食事か。
アタシには永遠に縁はないかも。
もっとも、素敵なお義母様だけど、アタシは遠慮したいわね。あのパワフルさと破天荒さは琴子でなきゃ付き合えないわよね。



あ。


0時回った。


ふん、いいのよ、どーせ今年も22歳なんだからさ。

アタシは、あとまだ少しある休憩時間に、コーヒーでも飲もうと席をたった。

すると。

え? 停電?

休憩室の部屋が突然真っ暗になって慌てる。

ええっ!?

まさかの怪奇現象?

うそっ今まで色んな怪談ネタは院内で耳にしたけど実際に出くわしたことなど一度もない。


ドアがぎぃーーと開く。
人の気配。
さをざわと何人も何人も。

え? 夜勤スタッフ、そんなに数がいるわけない。

たくさんの人が静かに部屋に入ってきてアタシの周りを取り囲む。

昨日やってた実録怪談再現番組で、ホテルのベッドの周りを兵隊さんが何人もぐるぐる回って取り囲んでる話を視たばっかだった。
あーん、あんな番組視るんじゃなかったーーっ

パンっ
パンっ

ぱーんっ


なに? なに? けたたましい破裂音。な、なーにーーっ ひええっ!!!!


「「「誕生日おめでとう、モトちゃん」」」

「え………?」

ぱっと部屋が明るくなって、アタシは思わず目をパチパチさせる。

目の前には、イチゴの乗ったホールケーキを持ってにこやかに立っている琴子の姿。
そして、クラッカーを持ってにやにや笑ってる、真里奈、智子、啓太ーー。
外にも患者さんやら、スタッフやら。
ちょっと、患者さん、消灯過ぎてるわよーダメよ、こんなとこに来ちゃっ!

そして、アタシは随分間の抜けた顔をして、クラッカーの紙テープを頭に貼り付かせてボーゼンと立っていた。

「な……な、な………何よ……なにっ?」

少し小さめのホールケーキには『23』という数字の蝋燭が立っていた。

「もー モトちゃんってば! 今日誕生日だったのねー。どうして教えてくれないのよ。危うく夜勤押し付けて、一人ぼっちで誕生日の夜を迎えさせるとこだったじゃない」

琴子が少し頬を膨らませて訴える。

「な、な、なんで知ってるのよ? あたしの誕生日は非公開よ!」

「うん、実は入江くんに教えてもらったの」

え? うそっ なんで? なんで、入江さんがアタシの誕生日を?
まさか、こっそりリサーチしてくれてたとでもゆーの?

「前に院内健康診断、入江くんが担当したでしょう?」

院内の職員の健康診断は、主に検査科が担当するけれど、内科検診は各科の研修医が輪番で担当する。ラッキーなことにあたしは入江さんに当たったのだ。服をまくりあげて聴診器(ステート)当てられるだけでもう、うっとりよ。
首もと触れられてリンパチェック、目の縁触れられたり……ああ、一生顔洗いたくないって思ったわ~~
まあ他の人もそう思ったようね。
この日は腰砕けのナース続出で、仕事にならなかったんじゃないかしら。
その日健診に当たったナースは一生分の幸運を使い果たしたとかいってたわよ。
でもって、その日に当たらなかった琴子は悔しがってたわね。あほか。毎日めーいっぱい健診されてるくせに!

ああ、そう、健診ね。予診票に全部書いてあるわね、個人情報。
名前と生年月日は一番トップだもの、バレバレだわよね。

でもまあ。
それをみて、覚えてくれてたのってーーちょっと嬉しいかも。

「あたしが入江くんに頼んだのよー。モトちゃん誕生日教えてくれないんだもの。誕生日ゲットしてって」

なんだ、琴子のため? ………って、個人情報もらしちゃダメでしょー!!!

「個人情報教えられるか!って叱られたけど」

そりゃそうよ。

「さっきのね、食事会の席で、モトちゃんに夜勤替わってもらったっていったら『おまえ鬼畜だな。明日誕生日なのに……』ってぽろっと」

ぽろっとじゃないわね。
確信犯ね。

「で、大慌てで食事会切り上げて、真里奈たちみんな召集して」

入江家のみなさん、ごめんなさい。

「いや、別に今夜無理して召集しなくても」

「こーゆーのは0時ジャストが大切なのよ」

そーなの!?

「ケーキは、食事してたホテルのレストランでお義母さんが頼んでくれて」

……さすが、パンダイ社長夫人の権力。こんな時間にオーダーさせるとは。

ちゃんとチョコプレートに『モトちゃん、おたんじょうびおめでとう!』ってかいてある。

「でも、さすがにこの時間からプレゼントは用意できなかったので」

「入江さんとのデート券でいいわよ」

「却下!」

ちっ。

「みんなで歌います」

あーーそう。

そして、夜勤スタッフと患者さんまで巻き込んでの「ハッピーバースディトゥユー♪♪」さすがににわか仕込みね。音、外れてるし。

その後、部屋を暗くして、23という形の蝋燭に火を点けて、ふーっと吹き消す。

やだ、こんなベタなイベント、久しぶりかも。

フォークを持たされて、一口食べる。
さすがホテルのパティシエ作。
おいしーっ


「あなたたちっ何やってるんですか!」

ありゃ清水主任。
ダメじゃない、この辺はきちんと根回ししとかなきゃ。アタシが加わってなきゃ、ほんと駄目なんだから。

「まあ、桔梗さんの誕生日なの? それは仕方ないわね」

仕方ないのか。
そりゃ、どーも。

「でも、患者さんはみんな部屋に戻って。夜勤スタッフも休憩終わったわよ!」

はーい

みんな、三々五々に散らばっていく。


そして、誰もいなくなったーーと思ったら、琴子がいた。

「プレゼントはまた明日あげるね。入江くん以外の。何がいい?」

「そうね。じゃあ、コンシーラー」

「え? モトちゃん、別にシミなんて」

ええ、ないわよ!
でも誰のせいで大量消費してると思ってるのよ!

「じゃあ、明日あげるね!」

「別にいいわよ」

ジョーダンだったのだけど。真に受けたわね。
誰かに物をもらうのは実は苦手。
そつなくおねだり出来る真里奈がちょっと羨ましいわね。
お返しとか色々考えなきゃならないから。アタシに貰っていいの?とか思っちゃうし。

「あ………」

入江さんがドアの向こうにいた。
琴子を迎えに来たのね。
アタシは思わずぺこりと頭を下げる。
琴子は入江さんの耳元に何やらボソボソ……いいわね。

「モトちゃん!」

くるっと踵を返し、琴子が戻ってくる。

「今度の日曜、空いてる? うちで、モトちゃんの誕生パーティやろうって」

「ええ? 入江家で?」

それは……嬉しいけど……でも。

「せっかく、モトちゃんの誕生日が解明されたのに」

いえ、そんな大袈裟な。

「今まで、みんなの誕生日、ご飯食べにいったりとか、ちゃんとお祝いしてきたわけじゃない?」

そうね。たまたま看護科で同じ実習グループになったというだけの縁だけど、アタシたちは随分仲がいい。

「モトちゃんの3年分のお祝いをまとめてするね!」

ああ、まったく。
だから、誕生日がバレるのイヤだったのよーー。

「じゃあ、モトちゃん、今度はアタシが夜勤替わってあげるから」

「期待せずに待ってるわ」

そして、琴子は入江さんと腕を組んで帰っていく。

本当に欲しいのはその場所なんだけどね。

ううん、別に入江さんじゃなくてもいいのよ。あんな風にアタシだけを見つめてくれる人の腕さえあれば。

でも、残念ながらその願いは中々叶えられない。

今日は、本当は最悪な日なのだ。
望んでいない性別に生まれおちた、呪われた日。
ずっとそう思ってた。

でも、アタシは生まれてきたことを一度も後悔したことも呪ったこともないことに今気がついた。

アタシはーー

食べかけたケーキをもう一口食べる。

「これ、一人でどーしろっていうのよ?」

まあ、いいや。
冷蔵庫にいれとこ。
朝、日勤の子にも食べてもらって。
あー、完全に誕生日バレるわね。
ま、いっか。

23の蝋燭だけ、隠蔽。
ええ、アタシは永遠の22歳なのよ。
それだけは譲れない。


でも、まあ。
こんな誕生日も悪くない。

アタシは週末に入江家に招待されるのを楽しみに暫くは頑張れそうだと、一人気合いを入れる。


1年365日のうちで、最も嫌いだったこの日が。
今日は妙にいとおしい。

生まれてなければ、少なくともあんたたちに出会ってなかったのだからーー。







※※※※※※※※※※※※



すみません。何故か唐突に、このようなモトちゃんバースディネタを。
いえね、誰でも良かったのですよ。
はじめはむじかくさまが好きな渡辺くんの誕生日に設定しようかと思ったのですが、ネタが思い付きませんでした。
モトちゃんだとなぜかさくさくf(^^;


と、まあ、そういうわけで、この話は敬愛すべき同志むじかくさま生誕記念ということで(勝手に)捧げ(押し付け?)ます♪

&かき氷の日……ということで笑







おっと。先程ご本人からカッパジャマなイリコトリクエストされたので、そのうち落書きは差し替えているかも…………(^_^;)




☆真夏のガーディアン(後)は、明日の0時にアップいたします。


2016.07.25 / Top↑

“納涼祭り2016”






すみません……結局、前中後編に分けることになりました……f(^^;

そして、emaさんが本日アップしていた素敵な浴衣でむふふなカットを「くださーい」とお願いしまして、挿し絵にさせていただきました♪
だって、思いっきり浴衣シーン書いてたんだもの♪
emaさん最初鍵つきだったのに、鍵なくても大丈夫ですよねー???
と、鍵なしでf(^^;
えろ自体は前回と同じR15くらいな感じです。





※※※※※※※※※※※※※






「きゃーっ やだ、もう8時!」

はっと目覚めて枕元の携帯の時間を見て慌てて飛び起きた琴子は、すでに直樹も琴美も隣に居ないことに気がついてがっくりと肩を落とした。

もう! 起こしてくれたっていいのにーーっ!!!

というか、5時前に叩き起こされることを覚悟して4時半に目覚ましを掛けたつもりなのに、どうやら全く気がつかなかったらしい。

おじーちゃん、やっぱり起こしに来なかったんだ……

本当に、お客さん扱い?
慌てて着替えて、布団を畳みながらも、琴子はあと三日間どうすべきか少し悩む。

いくらそう云われても立場的に甘える訳にはいかないよね?

琴子が障子を開けると、濡れ縁の向こうの中庭で、直樹と琴美が鶏に餌をやっていた。

「あ、ママ、おはよー」

「おはよーみーちゃん。ママも起こしてくれたらよかったのに」

「起こしたよー。でも起きないんだもん」

「なあ、琴美?」

「ねぇ、パパ」

「あ、あ……そう」

思わず決まり悪げに頭を掻く。

「ばあちゃんが飯ができてるって。朝御飯だぞ、琴美」

「はーい」

結局、のそのそと遅い朝食をとったのは琴子たち3人だけで、祖父母はとっくに済ましたらしい。

「おじーちゃんは?」

「もう畑さ行ったとね」

「あ……そうですか。あたしも食べたらすぐいきます。ごめんなさい、ご飯の支度も手伝えなくて……」

「気にせんでよか。畑も行かんでよかね。琴子さんば琴美ちゃんと遊んどればよかばってん、あんまり遊ぶとこもなかけんね」

ころころと可愛らしく笑う祖母に、琴子はひきつりながらも微笑み返す。

やっぱり琴子にあれこれ手伝わせる気は全くないらしい。

「虫籠とかあったよな。カブトムシとかクワガタとか採りにいくか?」

「うん、いくいくっ」

琴美は女の子ながら虫の類いは全く平気で、どちらかといえば好きな方だ。
生物全般に興味があるようで、色んな虫を拾ってきては母と祖母を絶叫させていた。

「みーちゃん、昨日の夢、覚えてる?」

琴子はふっと思い付いて娘に訊ねる。

「夢? なあに?」

「覚えてないようだ」

直樹の補足に、琴子も少しほっとする。
いや、しかし。

「………みーちゃん、痣のあるおじいちゃん、まだいる?」

恐る恐る訊ねると、琴美は首を振って、「いないよー? 今日は朝から見てないの。何処に行っちゃったのかな?」
そう答えた。

……いないのか。

食べ終わって、とりあえず自分たちの食器だけはシンクに持っていき、さくさくと洗う。

「……琴子、食欲ないのか?」

「え?」

「残してたろ? 昨夜もあまり食べてなかったし」

「うーん、夏バテかなー。休み前、結構無理したシフト組んでたし」

育休1年だけ取って、普通に職場復帰した琴子は、夜勤もきちんとこなしている。
義母紀子がいてこそ、こんな風に通常に復職できたのだと、休みの日は全力で家事と育児をこなしている琴子をみて、紀子からはお休みの日はちゃんと身体を休めなきゃダメよ、と釘を刺される日々だ。

「………とりあえず今回は甘えて、ゆっくり休んだらどうだ? こんな時くらいしか休めないし、琴美ともしっかり遊べないだろ?」

直樹の提案に、なんとなくすっきりしないものの、「……そうだね」と、答える。

「あたしがちゃんと色々こなせる嫁になったって見せつけたかったのになー」

「………それはどうか………」

「……なんかいった?」

「いや。家事はともかく、育児に仕事にと、メチャメチャ頑張ってるたいした奥さんだって、おれが認めてるんだからいいんじゃない?」

「やーん、入江くんにそう云われるのが一番嬉しい」

『家事はともかく』が若干引っ掛かるものの、少しテンションアップして飛び付くように直樹に抱きついた。

「…………情熱的に抱きついてくれるのはいいが……みんな見てるぞ………」

「え?」

気がつけば、琴美をはじめとして、一色家の孫息子夫婦を覗きに来たご近所さんたちがずらーっと並び見守っていた。

「きゃーっ/////」

「いやー東京もんば人目さ気にせんで熱々とねー」


ーー賑やかな2日目の朝が始まった。


その日は、昼まで親子3人で林の中の虫を採りに行き、かなりな数のカブトムシやクワガタを採集した。多分家に帰る前に放してやるだろうが。
午後からは博子おばの末っ子ケンが「宿題を教えて欲しい」とやってきた。
10年前に来たときは赤ん坊だったケンももう小学校四年生で、年長の従兄である直樹のことは直接は覚えていない筈だが、年の離れた姉たちや従兄弟たちから『がばいすごか天才』だという評判は聞き及んでいたらしい。

結局午後からは宿題教室となり、琴美も琴子も一緒にノートを広げていたが、すぐに飽きて畳の上にころんと転がって二人して昼寝をしていた。

「このねーちゃんが噂のことこさん……」

ケンが座布団を枕にしてくーくーとよだれを垂らして寝ている琴子を眺めながら不思議そうな顔をしている。

「噂って?」

「ねーちゃんたちや、従兄弟のにーちゃんたちからずっと聞かされとったとね。直樹にーちゃんの嫁はご先祖さまの霊を自在に操る陰陽師のような人やけん、逆らうと過去の過ちを全部ばらされるから気ぃ付けんといかんとよーって………」

「………それは……ものすごい拡大解釈だな」

思わず呆れ返る直樹だった。

「ただ、ご先祖さんに気に入られて守られてるだけだよ。きっと」

「なんでやね? うちのねーちゃんたちはいっぺんもご先祖さんに会うたことなかっていっとったとよ。ことこさんは一色の血が入ってないのに不思議かねーって」

「血よりも相性だな」

「……?? ふーん」

ケンは一色の子供らしくそこそこ優秀で、教えればさくっと解けて宿題はあっという間に終わった。
その後目を覚ました琴美と遊びだし、夕方まで二人で広々とした庭を駆け回っていた。
年は離れているが、子供が少ないせいかどんな年代の子達ともすぐ仲良くなれるのだと、夕方迎えにきた博子おばが話していた。


夜になってから再びケンが姉たちとともに手持ち花火を沢山持ってやってきた。
長女のミキは20歳で、次女のユキは16歳。二人ともすっかり大人で、一色の女性らしく切れ長の瞳のクールビューティに育っている。
そして、バッチリ浴衣を着て『直樹にいちゃーん、久しぶりとね~~覚えとっと~~?』などとしなだれかかってくるので、従妹といえど侮れない。(なんといっても理加の例もあるのだ!)
とはいえ、直樹とてすでに一児の父だ。
そして、琴美は、琴子以上に牽制力を発揮して、父に近づく姉妹二人をがっつりガードしている。そして、流石に子供相手に無下にはできず、ミキユキ姉妹は、仕方なし色気を振り撒くのは諦めたようだ。

琴子も負けてなるものかと琴美とともに持ってきていた浴衣を着て、ようやく庭でプチ花火大会が始まった。

「なんか、夏って感じだね~~」

縁側で祖母が出してくれたスイカを食べながら、子供たちが花火に夢中になっている様子をにこやかに眺める琴子。
直樹は琴美が花火に火をつける時だけ傍に近付いて手伝う。
何だかんだミキユキ姉妹は面倒見よく、弟と琴美の世話をやいていた。

「浴衣を持ってきてよかった」

紺の地に薄桃色と白の撫子が散る浴衣は、昨年新調したのだが、殆ど着る機会はなかった。
琴美は白に金魚柄で愛らしい浴衣だ。

東京でも花火大会や夏祭りはあるのだが、やはりそういった日の休みは激戦で、誕生日や結婚記念日に融通してほしい琴子はつい遠慮してしまっている。
お陰で、今日が今年初の浴衣お目見えだ。


「お盆の頃にゃ盆祭りや神社のお祭りもあるとね。その頃きよったらよかばってん。みんな帰ってくると」

「おれたち二人とも仕事があるから無理だよ、ばあちゃん」

「しかたなかとね」

「このおもちゃの花火でも十分だよ。どうせ琴美、空に上がる花火、音が怖いっていうし」

「ママ、それ赤ちゃんの時の話だよ」

「え? そうだっけ?」

おんぶした背中で怖い怖いと泣いていたのはついこの間のような気がするのに。
確かに去年は花火大会に行っていない。

「でも、みーちゃんもこっちの方が楽しい」

色々な種類の手持ち花火から、ねずみ花火や金魚花火にへび玉。紐をつけてくるくる回転するヨーヨー花火に、UFOに。パラシュートやロケット花火も揃っていた。
箱や円筒型の据え置きタイプの打ち上げ花火を沢山並べて点火するのも中々壮観だった。
東京の家ではいくら庭が広くても、近所迷惑になるからこのような玩具の噴出花火や打ち上げ花火は絶対出来ない。

勢いよく噴射して、ぱんっと乾いた音をたてて小さいながらも可憐な花を夜空に咲かせる。
ケンたちが派手な打ち上げ花火をあげている片隅で、琴子は琴美と線香花火を点ける。

「……やっぱり花火は線香花火よね~~どっちが長くもつか競争よ、みーちゃん!!」

紀子ではないが、そんな母娘の情景は、絵に描いたいたよう夏そのもので、直樹も母に持たされたデジカメで思わずぱしゃりと一枚撮る。

「あら、入江くんが撮ってくれるなんて珍しい」

「おれだって、娘の成長記録くらい残したいと思うぞ」

そういいつつも、ついファインダーを琴子のうなじにあわせてしまいそうになるのだが。
浴衣の襟足からのぞく白いうなじとアップにした髪の後れ毛が妙に色っぽくて、そのまま抱き抱えて布団の上に落としたくなる衝動を感じる(昨日未遂に終わっただけに、余計に)。

みんなさっさと花火終えて帰れ。

無論直樹の心の声は誰にも聞こえず、大量の玩具花火は2時間かかって漸く全て終わった。

そして終わりの方では琴美はすっかり寝落ちてしまい、琴子は先に琴美を抱き抱えて寝室の方に戻った。

火の始末を終えて、ゴミを片付け、三姉弟を見送ってから、直樹も寝室に戻った。

「完全に寝た?」

「うん、浴衣を着たままなんだけど……帯を緩めてあげればそのままでいいわよね」

「いいんじゃないか? 昔は浴衣は寝間着だったわけだし」

ピンクの縮緬の兵児帯を少し緩めて、タオルケットを掛けてやる。

「あたしは脱がないとね。ちょっと帯が苦しいし」

琴子は着替えのパジャマを出してから、自分で着付けた帯をさっとほどいた。
じっと見ている直樹に気がついた琴子は、
「着替えるんだから、あっち向いててよ」と、顔を赤くして抗議する。夫婦に与えられている部屋はこの客間だけなので、ここで着替えるしかないのだ。

「何を、今更」

はらりと落ちた辛子色の帯の端を直樹が持って、くいっとひくと「やーん」と琴子が漫画のように一回転した。

「あ、本当に回るんだな」

面白そうに直樹がなおもひっぱろうとする前に、琴子が自分で帯を取ってしまう。

「もう、遊ばないでよー」

「遊んでないよ」

今度は琴子の手をくいっと引っ張って、自分の前に引き寄せる。

「せっかく可愛い浴衣なのに、さっさと脱ぐの勿体ないかな……」

「そう? 可愛いい? ーーああ……浴衣がね」

一瞬瞳を輝かせたが、すぐに直樹の言う言葉の意味に気がついて少し頬を膨らませる。

「なんだよ、自分で自虐的に解釈して。ちゃんと浴衣込みでまるごと中身も可愛いと思ってるよ、奥さん」

そういいながら、おだんごに纏めていた髪を止めていたピンを器用に抜いて、ゴムを外し、あっという間に琴子の髪ははらりと肩の上に落ちて、着崩れた浴衣を覆う。

「可愛いよ、琴子」

いやーーーーーんっ!!!

普段は聴けない甘すぎる超弩級の破壊力をもった台詞に、琴子はもう思考停止状態である。
あとはもう、なすがまま。されるがままだ。

直樹が浴衣の前をはだけるのをつい手伝って、自分でも襟さきを持って広げ、直樹がすっぽり浴衣の中に入り込むのを助けてしまっていた。

「……なんだ、下着つけてんの?」

「キャミだよ。浴衣の下って何着けていいのか……あ……ん、ダメ」

邪魔なキャミソールをぱっと一瞬でたくしあげ、露になった琴子の小振りな胸に顔を埋める。
琴子は襟先を持ったまま、直樹の背中をかき抱いた。





「……あ……ん」

浴衣の中に潜り込むように直樹は琴子の素肌の上をさまよい、胸を弄ぶ。
浴衣を身に付けたままで、直樹の手は琴子の背中を這い回っている。
そしてそのまま、布団の上に押し倒し、鎖骨やうなじに赤い刻印を刻み付けーー肌に絡み付く浴衣を取り去ろうとした瞬間ーー。



「パパーーっ !! ダメーーっ」

ガバッと琴美が跳ね起きた。

「………………………」


再び菊之助じいさんに起こされた琴美によって邪魔をされたのであった。

ーーなんなんだっいったい! おれに何の怨みがあるんだーーっ

悶々とする想いを抱えたままーー

九州二日目の夜は更けていったーー。







※※※※※※※※※※※※※


次こそ本当に終わりますよ~~(多分)

そして、emaさま!素敵なイラストありがとうございました(^w^)
いや、イラストの二人は大分若いのですが……
10年経っても若々しい二人ってことで(笑)


そうそう、そして無事入稿おめでとうごさいます!!
もう、自分の本のようにほっとしてますが、早くみたいような自分のページが怖いような……


今回、同じイラストでむじかくさまとコラボしてますので、お楽しみに♪
(むじかくさまのお話はemaさま宅にアップされる予定です)


※鍵は微妙かも……とコメントいただいて、すこーしえろ表現を婉曲に変えてみましたが(今回は限定にしたくなくて)……たいして変わらないかなー……f(^^;
加減がムズカシイ………orz

2016.07.20 / Top↑




“納涼祭り2016”







お祭り一発目。
何故か前後編になってしまいましたf(^^;(前後編で終わる筈だっ)
そしてついうっかり限定な話にしそうになってしまった……ちょっと修正してR15くらいかなー(((^^;




※※※※※※※※※※※※※




2004年8月某日。



「みー ちゃん、ほら、もうすぐ着くわよー」

到着の案内を告げるアナウンスに、琴子は慌てて広げていたお菓子の袋をバッグにしまい、直樹は網棚から荷物を下ろした。
特に観光地でもないそのひなびた駅は降りる人も疎らだ。
ホームに降り立つと、むっとする暑さと、けたたましい蝉の声が琴子たち家族を出迎えてくれた。


「ママ、すごいね~~お山ばっかだよ」

「ママのいった通りでしょ?」

「うん! 窓から見てもお山と田んぼばっかりだった」

木造の駅舎を出ると、目の前に開けているのは閑散としたロータリー。タクシーは1台も止まっていない。
バス停には二時間に一本の、実に空欄の多いバスの時刻表。
コンビニなども見当たらず、日に焼けた自動販売機が一台あるだけ。

「わー全部売り切れだよ。お茶欲しかったのに」

「前にその角に小さな売店があったけど、なくなったんだな」

「ここじゃあまり儲からないよねぇ。駅なのに、人が殆どいないよ」

ちらほら見えるのはお年寄りばかりだ。若者の姿はどこにもいない。

「ほら、バスが来るぞ。これが今日の最終バスだ」

「ええっまだ4時だよっ」

「田舎だから仕方ない」

バスに乗り込むと、それこそ年寄りが数人乗っているだけの閑散としたものだった。

「基本は車だよな。軽トラは必ず一台はあるかな、どこの家でも」

確かにその道をバスとスレ違うのは、軽トラか原付か、といった体だ。
随分バスがゆっくりになったと思ったら、バスの前をトラクターが走っていた。

「相変わらずとことん田舎だよねぇ」

「秋田とたいして変わらないだろ」

「まあねー。冬に雪が降らないだけましかなぁ」

田んぼの畦道を、トラクターの後をついてのろのろと走るバスの車窓の風景はエンドレスに長閑な田園風景だ。
青々とした稲が背丈を揃えて風に靡いている。綺麗に区画された水田のどこまでも続く緑の鮮やかさに、暫し見惚れてしまう。
10年前と少しも変わらない景色だった。

「ほら、着いた」

停留所は相変わらずぽつりと田んぼのど真ん中に佇んでいた。
降りた途端にむっと鼻腔に飛び込んでくる蒸れるような草の青臭さも、何処か懐かしい。

「琴美、ひいじいちゃんちまで少し歩くけど大丈夫か? 喉が渇いたか?」

「だいじょうぶー。がまんできるよー」

「少しっていっても30分だよー。みーちゃん、そんなに歩ける?」

「へいき。みーちゃんチビとそれくらいお散歩してるもん」

確かにすっかりご老体のちびと琴美の毎日の散歩は欠かしたことはない。
そして、琴美は幼いながら中々の健脚で、幼稚園の春の親子遠足でも上野動物園を三周廻っても全く疲れをみせなかった。

「よーし。ひいじいちゃんち着いたら、きっとスイカがあるぞ」

「やったぁ、アケビもあるかなぁ?」

琴美は電車の中で、両親から聞いた話を思い出し、母が苦労して山に採りに行ったというアケビがどんなものか興味津々だった。
何でも揃う東京の我が家の食卓にも上ったことのないフルーツの名まえだった。

「ふふふ、待ってなさい。どうせアケビはママが採りに行くことになるに決まってるんだから。今回は万全の態勢で挑むわよ~~」

琴子は力こぶを見せて不敵に微笑む。

「みーちゃんもとりにいくー」

「琴美にはお山は危ないからお留守番。パパとママで採りに行くよ」

「ええ~~?」

不満そうな娘の頭をくしゃっと撫でて、「ほら、琴美、帽子を被りなさい。まだ日差しは強くて熱いから熱射病になるぞ」
直樹がそういうと、琴子は慌てて鞄から帽子を取り出す。
ヒマワリのコサージュのついた子供用の麦ワラ帽子だ。

「さあ、行こう。じいちゃんたち、待ちくたびれてるぞ」




ここを初めて訪れたのはもう10年も前のことだった。
琴子と直樹が結婚して初めて迎えた新婚時代の夏の出来事だ。
あの不思議な夏の思い出は、10年経っても風化することなくしっかりと脳内で再現できる。各駅停車の長い列車の旅の中で、幼い娘に事細かに語って聴かせるくらいには。
この10年の間、ここに来たのは1度だけだ。直樹の曾祖父に当たる人の三十三回忌に、母紀子と琴子と直樹の3人で訪れたのは琴美が生まれる前の年だったろうか。
あの時は二人とも仕事があってほぼとんぼ返りで、ゆっくりと過ごせなかった。
因みに祖父母は、琴美が生まれた時、結婚式には来なかった癖に、揃って九州から曾孫の顔を見に飛行機で飛んできた。
もう米寿に近いのにかなり元気だ。

今回ようやくお互いの仕事の調整がついて、久しぶりの九州行となったわけであるが、医師と看護師という職業柄やはり長期の休暇は難しく、4日間のみの滞在予定である。
行きは琴美のたっての希望で新幹線を使ってきたが、帰りは飛行機の予定だ。
学生時代のようにのんびりとした旅をするのは無理があった。
漸く取れた夏の休暇を、少しでもゆったりできるように何処か近場の温泉地でも、と提案した直樹だったが、九州の紀子の実家に琴美を連れていきたいと言い出したのは琴子だった。

「だって、ひ孫が生まれたら連れていくって約束したでしょう!」

そして琴子は、行くと決まった時点からしっかり覚悟をしてきた。

「ちゃーんとマイエプロン持参なのよー。野菜のもぎかたも、お義母さんと家庭菜園やってるお陰で完ぺきだし。五右衛門風呂の薪割りだってしちゃうんだから。看護師の仕事で足腰鍛えられたから、ながーい廊下の拭き掃除も鶏の餌運びもへっちゃらよ! 来るなら来いってもんよっ」

暮れる夕陽に向かって熱く闘志をたぎらせる琴子である。

「ママ、燃えてるね~~」

「そうだな。昔のリベンジしたいんじゃないのか?」

少しずつ山際に落ち始めた太陽は、3人の影を畦道に大きく映していた。
琴美は田んぼの上を無数に飛び回る蜻蛉に目を輝かせ、聴こえる蛙の鳴き声に耳を澄ましながら、まだ見ぬ曽祖父の家を目指す。






「まあ、よう来んしゃったねぇ。琴美ちゃんも疲れたとね? さあ、みんなこっちでスイカば食べるとよかね」

「いえいえ、もうそろそろ夕飯の支度ですよね。あたし手伝いますから! あれ、みんなは? おじいちゃんとおばあちゃんだけ?」

またまた親族一同揃って出迎えてくれるかと思ったら祖父母の姿しか見えない。
一色の祖父は相変わらず琴子には愛想が悪いが、琴美にはメロメロのベタベタである。

「みーちゃん、じいじとかくれんぼして遊ぶけんね」

「みーちゃん、ママ手伝うの~~火をふうふう起こしてお風呂たくんだよね!」

「いや、流石に年じゃけん、風呂はガス給湯器付けて広い浴槽に変えたとね。便利になりようと、足をゆっくり伸ばせて気持ちよかけん」

「台所ば少し新しくしたけんね。システムなんとかいうのやね。皿ば勝手に洗うとかいうのがついとうけんども、信用ならんばってん使ってないと」

「食洗機付きのシステムキッチン?」

「ええ~~」

正直直樹も驚いた。
この頑固な老人は、誰に何を云われようと、決してその生活スタイルを変えないと思っていた。

「厠も、琴美ちゃんが怖がって入れんといかんばってん、汲み取り式から、水洗の座ってするのに変えて、ついでにウォシュレットとか付けたけんね。まあ気持ちよかとね」

文明開化である。
この古色蒼然とした、戦前にタイムスリップしたような古びた家屋にいつの間にか文明開化が訪れたらしい。

「えーごえもんさんのお風呂入りたかったなー」

琴美の少し消沈した声に、
「がっかりせんでよかけんよ。納戸の横に置いてあるばってん水汲みさえしちょればいつでも沸かせるとね」
と、曾祖父はニッコリと曾孫に微笑む。

「露天風呂たい」

「やったー」

確かに家の中を探索すると、室内や間取りは変わっていないものの、玄関から勝手口まで貼ってあったつやつやと光っていた板の間の台所部分は、今時のフローリングを貼られて居間との段差を無くし、機能的なオールステンレスなシステムキッチンが入ってるではないか。

「前の流し台は古くて背も合ってなかったけん、腰がつらかったとね」


長い濡れ縁の端にあった、裸電球ひとつに隙間から大きな蜘蛛が入ってくるようなぼっとんトイレも、洒落た和風モダンな内装の洋式トイレに変わっていた。これなら琴美も怖がらないだろう。今回の九州行きは、自分も怖いだけに、トイレだけが憂鬱な琴子だった。


「さ、琴子さん、こっちに座って少し休みんしゃい。今麦茶とスイカ持ってくるけん」

祖母が台所に向かおうとすると、琴子もすっくと立ち上がる。

「あ、あたしやります」

すると、「あんたは座っとっと」と、意外なことにあの祖父が制した。

「へ?」

「長旅で疲れとろう。座っとればよかたい」

「ええ?」

「大切なお客さんたい」

お客さん?

直樹も琴子も耳を疑った。

「身内なんだからお客なんかじゃないだろ? じーちゃん」

「紀子は入江家に嫁いだ身、入江家の惣領息子夫婦のおまーらは入江家からの大事な客人とね」


…………いったい10年の間に何が起こったのだろう?

あまりの祖父の変貌ぶりに、思わず顔を見合わせる直樹と琴子であった。

そして、実際、本当に大切な客人として丁重に扱われ、どんな試練でも乗り越えて見せると身構えていた琴子をあっけなく肩透かしさせることとなったのだ。





「……いったいどうしちゃったのかしら……おじいちゃん」

湯上がりの琴子は、琴美にパジャマを着せながら、心配そうに直樹に話しかけた。
新しくガス給湯器のついた浴室は、総檜張りで浴槽も檜で設えてあり、屋敷の雰囲気に合っていて、そして檜の薫りも清々しくて、ついつい琴美と長湯をしてしまった。

「息子や孫たちがみんなこの村から出ていってしまって、色々心境の変化があったんじゃないか? 」

この屋敷に同居していた恵三おじは、アメリカに海外赴任とかで、夫婦で旅だってもう3年だという。彼らの子供たちも全員成人して、タケは福岡の企業に就職し、トシは広島の大学に、メグは大阪に嫁いだ。
近所に住んでいた明子おばも、夫の転勤に伴って、家族で京都に引っ越した。
唯一地元に残っているのは博子おばのみで、時折老いた両親の様子を見に来るらしいが、成長した孫たちは滅多に付いてこなくなったという。

「……それで、誰もいないんだね。広い家なのに……あんなにたくさん従兄弟たちがいたのに」

「元々ここに住んでたのは長男の恵三おじさんちだけで、従兄弟たちは夏休みで遊びに来てただけだよ。今年も盆には帰ってくるんじゃないかな」

今回は盆前にしか休みをとれなかったので、残念ながら従兄弟たちとは会えないだろう。

「恵三おじさんは、農家を継いではなかったの?」

「……今時、専業農家は少ないんじゃないか? 平日は会社員、土日で親の農業を手伝って、定年後にようやく本腰いれて田畑の面倒見て……って家が多いんだろうな」

「……ふうん。でもおじーさんとおばーさん、二人だけじゃ大変じゃないかしら」

「日本中の田舎はみんなこんなもんだろうな。年寄りだけで畑や田んぼの世話して……」

「……寂しいだろうね。10年前はあんなに賑やかだったのに。あたしも今度こそはいとこたちの名前をきちんと言えるようにと昔撮った写真で復習してきたのに」

「もう、みんな大人の顔で全然わかんねえだろうが」

「そうだねぇ。去年送ってもらったメグちゃんの結婚式の写真、全然誰が誰だかわかんなかったもんね」

へっへっと笑いながら、疲れて眠そうな琴美を布団の中に寝かしつける。
二つの布団に、琴美を真ん中に川の字だ。
文明開化は残念ながら各部屋に訪れてないようで、相変わらずエアコンなどはなく扇風機のみだが、通気性のよい(隙間だらけの)木造家屋のせいか、東京の熱帯夜のような蒸し暑さはなかった。
蚊取り線香の煙が豚の口から流れていて、琴美はしばらく物珍しげに眺めていたが、やはり眠気には勝てず、呆気なくうとうとしはじめていた。

「………なんか拍子抜けしちゃったな。あたし、今度こそおじーちゃんとの勝負に勝つつもりだったのに」

琴美に団扇ではたはたと風を送ってやりながら、琴子はなんだかつまらなそうに呟いた。

「そんなにしごいて欲しかった?」

「い、いや別にそういう訳じゃないけど……」

結局ずっとお客様扱いで、何もさせてもらえなかった。
結婚して10年の嫁としての進歩を少しは見せつけたいと、やる気満々でやって来た琴子は思わず戸惑ってしまっている。

「……まあ、それだけじーちゃんたちも年食ったってことだよな」

10年。
琴子たちにとってあっという間の時間だった。
でもその時間の流れはこの田舎の家にはあまりに大きな変化をもたらしたのだろう。
子供はいずれ成長して、巣立っていく。家というのはそういものなのだと感じずにはいられない。

「……まあ、博子おばさんちのケンはまだ10歳だからな。夏休みはちょくちょく遊びにくるっていうし」

「ああ、あの赤ちゃんだった? ふふ、あたしおんぶしてあげたもんねぇ」

直樹と二人で懐かしい昔話に興じたあと、すっかり寝入った琴美の寝顔を見ていたら、ふと視線を感じて顔を上げると直樹がじっと自分の方を見つめていた。

「な、何……?」

「いや……おまえも母親の顔になったな、と思って」

「あら。あたしだって一応ママ4歳よ。そりゃ、お義母さんに比べたらまだまだ……」

言いかけた琴子の言葉は、そのまま直樹の唇に吸いとられた。
琴美を間に挟んでの少し無理な体勢のキスで、軽く触れるだけかと思いきや、意外と深く長く琴子の唇から離れない。

チュッと音をたてて唇が離れた時、互いの唾液が糸のように引き合って光るのが見えて、琴美の真上で何をしてるんだかと、琴子は少し恥ずかしくなる。

「……あまりに母親の顔してたからちょっと女の顔に戻したくなった」

「……もう…入江くんってば」

琴子は真っ赤になって上目遣いで抗議する。

「………もう、琴美寝たよな。こっち、来る……?」

直樹が琴美と自分の間に隙間を少し空けて、ぽんぽん、と布団を叩いてその空間に来るように琴子を促した。

「え……あ…でも……」

琴子は一瞬、娘の寝顔を見て躊躇うが、直樹からの誘いを断ることなんか出来る筈もない。

確かに琴美は一度寝入ると目を覚ますことは殆どないが、とはいえここは自分たちの家ではないしーー

そう思いつつも、つい少し色気を帯びた直樹の瞳に誘われるように、琴美の小さな身体を乗り越えて、直樹の傍らにすっぽりと入り込む。

すぐさまに強く引き寄せられ抱きすくめられた。

「大丈夫……キスだけ」

耳元で甘く囁かれて、琴子はそれだけで背中に電流が走る。
そして顎を捉えられ、深くそして激しいキスーー。

静まり返った室内に、ぴちゃぴちゃと互いの舌が咥内をまさぐりあう水音が響く。

「ん……あ……」

時折くぐもった鼻から抜けるような声が響いて、琴子は自分の声にどきりとする。
障子一枚挟んだ向こう側は、トイレへと繋がる濡れ縁で、祖父母が夜中に通る可能性も十分ある。

「……入江くん…ダメ……これ以上……」

キスだけ、といいつつ直樹の手はしっかり琴子のパジャマの隙間を縫って、その胸をやわやわと揉みはじめている。
実のところ、ここ最近はシフトの関係から殆どすれ違い生活で、一緒に眠ることすら久しぶりだった。
だから少しは甘い時間を期待はしていたのだけれど、やっぱり隙間だらけの古い家の中というのは少々の抵抗がある。

「まだじーちゃんばーちゃん寝たばっかで当分起きないよ。襲撃してくるいとこたちもいない訳だし」

「…………でも」

ささやかな抗議をしようとした唇がまたも塞がれる。

「………が見てるかも……」

微かに離れた唇から紡がれた意外な言葉に、一瞬直樹は目を剥いて、それからくすっと笑う。

「その辺に座ってじっと見てたらこえーな、菊之助じーさん」

「や、やだぁ」

「まあ、遠慮して出てってくれるだろ?」

その存在を信じているのかいないのか、直樹はまるで気にしないように行為を再開する。

菊之助じいちゃんは、200年前に存在した一色家のご先祖様だ。10年前、琴子の前にだけその姿を現して、何度かピンチを救ってくれた。直樹の祖父とそっくりの容貌をしている。
不可解な出来事を共に体験した直樹も、全く琴子の戯れ言と思ってる訳ではないだろうが、理系頭脳がその存在をどう解釈しているのか琴子にはよくわからない。

「あ………」

直樹の手が琴子のパジャマのズボンの中に伸びてきた。
ゆるりと下着の狭間に入り込んできた指が、繁みの奥の泉を目指して翻弄を始める。

ダメ……止まらなくなる……

互いの身体が熱くなって来ているのが分かりすぎるくらい分かって、引き返せなくなる予感を感じた時ーーー

「パパ、ダメーー!」

突然、ガバッと琴美が跳ね起きて、そう叫んだ。

思わず二人はばっと離れる。

「み、み、み、みーちゃんっ どーしたの?」

上擦った声をあげつつも、琴子は慌てて乱れたパジャマを直す。

琴美は目をこすりながら、寝惚けた顔で両親の方に目を向けた。

「あのね、あのね、ひいじーちゃんがみーちゃんをゆさゆさ起こしたの。パパがママを苛めてるから、助けてあげなさいって」

「ええっ?」

「パパ、ママを苛めてたの?」

琴美が不安そうに直樹の顔を窺う。

「パパがママを苛めるわけないだろ? 可愛がってただけだよ」

「入江くんっ!」

「でもばあばがよくパパは昔ママを苛めてたって」

全くあの人は何を孫にふきこんでいるのやら。
直樹は東京にいる母を忌々しく思う。

「昔はね。多分ママが気になってたから、意地悪してただけだよ」

直樹は娘を膝の上に抱き寄せて、やさしくそう答える。

「今はしない?」

「しないよ。パパはママが大好きだから」

思わぬストレートな告白に、横で聴いていた琴子は真っ赤になって枕を抱き締めた。

「よかったぁ……」

「ひいじいちゃんが琴美を起こしたのか?」

全く、なんでそんな夢を、と思いつつ、娘に訊ねる。

「うん。ほっぺにアザがある方のひいじいちゃん」

え……?

思わず顔を見合わせる琴子と直樹。

「ほっぺにアザがある方って……」

「あのね、ほっぺにアザのあるおじいちゃんとアザがないおじいちゃん、二人いるじゃない?」

「ええ?……琴美にはほっぺに痣のあるおじいちゃんが見えるの?」

「みーちゃんたちがこのおうちに来て、出迎えてくれた時からずっとおじいちゃん、二人いるよ。このおうちもおじいちゃん二人におばあちゃん一人なんだーって思ってたの。ほら、東京のおうちもそうじゃない?」

「……… 入江くん………」

琴子は少し青ざめているだろう。部屋を照らしているのが、少し黄色味を帯びた仄明るい和紙で作られたスタンドライトの光のみなので、実際はわからないが。

「そっか。琴美には見えるのか……」

「あたしにはぜんぜん見えないのに……」

ぽつりと呟いた琴子は何処か寂しそうである。

「……もう、寝なさい。変な夢を見ないように、パパとママが見守ってあげるから」

琴美は安心したように、父親の腕の中ですうっと目を閉じた。
そして、二人も始めのように琴美を間に置いて、両側から娘が寝付くまで見守っていた。




「…………いるんだ、やっぱり……」

「………みたいだな……」

何となく熱くなってしまった身体を互いにもてあましつつ、二人は琴美を間に挟んで呟きあった。

ーーなんであたし見えなくなっちゃったのかなーおじいちゃん。

ーーなんで、邪魔するんだ、くそじじぃ。


九州一日目の夜はゆっくりと更けていった。




※※※※※※※※※


なんか私、まだまだ甘い入江くんに飢えているようです……
そして入江くんもかなり飢えてたようで……(((^^;)





2016.07.17 / Top↑




“納涼祭り2016”







イタキス納涼祭り2016

開催期間 2016年 7/15~8/31



さて、ソウ様がイタキス納涼祭りを開催してくださいました!
5年ぶりの納涼祭りなのですね。
いやー5年前なんて、私、イタキス二次の存在など欠片も知らなかったもので。ソウ様の再掲や素敵サイト様に残された作品にむふむふしてただけなものですから、今回開催していただいてとても嬉しいです(^w^)

ソウ様がブログで呟いていらっしゃったのを「やりましょうー♪ 」と背中を押しまくってしまった身としては、当然参戦する気は満々でございますとも(^w^)

とはいえ、実はなんだかとってもプライベートが忙しい夏になりそうで、今からスケジュールを見てはくらくらしてるものですから、そんなに頻繁に更新できるわけではないとは思いますが。
そして、まだ納涼祭り向けのお話も全然仕上がっておりません……m(__)m
三連休、頑張りますので、しばしお待ちを!
(mさまがきっと沢山アップしてくださることと勝手に期待しております)
ええ、連載の方もきちんと書くつもりでおりましてよ! でないと、どんどん未完だらけになってしまう~~~(それはイヤ~~)勢いというのは大事です。ハイ。

今のとこ納涼祭りネタとしてはソウ様がホラーコメディらしい(←とっても楽しみなのです)ので、私も笑えるのとハートフルなのと二つホラーネタ考えてます。増えるかどうかはわかりませんが……(ええ、私もマジ系のホラーは無理と夏本Webおまけでちょっと書いてみて思いましたとさ)

そして、そして、毎度ソウ様にはいろいろご迷惑をおかけしましてf(^^;
恐らく開催準備に必死であろう前日に、リンクバナーについてわからないことなど質問メールを送ってしまいましたら、もう、ソッコーお返事が……!
ありがたや……そしてスミマセン。まだまだ作品が完成せずマジ必死な時だったもようです。
(もう、会場行かれましたよね? 1話目も拍手おまけのドクターNもアップされてましたよー(^w^)未読な方はバナーからレッツゴーですよー)

そして、相変わらずPC音痴で鳥頭な私は、昨年ソウ様から頂いたバナー貼りかた教室をもう一度みながら、一体バナーを貼るのにどんだけ時間がかかってんだか、なのです………f(^^;そして、てっきり貼れたと思ったら貼れてなくて……「”」←この記号が少し違っただけでリンク出来なかった模様……先ほどから頭かきむしってましたわ……(((^^;)

emaさま……私のデジタル化への道は遠いのです………orz
(夏本の原稿送るのに、スキャンしてPCからメールすれば簡単なのに、それが出来ずに生原稿、郵送したアナログな私……そんな私がデジタルでお絵描きなんて、夢のまた夢)





さあて、納涼祭のあとはすぐに待ってましたのイタキス期間!!
あっという間に熱い夏を駆け抜けますよー(^w^)





2016.07.14 / Top↑


S(サマー)H(ホリディ)S(すごいことに……)!

ema様企画の夏のイリコト本

『The Summer Holiday』

たくさんのお申し込み有難うございました。

ema様からの宣伝記事依頼をうけてむじかく様とともに広報活動したところ、予想外の注文が殺到したようで、嬉しい悲鳴をあげていました。
(間違いなくむじかくエフェクト(^w^))

というわけで最初の100部より倍にして200部発行に増刷することになりました。
いや、emaさん150部でも躊躇ってましたが。
確かに考えると怖いものも……
168ページの厚さの本が200冊、段ボール2箱分どどんと届き、家族に見られないようにこっそり隠して、こっそり通販準備……
印刷代金も増えますしBoothへの送料も増えます。あとで回収できるにせよ、初期負担がかなりなものに……(*_*)
一冊一冊ビニール詰めして付録や通信つけて………何だか気が遠くなりそうです。いやー本当にemaさんところに駆けつけて一緒に内職作業してあげたいですー(実はそういう地道な作業好きです♪)


今現在で200部ギリギリの注文です。確実に手に入る宅配便注文は予定数終了しました。
Boothでのメール登録は、注文が完了したわけではありませんので、メールで入荷報告があり次第、それぞれ購入手続きをお願いします。(Booth入荷は8月中旬以降となります)
もしかしたらメールが届いてすぐはBoothへのアクセスが殺到して繋がりにくくなる可能性もありますが、落ち着いて対応してくださいませ。
PC操作が苦手で、うまく購入出来ません、という方がいるかもしれません。(私もそうなので気持ちはよーくわかります……)とりあえずは、BoothのQ&Aなどで勉強しつつメールが届くのをお待ちくださいね。Pixivの会員登録は先に済ませた方がよいかと思われます。emaさんの他の在庫品でお試しでやってみるというのも一つの手ですよ(最終的には購入ボタンを押さずとも、練習で登録手続きをやってみる、とか。いえ、購入して差し上げればemaさん小躍りして喜びます。ミニイラスト本とかイリコトぬりえとかバッジとかイリコトコースターとか、お手軽な値段の可愛いグッズが揃ってますよー)

……にしても、ある種早い者勝ちで、200部でも買い損ねる方が多くでる可能性もあります。

そんな方はひとことemaさんのところに『無念……再版希望』とお伝えいただければ、再版の可能性も十分ありますので、気長にお待ちくだされば、と思います。

さて入稿まであと5日です。
原稿作業をしつつ事務準備も進めているemaさんに何のお手伝いもして差し上げられないのがもどかしいのですが、とりあえずSNSでやり取りしつつ、ちょっとした相談にのったり励まし送ったりで応援する日々……

でも、私も本当に皆さまと一緒に発行を心待ちにしています!

本を待っておられる皆様も時折emaさまのブログをチェックして、進捗状況を確認してくださいね。




さて、そろそろ連載も再開したいし(アイシテも続き書きたいし、娘が球技大会なんてあったみたいでキミゴゴも書きたくなるし、夏本の流れから神戸も書きたいし~~三つ巴の脳内戦争)、納涼祭りもかきたーいと吠えてるだけの私も時間が足りなさすぎてもどかしいのです!

とりあえず……溜めに溜めまくってるリコメもガンバリマスf(^^;






2016.07.10 / Top↑


20040707 ~やっぱり、傘はひとつだけでいい。




暦が文月となってはや1週間。
1年の半分があっという間に過ぎたと思ったら、まだ明けてない筈の梅雨空も、ここ数日は鳴りを潜めて、真夏の灼熱の空に支配を譲っていた。
年々早まる猛暑日はすでに幾度か記録が塗り替えられ、朝から既に気温は高く、突き抜けるような青空は、ついうっかり今がまだ梅雨であるということを失念させてしまいーー



そしてーー。
唐突にぽつりぽつりと降ってきた雨を掌に受けとめながら、彼女は呟くーー。

「傘、忘れちゃった…………」





「朝、あんなに天気よかったのにねぇ」

「そうだよねぇ」

「もしかして、夜、おりひめさんとひこぼしさん、会えない?」

「うーん、多分通り雨みたいな感じだから、すぐ止むと思うんだけどなー」

「夜は晴れるかなー? 天の川見られる?」

「天の川は晴れてても見えないと思うけど……きっと織姫さまと彦星さまは会えるよ」

「ほんと?」

心配そうな琴美の顔がぱっと晴れやかになる。
琴子は娘の手を握りながら、「きっと止むよ」と、恨めしげに突然青空を覆い隠した真っ黒な雨雲を見つめた。

今日は琴美の幼稚園の七夕会だった。
午後から幼稚園に赴き、一緒に七夕飾りを作り願い事を短冊に書いて、園庭に立て掛けられた大きな竹に飾り付けた。
子供たちの織姫彦星の寸劇を観たり、歌を聴いたりしながら、あっという間に過ぎた時間だった。

こうした行事のある日は親子で帰宅が基本だ。
普段はバス通園なので、琴美は母と電車を使って帰れるのが楽しくて仕方ないようだ。
もっとも殆どの親子が車で帰園していた。
ベンツやBMWで帰宅時は道路が渋滞していたくらいだ。
入江家も本当は、紀子が迎えにくる筈だった。
出掛ける直前に親戚の訃報が届き、迎えに行けなくなったと琴子の携帯に連絡があったのは、殆どの親子がすでに帰園し、二人きりで幼稚園の園庭で紀子の迎えを待っていた時だった。

もう少し前なら誰かの車に乗せてもらうということも可能だったが、手遅れだった。すでに残った親子は琴子と琴美のみ。

「電車で帰る?」

と琴子が訊ねると、琴美は嬉しそうに「電車のるーっのりたーい!」と答えたのだった。

僅か二駅だったが、琴美は楽しそうに車窓の風景を眺めていた。
帰宅ラッシュには少し早かったせいで、席がひとつ空いていて、琴美を座らせた。
初めてというわけではないから、きちんと乗車マナーも守って大人しく座っていた。次の駅でお年寄りが乗ってきたら、すぐに立ち上がって譲ってあげた。
車内は琴美のお陰でほっこりとした空気に包まれていたが、あっという間に二人の降りる駅に到着した時には、空は随分と厚い雲に覆われ怪しい色合いとなっていた。
そして、段々混雑してきた改札口を琴美の手をしっかり握って抜け、駅舎から一歩出ようとした途端に、大粒の雨が琴子の頬に当たった。


傘は持っていない。
いや、一応梅雨時だし、天気予報も夕立の可能性は高いと云っていたので傘は持っていくつもりだった。
つもりだっただけで結局忘れた。
何年たってもその辺りの学習能力はないのだ。

「あ、みーちゃんはカッパがあるかも」

琴子は琴美の通園バッグをごそごそと探す。

「あーあった」

小さくコンパクトに畳まれたビニールを広げると、黄色い地に緑のカエルのキャラクターがたくさん張り付いたキッズ用レインコートとなった。

「梅雨時はお散歩出掛けた時に突然降られちゃうかもしれないから合羽を携帯させてくださいねーってことだったけど、良かったねーー」

「うん!」

とはいえ、琴子には何もない。
雨は大粒だが、まだそんなに激しくは降りだしていない。琴美にレインコートを着せてあげれば自分は傘なしでも大丈夫かな? と空を見つめる。

駅前のタクシー乗り場は突然の雨のせいであっという間に行列ができている。
雨が降っていなければタクシーを使うには申し訳ないような距離だ。
琴子には最初からタクシーに乗ろうなどという選択肢はなかった。

「走って帰る?」

「えー、ママ合羽は?」

「ママは合羽ないの」

「じゃあ濡れちゃうよー」

「うーん、でもまだそんなに沢山降ってないから今のうちに……」

そんなことを話しているうちに、少しずつ雨足は強くなってきたようだ。
合羽を着せてもらった琴美はテンション高くくるくると雨の中走り回っている。

「えーい、もう悩んでると雨ひどくなりそうだから行っちゃおう!」

どうせ家に帰るだけだ。
帰ったらシャワーを浴びればいい。
琴子は琴美の手を繋いで、「行くわよー、みーちゃん!」と、雨の中、一歩を踏み出した。


そして、数メートルも行かないうちにーー。


「あ! パパだ~~!」

紺色の大きな傘を差した直樹が、急ぎ足で行き交う人の波の中を縫うようにこちらへ向かっていた。

「入江くん………」

「よお」

「どおしたの?」

「迎えに来たんだよ」

「………へ? 今日は普通に日勤じゃなかったっけ?」

朝いつも通りに出勤する夫を見送った筈である。
琴子は今日は子供の行事だからとシフトを外してもらっていた。こんなとき子持ちは融通を効かせてもらえてありがたい。

「今日は手術だけ。予後も安定してたし、昨日が遅かったから、少し早目に上がらせてもらった。そしたら、おふくろから電話があって、二人を駅まで迎えに行けってさ。多分おまえたち傘持ってないから」

「なあんだ」

仕事の筈の直樹が目の前に現れた時、不思議な既視感に襲われた。
一瞬ーー遠い過去と空間が繋がって、あの日の直樹が此処にやってきたのかとーー。

そんな訳はない。
第一直樹の手には琴美用の小さな黄色の傘があった。

「あれ? 傘はみーちゃんのだけ? ママの傘はないの?」

琴美が不思議そうに訊ねた。
琴子も同感で直樹の顔を伺いみる。

「いいんだよ。パパの傘が大きいから、ママと一つで」

「えーでもみーちゃん合羽あるから傘要らないよー。みーちゃんの傘、ママにあげるよ」

「ありがとう。でもみーちゃんの傘ちっちゃくて」

「そっかあ。じゃあママとパパ、アイアイ傘だね! わーいラブラブぅ」

大きな声で囃し立てる琴美に、周りもくすくすと笑い声をたてながら通りすぎていく。

「さあ、琴美。はしゃいでないで、帰るぞ」

「はーい」

そして親子三人は雨の中、家路へと向かった。




「……それでね、みーちゃんってば短冊に全部同じこと書くのよ? 五枚ともよ?」

「へぇ。どんなこと書いたんだ?」

「あのねあのねあのね。みーちゃんのお願いはねー『いもうとがほしいです』なのー」

「『いもうとをください』、『おねえちゃんになりたいです』『あかちゃんがうちにきますように』『あかちゃんはおんなのこがいいです』」

「おんなじことじゃないじゃん」

「意味は同じでしょ?」

「同じ意味でこれだけバリエーション変えて書けれるなんて、すごいな、琴美」

「へへへ、みーちゃんスゴい~~?」

「確かに、この子、字も上手なの。同級の子達は殆どまだ解読不能で。さすが入江くんの血を引いてるなーって今日は実感したわ」

「ゆーこりんはねぇ、短冊に『 ねがいこと』って書いただけなんだよー」

「先生から『願い事』書いてくださいって云われたから、その通りに書いたんだよねー」

幼稚園児の願い事、面白いのよ。半分も読めないけど!

結構ツボだったのもあったらしく、コロコロと笑いながら話して聞かせる。

「………琴美の願い事が叶うかどうかは琴美次第だよ」

直樹が神妙な面持ちをして娘に告げる。

「えー、どうしたら叶うの~~?」

「とりあえず今夜はおばあちゃんと寝ることかな?」

「えー? どうしてぇ?」

「入江くんっ/////」

琴子の抗議は空しく無視され直樹はさらに真面目くさった風で娘に語る。

「妹を造るには神様に渡す設計図が必要なんだ。夜、パパとママが相談して作らなきゃいけない」

「ふーん。どんなせっけいず?」

「例えば、目はママに似てるとか、鼻はパパに似てるとか。性格はどんな風がいいかな、とか」

「あ。みーちゃんねぇ、お姉ちゃんっこのいもうとがいいなぁ。りんちゃんちのるーちゃんみたいにずーっとお姉ちゃんの後をついてくるの。すんごい可愛いの!」

「わかった。それも設計図に書いておくよ。でも、神様は気紛れだからちゃんと設計図通りに作ってくれることは滅多にないからな。思った通りの妹じゃなくても、いや妹じゃなくて弟でも、もしかして中々生まれなくてもーー神様に文句をいっちゃいけないから」

「うん、わかったぁ」

「とりあえず今夜はおばあちゃんの部屋な」

「うん!」

すっかり娘を丸め込んだ直樹を呆れながら見上げる琴子。

「なんだよ、文句ある?」

少し意地悪そうに、直樹は琴子の耳元で囁く。

「……別にないけど。確かにそろそろ二人目欲しいなーって思ってたし」

「じゃあ家族全員の総意だな」

きっと義母紀子も喜んで琴美を預かってくれるだろう。

妹への期待にテンションが上がったのか、琴美は両親から離れて雨の中、水溜まりを跳び跳ねて遊び始めた。

「………なんか、不思議」

「何が?」

「さっき、入江くんが駅に迎えに来てくれた時、ふっと思い出したの。昔、あの雨の日にあたしのこと待っててくれていてーープロポーズしてくれた日のこと。入江くんの差してくれた傘に入って二人並んで歩いて……ね、ちょうどこの辺りじゃない? 入江くんが突然変なこと訊いて、突っかかってきたと思ったらいきなりひっぱたいてきて、そして突然ーー」

ーーキスしてきたこと。

まざまざと思い出して妄想モードに入りかかったのが分かりやすく顔に出る。

普段は鳥頭のくせして、そんなに細かく覚えていなくてもいいのに。
特に逆ギレして頬を叩いてしまったことに関しては出来れば記憶からすっぱり削除して欲しいのだが、と苦笑する。
若気の至りの一言で済ますには過去の自分の大人気なさに、時折虫酸が走ることがある。
なのに、琴子はすべてを飲み込んで受け入れて、あの日と全く変わらない愛をもって今もなお包み込んでくれる。

「……… 時々思うのよね。あの日、入江くんが駅で待っててくれなかったらどうなってたのかしらって」

「前にもそんなこと言ってなかったか?」

「そうだっけ?」

「そうだよ。鳥頭」

「そっかぁ~~でもね、それだけあたしにとっては大切な出来事なんだよ。人生のき……き……分かれ道ってヤツ?」

岐路と言いたかったらしい。

「分かれ道じゃないよ。道は初めから一つしかなかったんだから」

「え?」

「例え何か掛け違って、あの日におまえにプロポーズすることが出来なくても、きっと必ず何処かでおまえを掴まえたと思う」

「………入江くん……」

いつの間にか雨は小雨に変わっていた。
しとしとと心地よい雨音が、二人だけの空間を作っているようで、傘の外の世界から二人を遮断する。

「 で、そろそろ、例の場所だけど、再現キスでもしたいわけ?」

「そ、そんなわけないでしょっ!」

過去を回顧し、妄想し再現したいと思うのは琴子の定番パターンなのだが、さすがにこの日が高く人通りもある時間に、そんなことは望みはしない。

「あれから10年以上も経ったんだなーって懐かしんでただけだもの」

「そうか」

「そうだよ。まさか10年経って、親子でこんな風に歩くなんて思いもしなかったし」

「そーだな」

同じ街、同じ道。
少しずつ変わった家や建物はあるけれど、変わらず家路へと続く道。

「ママーっ雨、止んだよ~~!」

少し先を歩いて、時折水溜まりを覗き込んだり、跳び跳ねたりしていた琴美が振り返って叫んでいた。

「あ、ほんと」

琴子が傘から手を差し出す。

「ああっママ、虹! 虹が見えるよー」

少し興奮したような琴美の声に、思わず琴子も空を見上げる。

「本当だー。きれい!」

いつの間にか空の雨雲はゆるやかに流れていき、青空が垣間見え、4分の1の弧を描いた虹が空に薄く浮かんで見えていた。

「傘、閉じなきゃ……」

琴子が直樹の持っている傘の柄に手を掛けようとしたら、直樹がすぐに自ら閉じようと傘の上部の上はじきと呼ばれる部分に指を添えて、傘を斜めに傾ける。



「……?」

琴美は一瞬、おや? と思った。
一本の傘に入っていた両親が、傘を自分の方に傾けてその姿が見えなくなったのだ。
ほんのちょっとの時間のような気もしたけれど、少し長いような気もした。傘を閉じようと傾けた割りには、半分閉じられたまま、そのまま止まっている。

ーーと、思ったら、すうっと傘が閉じられて、隠れていた両親の姿がちゃんと現れてほっとする。
何故か母の顔が赤い。

「どうしたの? ママ? 顔が赤いよー」

「な、な、なんでもないわよ」

「ふーん?」

なんだかパパはにやにやしてる。こんなとき、たいていパパはママに何かイタズラしてるんだよねー。

琴美は内心思ったが、すぐに目の前の虹に心が向いた。
いつまでも見ていないとすぐに消えてしまいそうだ。

彼らの横をすーっと通り抜けた一台の自転車の、少しびしょ濡れな部活帰りらしい男子高校生が、妙に赤い顔をしていたことは誰も気がつかなかった。



「さあ……帰ろう」

閉じた傘を持って、彼らは家路に向かう。
消えそうで消えない虹の彼方へ向かって。

「夜、織姫と彦星会えそうだね」

「うんっよかったー!」


梅雨明けは、もうすぐ。
また暑い熱い夏がやって来るーー。







※※※※※※※※※※※※



終わりました~~
本当は、『八月はラムネ色』の直樹さん進化の歴史のように、一話でそのホップステップジャンプを表したかったんですが、三つの話を書き上げるのに梅雨が終わりそうな気がしたので、やむなく3話に分けました~~
そして、結局1週間以上かかり……三景目を七夕にアップすることも叶わず……orz
そして、何よりやっぱり7月から始めちゃ遅いよねーな、感じですっかり晴天続き。ありゃりゃな感じでございましたわ笑
今日はちょっと雨降ったし、明日もうち方面は雨そうなので、ま、いっかf(^^;


直樹さん、娘からは死角になってたけど、後方は全く無頓着……f(^^;
相変わらず人に見られても気にしない性格です笑

そして、琴美ちゃんの願いが叶えられるのは10年後だったりします……
うちでは翌年生まれるのは弟なので(^w^)






2016.07.08 / Top↑


お話でなくてごめんなさい。
ちょっとCMです。

以前からちょいちょい話題にしているemaさま発行のイリコト夏本『Summer Holiday』、ema様のメインの漫画原稿も無事脱稿され、入稿まであと1週間となりました!






<本の詳細>

Summer Holiday



 2016年8月1日発行 


ゲスト むじかく様、匿名希望様 ののの

内容:夏のイリコトをテーマに、小説 イラスト 漫画 と盛りだくさん!

168ページの超ボリューム同人誌となります


A5 168ページ

表紙 カラー 本文モノクロ

オンデマンド印刷






すでに70名様から予約をいただき、続々と入金していただいているようです。ありがたや~~\(^o^)/

そして、boothでの販売も昨日より受付開始をしました。
残り25冊のところ、すでにそれを上回る登録メールが……!
はい、入稿またずして増刷決定です♪
120部は確実ですね(すごーい)私は150部は行けると踏んでます笑
入稿までの1週間のboothでの申し込みの数で発行部数が決定されますので、悩んでるあなた! 申し込むなら、今ですよ~~(^w^)

さて、ゲストとして参加させていただいた私ですが、3本お話を寄稿させて頂きました。むじかくさまの11本には到底及びませんが……f(^^;

どんな内容かと申しますと。
以前にも呟いた通り全てR18です……f(^^;

一本目は以前書いた『彼女が黒に着替えたら』の、続編。ちなみに、元の話はちょっと不謹慎な気がして下げてます(下げたやつの続編かいっと突っ込まれそうですが、一応それだけでも読めるように書いたので……)元々エロシーンだけをむじかく様に送りつけ、それを夏向けに改稿したものですf(^^;なのでえろが一番ハードですので、苦手な方はスルーで(((^^;)

もう1つは『セカンドキスをもう一度』。なんとなく予想つきそうですね。清里の話です。一応西暦シリーズのひとつになるのかなー。
あまりえろばっかでは何ですので、ハートフルを目指したのに、結局ラストはえろです(おい)。そして、ラスト2ページをセルフお絵描きで締めるという無茶なチャレンジ。本ならではの遊びです笑


ラスト『1997年の夏休み 番外編』。おいっと座布団飛んできそうですね……f(^^;
終わってない連載の番外編ってどーゆーこったいって、叱られそう……f(^^;
本当は発行までには連載終わらせて……と計算していたのですが、ああ、人生ってままならないものなのね……orz
終らないこと決定な時点でemaさんにはこの話下げてもらおうかとも思ったのですが、むじかく様との本数のバランスでとりあえず載っけちゃうことに。
一応ね、なんやかんやトラブルが解決したあとの、ラストの神戸夜景デートな話です。普通に神戸の隙間話として読んでもらえればいいかなーと。(まあ、救命メンバーがちょろっと出てますが)
本編では、別なデートを考えてますので、こっちはアナザーサイドってことで。

そして、これらの話は3本ともブログでは再掲する予定はありません!

ーーので、もし興味を持たれましたら、ぜひ、ご購入をお考えくださいませ。

いやーどれもブログでは載せられないネタばっかのものを選んだもので。
『黒』はえろすぎ、『セカンドキス』は漫画つき。夏休み番外編は、実は医療系下ネタ満載f(^^;
不特定多数ではない印刷物なら、ま、いいかって、感じで書いたものなので、ブログでは再掲する予定は今のところないのです。

あと、自分のお話のタイトルページの構成とイラスト。2ページIF漫画。webおまけに載せてくださいと送った筈の『黒』のパロディ四コマ漫画。等々下手くそなお絵描きも少し披露してます。
それと本を購入された方のみご案内のWebおまけに、さらに『黒』のホラー風味のアナザーストーリー書きました。風味だけでホラーにはならなかったです笑 いやーホラーって難しい。


あ、そうそう。
以前私が書いた夏のお話『八月はラムネ色』をイメージしたイラストを匿名希望様が書いてくださって、そして、さらにそのイラストにむじかく様が別な話をつけるというちょっと不思議なコラボもしてます♪

匿名希望様もむじかく様のブログでは素敵な色鉛筆画でイラスト描かれてますが、ペン画も本当に繊細で綺麗なんですよー。思わず「なに使って書いてますか?」と訊いてしまいましたよ。


ああ、もちろん忘れてはならないのがema様の漫画ですよ!
あの高3の夏休み最後の夜、もしも二人が一線を越えてしまったら~~というもうウハウハもののIFでございます。
天才といえど青いもので中々苦戦しているらしい青江くんについ頑張れーとしつこいエールを送り続けた私としては、無事本懐遂げられたようで、とーっても楽しみにしてるのです!(チラ見で何ページか見せてもらってはいるのですが、全貌は本が出来てのお楽しみww)



と、まあこれだけ煽ればすっかり買いたい気分になっていませんか?
多分、同人誌を買うことを躊躇っている方もいるかもしれません。私がそうでしたから。過去、がっつり同人やっててそれらを大量に捨てて絶ちきったつもりで、再び買うものかーと決意してましたが、イリコト読みたさにあっさり決意は翻りました……そして、とうとう参加まで。びっくらぽんでございましたよ。

とりあえず興味を持った方はまずema様のブログEmbrass-moi
へご訪問くださいませ。

そこにBoothへの入口があります。
本はまだ発行前ですので、在庫なしとなっておりますが売り切れではございません。Boothで登録してもらって、入荷したらメールを送ってもらい、その後購入する方法と、送料が割高になりますが、確実に手に入れたい方むけのフォームと2種類あります。
私も詳しくはわかりませんので、どうにも分からない場合はema様のブログでお訊ねくださいね。


それでは。
たくさんの方に手に取っていただければ嬉しいなー(^w^)

そして、もしかしたら、次は春本………? なんてね~~(^w^)






落書きの一部…… ema様から入江くん色気有りすぎ~~とお言葉いただきましたが、ありますかね……?


7/10追記

たくさんの方の購入希望、ありがとうごさいました。
Boothでの確実に手に入れたい方の宅配便は予定数終了しました。
メール登録はBooth入庫までできますが、在庫冊数を超過するご注文があった場合、購入できない可能性もありますので、ご了承ください。
欲しくても買えない方が多数になった場合は再版の可能性もありますので、まだまだ悔しがらないでくださいねー!


2016.07.07 / Top↑

梅雨祭り始めた途端に晴天続きの猛暑続き。
ありゃ……まあ、そんなもんですよね笑

妄想してた時はずっと雨だったのになー



※※※※※※※※※





19960704 ~傘はひとつだけでいい。



暦は文月となった。
1年も半分が過ぎて、季節はすっかり夏模様だ。
今年はどうも空梅雨らしく、梅雨模様の日が少ないものの、時折来る不意打ちの雨はゲリラ豪雨などと呼ばれ、この時期の空の気まぐれさを恨みがましく見つめるだけ。

そしてーー。
ぽつりぽつりと降ってきた雨を掌に受けとめながら、彼女は呟くーー。

「傘、忘れちゃった…………」






ぱらぱらと降りだした雨に、看護科棟のの玄関口から一歩踏み出した琴子は、このまま走り出すべきか雨宿りしようか空を見上げて少し迷う。

今年の梅雨は雨が少なくついうっかり折り畳み傘を携行することを忘れていた。
朝はそこそこ晴れていたのだ。
今朝は寝坊した為に、天気予報も見ずに家から飛び出した。
無論、目が覚めた時には隣に寝ている筈のマイダーリンは既にいなくて、とっくに大学に向かっていた。

「………起こしてくれてもいいじゃないねぇ?」

今日、琴子が1限目に講義があると分かっているくせに。
しかも寝坊してしまった原因は直樹のせいといっても過言ではないのだ。

翌日に1限目がある夜はダメって、何度もお願いしてるのに。

何処にスイッチがあるのかさっぱりわからないけれど、触れてこない時は全く関心なさげなのに、普通に寝ようと眠りモードに入った途端、直樹の手が琴子のパジャマの中に潜り込んで悪戯を始める、なんてことはよくあることで。

一応「明日授業が~~!」とささやかな抗議を試みるが、直樹から誘われて断れる訳がないではないか。
何となく昨晩もなし崩しにそんな雰囲気になってしまったけれど、来週からまた新しい科への臨床実習が始まるせいなのか、ここ数日はほぼ毎晩コースなような気もする。

うん、まあいいのよ、それは。
去年みたいに全然構ってくれない方がずっとずっとイヤだもん。
こんな風に毎晩構い倒してくれるのは、ちょっと嬉しい。(腰はつらいけど)

でも、せめて朝起こしてくれたって……

だから、だから、傘忘れちゃったんじゃない~~!!

と、傘を忘れたのは直樹のせい、というところに思考が帰着して、だったら直樹の傘に入れてもらいましょう! というとっても明快な大義名分を手に入れて、琴子は意気揚々と直樹のいる医学科棟に向かった。

看護科棟と医学科棟は隣同士だ。
そんなに濡れることなく、医学科棟の玄関口まで駆け抜ける。

直樹のいるのは研究室の居並ぶ4階フロアだ。
5年生になってからはずっとこの田沢ゼミの研究室に入っていて、小児再生医療の研究をしているらしい。
遺伝子がどーの、細胞がどーのと、琴子にはさっぱりわからない世界の話だ。
ただ研究室はなんとなく敷居が高くて、入るのは少し躊躇する。
とはいいつつも、すでに幾度となく訪れて、すっかりゼミ研のメンバーとも顔馴染みになっているのが実に琴子らしい。

「………入江くん、います……?」

琴子がドアをノックして、そおっと顔を覗かせる。
極秘研究や実験の真っ最中の時もあるから絶対に勝手に入るなと、直樹には幾度も叱られているのが、敷居が高く感じる理由である。


「どうした?」

白衣を身に付けた直樹の姿が真っ先に目に入って、思わずほっとする。
しかも直樹一人しかいないようだ。
よかったーと密かに思う。

実験台の上で顕微鏡を覗きこんでいた顔をあげ、琴子の方に視線を向けた直樹としっかり瞳が合う。

やん、かっこいいなー。顕微鏡を覗く入江くん。どこぞの博士みたいー♪

などと、内心テンション高めつつも、「……入っていい?」
ーーと、恐る恐る訊ねる。
すると、愛する夫が軽くため息をついて、「いいよ」と答えてくれたので、喜び勇んで部屋に一歩を踏み入れた。

「あのね、入江くん、いつ頃帰れそう? あたし、傘忘れちゃって……一緒に帰れないかなーって」

足取り軽く喋りながら直樹に近寄ると、彼は軽く眉間に皺を寄せ、
「この時期に折り畳みも持ってないのかよ」と呆れたように呟く。

「今日は午後から70%、夜は豪雨かも、って予報だったのに」

「 ……知らないわよ。天気予報見る暇もなく家から出たんだもん。誰かさんのせいで寝坊しちゃって」

「一応、朝、鼻つまんで起こしたのに人の脛を蹴り倒して起きなかったのは誰だよ。それにおふくろにも頼んでおいてやったんだぜ? 」

「お義母さんには、ごめんね、ゴミだし行って近所の人と立ち話しちゃってたの~~って散々謝られたわよ」

「その前に三回くらい目覚ましも鳴ってる筈」

「う………」

結局寝坊の大元の罪状は追求できないまま終わるのだ。

「そして、最初の質問に戻るけど、多分後2時間は帰れない」

「えー」

直樹の答えにがっかりするものの、やっぱり、とも思う。
期待はいつだって半分くらいにしておかないと身が持たないのだ。

「おれの傘を貸すから、先に帰ってな」

「え? でも、そしたら入江くんは?」

夜はもっと雨が酷くなるということなのに。

「まあ、なんとかするよ」

「なんとかって…………」

「あら、じゃあ私が帰り駅まで送ってくわ。なんなら自宅まで送っていってもいいけど」

琴子はぎょっとした。
直樹一人しかいないと思ってたのに、奥の給湯室から一人の女性が出てきたのだ。

誰?

ゼミ研のメンバーではない。全員顔を知っている。
特に女子は二人だけだが、直樹に興味のない数少ない奇特な女子をチョイスしたと田沢教授が吹聴していたのを聞き及び、ナイス、教授~~! と心のなかで喝采を送ったものだ。
なんにせよ、直樹がいることで変な色恋やら不倫騒動やらで殺傷沙汰にでもなっては困ると思ったらしく、この学年のゼミの振り分けは大変苦慮したとのもっぱらの噂だ。
その二人の女子のうちの一人は結婚している三十代元看護師の医学生で、もう一人はやっぱり彼氏のいる彼一途な女の子だ。琴子とも普通に恋ばなをしたことがある。

だが今目の前のこの女性には全く見覚えがない。
白衣を着てるが、学生なのだろうかーー?

「曽田先生」

ーー先生?

「入江くんもどうぞ」

彼女は2つカップを持っていて、1つを直樹の前に差し出した。

「ありがとうございます」

「えーと、彼女も飲む? ……入江くんの奥さんだよね? ……噂の」

「噂? え? え……あ、いえ、要りません!」

少し焦ってつっけんどんにコーヒーを断ってしまった。

「はじめまして。私、田沢教授の助手の曽田です。4月から着任したのだけど、こっちには中々顔を出せなくて」

「臨床の方が忙しかったんでしょう」

「まあね」

び、美人………。

琴子はその整った顔立ちと、理想的なナイスバディについ一歩引いてしまう。
松本裕子のような華やかさはないけれど、ナチュラルで涼やかな美貌だ。
助手ということは、いずれは講師、そして教授を目指すなのだろう。
才色兼備とかいうやつね、と琴子は思わず身構える。

なんで入江くんの周りにはこんな美人で賢い人ばっかり………

琴子の心の声に関係なく、二人はにこやかに談笑している。

「……ということでいいわよね?」

「え?」

「だから、私が入江くんを送って帰るから、あなたは先に帰って………」

そう言って、車のキーを見せる曽田に、琴子は思わず「ダメです!」と叫んでしまった。

「 きょ、今日は一緒に買い物して帰る約束してますから! あたし、2時間くらい平気で待てるんで、そんな気を遣っていただかなくても全然大丈夫ですから!」

思わず直樹をガードするように二人の間に割って入り、つい大声で宣言してしまった。

一瞬虚をつかれたような顔をした曽田だったが、すぐにくすっと笑い、「あら? ヤキモチ? 可愛いわね。大丈夫よ。私、年下趣味じゃないから」
と、楽しげに琴子を見つめる。

いや、そんな自己申告信用なるものか。
直樹を見て惚れない女子なんて殆どいないのだ。
琴子の中の危険予知センサーがさっきから煩いくらいに警報を鳴らしている。

「学生を車で送ってあげることはよくあるのよ。入江くんに限らず」

そうなのかもしれない。
何も邪な思惑はないのかもしれない。
でも、イヤなものはイヤなのだ。
直樹が彼女の車の助手席に座っていることを想像するのも耐えられない。

「先生。送ってもらえるなら琴子も一緒に、駅までお願いできますか?」

「ごめんなさい。私の車、2シートなの」

「だったら、琴子と一緒に歩いて帰りますよ。………何か『買い物』があるらしいので……」

「入江くん……!」

「あら、そう?」

曽田は肩を竦めて、苦笑いをした。

「2時間以上、何処で待つつもりだ?」

「とりあえず図書館! 図書館追い出されたら玄関で待ってるよ。ずっとずっと待ってるよ! 一晩中だって待ってるから」

直樹にそう言うと、「さすがに一晩はかからないよ」 と、くしゃっと琴子の髪を掻き回すように撫でる。

「じゃあ、待ってるからね~」

琴子は曽田の前で、直樹がそんな仕草をしてくれたことにちょっと気をよくして、にこやかに研究室を後にしたのだった。



そして、すでに2時間半が過ぎた。

図書館は6時閉館で、1時間ほど前に追い出された。
その後は直樹のいる研究室のある棟の玄関口でずっと待っている。
座る場所もないので、立ちっぱだ。
そして、雨はどんどん本格的に降りだしてーー

今はバケツをひっくり返すような勢いの土砂降りだ。


「…………これは…… 待ってない方が良かった……?」

どう見ても2時間半前に帰った方がまだ小降りで安全に帰れた気がする。

いや、自分の選択に間違いはない筈だ。
待つと琴子がごねなければ、もしかしたら直樹はあの助手の車に乗って帰っていたかもしれない。

ああ、そしたら、きっと駅なんかじゃなくて駅裏のラブホに到着してしまっていたかもしれないじゃない!

ーー先生、ここは? 駅じゃないですよね?

ーーまあ、駅よ。あたしたちの物語の始まりの駅なのよ! 二人で旅立ちましょう! あんな学生Bみたいな嫁との日々はこの雨の中、側溝にでも流してしまいなさい!

琴子はぶるんぶるんと首を振って湧き出す怪しい妄想を打ち払う。

…… 大丈夫。
入江くんはそんな誘惑には絶対乗らないんだから。

ほら、雨よ雨。
雨といったら、あたしたちの始まりの日じゃないの。
思い返すならあの日をリフレインよ。
ね、今思い出してもとーってもロマンチックじゃないのぉーー

あの雨の中、入江くんあたしを迎えに来てくれたのよ! もう驚いたのなんのって!
そして二人で相合傘で、歩いて帰って、そして突然のキーーッス!!

あれ? ちょっと待って? あの時、入江くん傘を一本しか持ってなかったよね?
迎えに来てくれた割に一本だけって、最初から相合傘狙い?
やーん、入江くんってばーー!

ああ、そういえばあの時の傘は何処に行ってしまったのかしら。
あの後傘も差さずに2人土砂降りの雨の中帰ったのよねーー。
もう全身ずぶ濡れで……
うん、でも今の方が雨、酷いかも。

琴子は激しい音をたてて地面に降り注ぐ雨をぼんやりと見つめる。

夏至を過ぎてまだ2週間。日も随分と長い。今は厚い雨雲に覆われて薄暗いものの、本当ならまだ微かに明るい時間帯だ。
だが、そろそろお腹もきゅるきゅると空腹を切なく訴える時間でもある。

ーーああ、でも、お腹すいたよー
いりえくーーん………まだあ?

もう、もう、せっかくここまで待ったのだから一緒に夕飯食べて帰りたいなー
ああ、でも夕飯用意してあるんだよねー。お義母さん、今夜お出掛けするって、先に作っておくから温めて食べてねーって……
何かなー今日のご飯……
確か冷蔵庫の中には鯖があったわね……味噌煮かしら……お義母さんのサバミソ、お父さんのと違った味わいがあって美味しいんだよね……味噌が違うせいかな……?


「乙女チックに待ってると思いきや、色気ねーな。何がサバミソだよ」

「へ?」

琴子の真後ろに直樹が傘を持って立っていた。

「い、入江くんっ」

「あら、本当にずっと待ってたのね。忠犬ハチ公みたいで可愛いわ。じゃあね、本当に送らないでいいのね? 雨、すごいことになってるけど」

曽田も一緒のようだった。
二人だけで2時間半もあの部屋にいたのかと思うと少し妬ける。

「2人だけじゃねーぞ。時任も風間も一緒に実験してた。一足先に帰ったからここ少し前に通った筈だ」

まるで琴子の心の声を読んだように答える直樹に微かに安心する。
そして、直樹は曽田の方を見て、
「ここで琴子置いておれだけ車に乗って帰ったら鬼畜でしょう」と肩を大袈裟に竦めてみせた。

「確かに」

「 駐車場、離れてるでしょう。車に辿り着くまでにびしょ濡れじゃないですか?」

「まあ、帰るだけだからいいけどね。教授たちは近いとこに停めてるのにねー腹立つわー」

「先生の車、2シートじゃなければ琴子と乗せてもらったのに。もっと実利的な車にしてください」

「やなこった。私の愛車はイケメンの男しか乗せないのよー」

そして、曽田は土砂降りの雨の中、傘を差して玄関を出ていった。

「ひやーーっ! もう、傘、意味ないじゃないっ」
と、叫びながら。



「…………どうする? お袋、呼ぶか?」

見事に予報的中と、誉めるべきなのかーー。
豪雨などという言葉では可愛いくらいのけたたましい土砂降りの雨だ。

これは……相合傘なんて無理だ……

さすがに琴子も諦める。
歩き出しただけで遭難しそうな気がする。

「お義母さん、今日お出掛けでいないのよ」

「……肝心な時に役に立たない人だな……」

忌々しげにそう言う直樹に、「そんなこと言わないの」と、嗜める琴子。

「タクシー呼ぶか……それとも雨足弱まるまで、少し時間を潰すか……」

「うーん、どっちでもいいけど、あたしお腹すいた……」

「そのようだな……」

琴子のさっきから煩いお腹の音に、直樹もくすくすと笑う。

「じゃあ、研究室で少し止むのを待つか……部屋にはカップ麺くらいあったし」

「あーん、もう何でもいいよー」

「サバミソないけどな」

「あったら驚きだよ」

そして、結局2人は研究室に逆戻りとなった。



「なんか、入江くんがカップ麺食べてるの、初めて見る気がする」

2人で研究室に備蓄していたカップ麺を啜りながら、琴子は滅多にないシチュエーションにちょっとわくわくしていた。

「そうか? 一人暮らしの時にはたまに食ってたよ」

「へえ、そうなんだー。入江くん一人でもきっちりちゃんとしたもの作って食べてたと思ってた」

入江家では非常持ち出し袋にカップ麺が入っているのを見たことはあったが、家族が揃っていてカップ麺が出されたことなど一度もない。

「でも、たまに食べると美味しいのよねー、こーゆージャンクな食べ物」

「まあな」

琴子はシーフード味で、直樹はキムチ味。学生たちの備蓄の箱の中には色々多彩な種類があって、選ぶときもちょっと楽しかった。

「お茶もらっていい? 冷蔵庫にある?」

「水ならあるよ」

食べ終わった後、琴子は研究室の冷蔵庫を開けると、ペットボトルやプリンやヨーグルト一つ一つに名前が書いてあるのを見て思わずくすっと笑ってしまう。
そして、『イリエ』とマジックで書かれた水のペットボトルを取り出した。

「なんか、変なものも入ってたよ」

冷蔵庫の一番上の棚にはシャーレが沢山並んでいた。

「ああ、実験用の細胞」

「ええっそんなのと一緒にプリン~~?」

「温度が丁度いいんだよ」

「なんか、笑えるーー」

琴子の知らない直樹の日常がここにあるのだなあと、そしてそれを垣間見ることが出来て少し嬉しい。

「雨、まだ止まないね」

食べ終わったカップ麺の器を片付けた後、窓際によって、ブラインドの隙間から窓の外を眺めた。

先程よりは雨足は弱まったが、止む気配はない。

「ねぇ、入江くん、訊いてもいい?」

雨を見ているうちに思い出したのか、琴子が直樹の方を振り返る。

「あの日ーーなんで傘ひとつだけだったの?」

あのプロポーズの夜。
迎えにきた直樹は、何故か傘を一本だけしか持っていなくて、途中までは相合傘で帰った。

「大学から直接駅に行ったから」

言葉足らずな琴子の問い掛けだったのに、直樹はすぐに分かったようだ。

「テニス部に行って、そこでおまえの友だちたちから、おまえが金之助からプロポーズされたって聞いて……そしたら雨が降ってきて。おれは部室に傘が置いてあったから、それを持ってそのまま駅に向かって、おまえを待ってた」

「………待ってたって……どれくらい?」

部活をやっているのはだいたいあの時期なら5時くらいまでで……
駅に着いたのは何時だった?
確か8時とかそんな時間だったような……

「さあな。あまり覚えてない。すごく長い時間待ってたような気もするし、短かかった気もするし」

いつ帰ってくるかわからないあたしを……
もしかしたら金ちゃんのところからそのまま戻らなかったかもしれないあたしを……
しかも、この時期と違ってもっと寒かっただろう。

「………雨の中、ずっと待っててくれたんだよね?」

「………まあね」

あまり突っ込むな、といいたげな少し不機嫌な顔。
でも琴子はあの時の直樹がどんな想いで雨の中、自分のことを待っていたのだろうということに初めて思い至り、胸がきゅうんっとする。
自然に瞳が潤んでくる。


「……ありがとね」

「何が?」

「あの時、あたしを待っててくれて」

そのままぎゅっと直樹にしがみつく。

「やっと思考が乙女ちっくになった?」

そして直樹も琴子を優しく抱き締める。

「本当に……よかったよ」

そして、聴こえるか聴こえないかくらいの小さな声で囁く。

「あの日おまえにちゃんと会えて……」




外は相変わらずの雨。
未だ止む気配はない。

二人だけの研究室の窓際で、長い長いキスを交わした後、直樹は少し楽し気に琴子に問い掛けた。

「……どうする? まだ止みそうにないな」

「え……うん。どうしよう……でもそろそろ帰らないと」

「プランが3つあるんだけど……」

「え? なになに?」

『プラン』という言葉に食い付く琴子に、にやりと直樹は己の提案を掲げる。

「ひとつ。タクシーを呼んで、そのまま真っ直ぐ普通に帰宅」

「う、うん。まあ、普通だよね」

一番当たり前のコースである。というか、他に道があるのだろうか、という気もする。

「そして、そのまま寝室へ直行」

「へ?」

「ふたつ。あえて土砂降りの中、1つの傘で帰り、二人して濡れ鼠になってそのまま風呂場へ直行。無論そのあとは寝室へ」

「…………………」

「もしくは、自宅に帰らず駅裏のラブホに寄るというコースもあるな」

じゃあ、4つだな、プランはーー
と、直樹がにやりとほくそ笑む。

「い……入江くんっ」

「そして、ラストプラン。このまま、ここで夜明かしする」

「へぇっっ?」

「あのソファ、ベッドになるから……」

直樹が指差したのはさっきまで座ってカップ麺を啜っていた、ラクダ色のソファ。

「おれのおススメは、ラストプランかな。なんといっても、琴子への最短コース」

「えーと………それは……」

何処でスイッチを入れてしまったのだろう?
琴子は一瞬悩んだ。
悩んだが、あっという間に降り注がれた嵐のような激しいキスに思考を奪われる。
そして、そのままソファに押し倒されてーー





この後、二時間ほどで雨は止んだ。
結局二人は流石にこの部屋に泊まることはなく、止んでから歩いて駅まで行き、そして終電ギリギリの電車に乗って帰った。
タクシー拾う?
という直樹の提案を断って、歩いて帰ると言い張ったのは琴子だ。

だって、二人で歩きたいんだもん。

ひとつしかなかった傘は使われることがなかったが、月が雲間からわずかに見え隠れする雨上がりの夜空を頭上に、少し湿った夜気の中を二人で歩いた時間は、何だかとても幸せだった。

……ちょっと歩くのが辛かったのは、まあお約束なのだが。





※※※※※※※※※



m様おすすめの土砂降りラブホコースも、e様リクエストの土砂降り風呂場へGOコースも、結局使えませんでした~~m(__)m






2016.07.06 / Top↑




連載でなくてスミマセン。
ちょっと銀座の高級クラブの雰囲気がわからなくて行き詰まっておりますorz
銀座ママのブログをさ迷ってしまっていました……f(^^;


で、ちょっと気晴らしに。
なんか季節もの書きたいなーと梅雨ネタ思い付きました。もう7月だけどさ。
でもまだ梅雨だし。
というわけで一人イタキス梅雨祭り開催♪



と、思ったら久々にC様が梅雨ネタで更新されてたのでちょっと密かにテンションアップ!……なのでした笑

S様宅のイタキス納涼祭り用のネタもちょっと妄想してましてよー(開催切望♪)




※※※※※※※※※※※※※※※




19900702 ~相合い傘






暦は文月となった。
1年も半分が過ぎて、季節はすっかり夏模様だ。
けれど、関東地方はまだまだ梅雨明けは遠く、降ったり止んだり時折雲間から光を覗かせたりと、天候は相変わらず移り気ですっきりしない。

そしてーー。
ぽつりぽつりと降ってきた雨を掌に受けとめながら、彼女は呟くーー。

「傘、忘れちゃった…………」






琴子は3年生の玄関口で、しとどに降ってきた雨を見つめて一人ため息をついた。
朝の天気予報の降水確率は20%だった。梅雨時期にしてはまあまあ晴れそうな数字ではないか?
それにしても梅雨時だから、折り畳み傘は携行するつもりだったのだ。ただ、前日も使い、そのまま傘立てに差しっぱなしだった。
そして、そのまま忘れた。
よくあることだ。

さて、どうしよう。

雨は随分と本格的に降りだしたようだ。
こんな日に限ってじんこも理美も用事があると先に帰ってしまった。日直の仕事があった琴子は置いてきぼりをくった。
金之助もバイトがあると早く帰った。
尤も彼がいると「よっしゃ琴子、家まで相合い傘やぁーー」と、きっと面倒くさいことを言い出すからいなくて良かったのだが。

などと考えている間に雨足はさらに強くなっていく。


「そんなとこに突っ立ってると邪魔。帰らないなら退いてくれ」

ふいに後ろから耳馴染みのある低い声が冷たく降り注いだ。

「入江くんっ」

天の助けとばかりに、琴子はハートマークを四方に撒き散らして同居人である彼に向かって手を合わせる。

「良かった~~あたし、傘忘れちゃって!」

「は? 馬鹿じゃね? この梅雨時に」

冷ややかな瞳ーーあまりに冷然とした口調。

「えー、だって、20%だよ」

「20%は降るんだよ。0%だってこの時期は信用ならねぇってのに」

と、にべもない。
そして、さらに意地悪そうな瞳で琴子を見下ろすと、

「で、『良かった~~』って、おれに何を期待してるわけ? 傘はこの小さな折り畳み一本。まさか一緒に入れてくれと?」

「う………」

確かに、直樹が鞄から取り出した傘は小さな折り畳み式。身体の大きな直樹一人しか雨は避けられないだろう。
に、しても冷たい。
帰る場所は同じだというのに。

右肩と左肩がお互い少し濡れてしまうけれど、それでもくいと肩を引き寄せられ濡れないようにくっつきあってーー

『もう少し寄れよ。濡れるだろ……?』

一瞬でも相合い傘を夢見た自分を思いきり嘲笑いたくなった。

「じゃあな」

そして話はこれまでとさっさと傘をカバーから取り出して、紺とグリーンのチェック模様の傘をぱあっと広げた。

「あたしはどうすればいいのよー」

「知らねぇよ、そんなの」

あくまで冷たい。
同居始めて3ヶ月。女として意識して欲しいなんて大それたことまでは望まないけれど、せめて家族友人レベルの労りはないものなのだろうか。

そして、彼は本当にあっさりと一人だけ傘を差してさっさと校舎から出ていってしまった。
振り返りもしない。

入江くーーん………

思わず恨みがましく去り行く彼の背に向かって手を伸ばしてしまう。

「はあ……どうしよう」

すると。

「この傘、使う?」

その時、まさに天の恵みが舞い降りた。

目の前に差し出されたのは大きめの黒の蝙蝠傘。

「ええっ。あ、えーとえーと、入江くんのお友だちの……」

「渡辺だけど。入江に置いてかれたみたいだね。おれ、毎度、帰りに晴れると傘を忘れて置いて帰っちゃって。今、学校、置き傘だらけなんだ。思いっきり男物だけど使っていいよ」

「え…… いいんですか!? わー助かります!」

雨はだんだんと本降りになってきて、それこそどうしようかと思ったところだった。
これはもう鞄を盾にして駅まで走るしかないかも、などと止みそうもない厚い黒灰色の雲を恨めしげに見つめていたのだ。

「まだ一本あるから大丈夫。ほら」

にっこりと笑う渡辺に、
「ありがとうございます!」
と傘を受け取ろうとした時ーー

「馬鹿。他人に迷惑かけるな。どうせ返しに行くのおれになるだろうが」

何故か、先に帰っていった筈の直樹が、琴子が受け取ろうとした渡辺の傘を奪い取っていた。

「入江くん!」「入江!」

二人同時に驚きの声をあげる。

「渡辺もこいつを甘やかすな。すぐつけあがるぞ」

「えー、でも傘ぐらい………それに濡れて風邪でも引いたら、結局おまえも迷惑被るんじゃないの?」

「馬鹿が風邪なんかひくか!」

「ひっひどーいっ! そりゃ、風邪なんて滅多にひかないけどさ」

さすがにあまりな直樹の言い様に琴子も抗議する。

「でも、意外と今日は寒いし」

蒸し暑さよりも、少しひんやりとした空気をもたらす雨であった。半袖の上に一枚羽織りたいくらいだ。

「………夏風邪は馬鹿でもひくか……」

「だから、さっきから馬鹿馬鹿って……」

「おまえが風邪なんぞひいたらおふくろはおれたちの飯の仕度そっちのけになりそうだし、裕樹にうつされても面倒だな」

直樹は諦めたように肩を竦めて、そして自分の折り畳みを差し出す。

「こっちの方が小さいからこれおまえ使えよ。おれが渡辺の傘を借りるから」

「え、あ、うん」

意外な展開に少し驚いて、琴子は差し出された折り畳み傘の柄を掴んだ。

「おまえが借りた傘をおれが渡辺に返しに行くのはなんとなく納得いかないが、自分が使った傘ならまだ納得いく」

妙なところに引っ掛かるらしい。

「いや、返すのいつでもいいから」

渡辺は少し肩を震わせて笑いをこらえるようにそういうと、自分用の傘を広げる。
そして、直樹も渡辺から借りた傘を広げる。折り畳みとは比べ物にならない大きな蝙蝠傘だ。

「悪いな。借りてくぞ」

「 ああ」

「あ、待って! 入江くん!」

琴子も直樹の折り畳みを広げて、またもやさっさと行ってしまう蝙蝠傘に隠れた直樹の背を追いかけていった。









そして。

「……………なんで、こんなことになるんだ……?」


そこは入江家最寄りの駅から自宅までの帰り道である。
学校から駅に向かうまでの道よりも、電車から降りた途端に、さらに雨足は激しくなっていて、土砂降りといっても良いくらいだった。

そして、その激しい雨の中、ひとつの黒い蝙蝠傘に二人は寄り添って入っていた。

「ご、ごめんね……入江くんの傘、ダメにしちゃって」

琴子の手には骨が曲がって妙に歪んでいる折り畳み傘。

「おまえといて無事でいられるわけがなかったんだよな」

「そんな、大袈裟な……ちょっと傘をドアに挟んじゃっただけじゃない」

電車から降りるとき、琴子の持っていた傘が車内にいる人の鞄に引っ掛かって、ドアに挟まってしまい、無理矢理取ろうとして結局折れてしまったのだ。

仕方なく駅からは直樹と相合い傘である。
いや、琴子的にはちょっとテンション高くなったものの、やはり隣の傘を持つ人間が不機嫌さマックスとなり、そのテンションも若干消沈気味だ。

「ちゃ、ちゃんと弁償するわよ!」

「別にいーよ。安もんだし。でも渡辺の傘、おまえに使わせないで良かった。これ、結構いい傘だぜ? 骨もしっかりしてるし、12本もある」

そして二人並んで入ってもあまりはみ出ず右肩と左肩が濡れることもない大きさだ。
ただ雨足が強いため路面の跳ね返りや、車の飛沫でそこそこ濡れてしまっていた。
相合い傘を楽しむにはとにかく雨が激し過ぎた。


でも、まあ、一応、初相合い傘、よね?

少しは進歩したのだろうか? 二人の距離は。
こんなに近くにいるのに、直樹は全く琴子のことは見ていないように思えていた。

中間テストの勉強の時は、それこそ一晩ぴったりと寄り添って、いかにすれば琴子がこの問題を解けるようになるのか、真剣に考えてくれていたのに。
しかし、期末テストの時はどんなに頼み込んでも、何一つ教えてくれなかった。そして、F組の入江の称号はあっさり撤回。
ああ、あの写真、期末テストまで返すんじゃなかった、と己の見透しの甘さを認識せずにはいられなかったものだ。


学校から駅に向かうまではそれぞれの傘だったから、琴子は直樹の足に追い付くのに精一杯だった。
今は同じ傘だから辛うじて歩調を合わせてくれているようだが、それでも琴子にはかなり速い。
直樹の差してくれた傘からはみ出ないように、必死になって歩みを進める。
ソックスはすでに泥ハネでびしょ濡れだ。

うん、まあ……ムードもへったくれもないよね……


とはいえ、背の高い直樹は琴子が濡れないように微妙に柄の高い部分を持ち角度を調整し、そして車が通った時も何気に傘を横にして庇ってくれていた。
あまりに何気過ぎて琴子は全く気がついてないが。

たとえば何故先に帰ったはずの直樹がまた戻ってきたのか、とかーー一瞬不思議に思ってもとりあえず答えのわからないことは保留になって結局そのままだ。
その答えは多分永遠に誰も教えてはくれない。

ーーおそらくは誰も知らない。

きっと雨の中を駆け抜けて、憎まれ口のひとつでも叩いて自分の横を通り過ぎていくだろうと想定していた琴子が、全く来る気配もなくーーふと振り返った時に目に入った情景に、気がついたら彼らの方へ向かっていたーーその理由など。
彼自身も全くわからないのだろうから。





「きゃーおかえりー!! まあ相合い傘よっ相合い傘で帰って来たのね~~~なんて素敵なの!! あ、待って、写真! ビデオ~~あ、傘畳まないで、お兄ちゃんっ~~」




とりあえず初相合い傘の記念証拠写真は撮れたので、良しとしよう。
ーーと、琴子は思うのであった。











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きっと入江くんは琴子が渡辺くんと相合い傘で帰ろうとしていると背中で察知したに違いありません笑

すでに機能が発動されている琴子センサー………(若干誤作動wwというか過剰反応)

一応三景まで考えてます。
次はアマアマな予定。ええ、甘いのにちょっと飢えてまして。疲れてるのね………f(^^;

できれば続けて3夜連日アップ……と思っていたけれど……多分……間違いなく、無理です……f(^^;




2016.07.02 / Top↑