1997年の夏休み (9)


8話もアップしております。そちらから先にお読みください。





※※※※※※※※※※※



8月13日(水)


その日は朝から2人の病児を受け入れていた。
お盆期間に入って、保育園では職員も園児も少なくなり、預かってはくれても体調が悪いとすぐに呼び出しがかかるらしい。
基本は保育室に入る前に受診してもらい、麻疹以外ならおたふくでもインフルエンザでも受け入れる。
一人は37度5分の微熱で、ここに来たときは少し下がっていたので概ね元気で、機嫌よく遊んでいる。
まだ1歳になったばかりの可愛らしい女の子で、まだハイハイが主な移動で、つかまり立ちと伝い歩きもするので目が離せない。
もう一人は5歳の男の子で前日から体調を崩して午後から受け入れた子だった。昨日は38度の発熱で、咽頭結膜熱(プール熱)と診断されて、隔離室で寝かされている。母親が仕事が休めないと、今日も引き続き預かっている。
しかし1日で平熱まで下がり、随分と元気なのにまだ登園禁止の為、隔離室に閉じ込めておかねばならない。昨日熱が高くてもなかなかベッドの中に大人しく収まってくれないくらいヤンチャなタイプで、前日からくるみと琴子を手こずらせていた。
定期的に看護婦も様子を見に来てくれて、病状に問題はないが、喉の痛みが治まらないようで機嫌が悪い。

まだ病児保育は一般的でなく、一部の病院で試験的に行われている為、受け入れる子供も4人までと決まっているが、2人でも大変なのに4人も受けたらパニックになる気がする、と琴子はため息をついた。
小児科での看護実習も済ませていたから楽勝だと思っていたが、燗の強い子供は大変だ。病人相手と分かっていてもつい声をあらげてしまう。

活発な5歳男児に対して、1歳の女の子は天使のように穏やかだ。特にぐずることもなく、大人しくクレヨンでラクガキをしていたが、眠そうにしていたので琴子がおんぶをしたら、5分ほどで寝てしまった。ベビーベッドに置いても起きることはなく一安心だ。

「マコちゃん、寝たの?」

「はい、あっさりと」

「広大くんもやっと戦隊もののビデオで大人しゅうなったわ~~」

「あれ、結構古いやつですよね。もう五年くらい前の」

「いまだにあのシリーズが人気らしいんやて。毎年新しいの出るのにな」

部屋に置いてあったのはゴッドペガサスのビデオだった。

入江くん、ありがとう!

密かに両手を合わせて感謝する琴子である。

「そろそろ昼やな。先に行ってきてな。今がチャンスやし」

「あー、いつもあたし先だからくるみちゃんどうぞ」

「いいん? また救命寄るんやろ?」

「ええ、まあ。逆にお昼外した方がいいかも、とか……」

結局昨日も直樹とすれ違いだった。
何だか自分の夫が実体のないもののようにすら感じる。
本当に神戸に実在してるよね、入江くん……
思わずそんなことを思ってしまう。

そんな時ーー病児ルームの外の廊下で何かざわざわと騒がしい気配を感じた。
廊下との境の壁には大きなガラス窓があり、部屋の中の様子がよく見えるようになっている。
実は琴子がここに来て3日間、頻繁に色々な人が覗きにきていた。
どうやら噂の「入江先生の嫁」とやらをチェックしに来ているらしい。
ナースや患者までが、ガラス越しに琴子を見つけるなり、くすくすっと妙な笑みをみせるのだ。二人で来ていると、笑いながらひそひそと何やら耳打ちしている。
はっきりいって気分は悪いが、こんなことは昔からだ。そもそも直樹との同居がバレた高校時代から、いつだって注目の的だったのだ。

ーーはあ、また誰かあたしのこと見学しにきたのかしら?

まるで動物園の檻の中で見物されているような気分だ。

そう思いながら廊下側のガラス窓を見るとーーいつも以上の人数の看護婦と女性患者が廊下にいる。うじゃうじゃと。
だが、彼女たちの視線は琴子ではなくーー

「い……い……入江くん!」

廊下から窓越しに保育ルームを覗き込んでいた直樹に、そこにいる女子たちの全ての視線が集中していたのだ。

うっうっうっそぉーー!

琴子は慌てて窓に駆け寄り、クレセント錠を外して窓を全開にする。

「おい、エアコンの冷風が逃げるだろ………」

直樹が最後まで語る前に、琴子が窓越しに、がしっとしがみついてきた。

「入江くん! 入江くん! 入江くんだぁ~~」

白衣に包まれた体躯をぱんぱんと叩いて「ちゃんと実体があるっ幻じゃないっ」と目を潤ませている。

「………久しぶりだな」

ふっと優しく笑いかける直樹の顔を見上げたら、琴子の大きな瞳からどぼどぼと豪快に涙が溢れてきた。

「ほんっとお久しぶりだよ~~もう100年くらい会ってない気がするよー」

「大袈裟だな。東京にいた時の方が全然会ってなかったのに」

「でも、でも、近くにいる筈なのに会えなくて……避けられてるとは思わないけど、実は帰ってきたくないのかとか色々考えちゃったり……」

そう、そんなこともちらりと頭を掠めたこともあったのだ。なるべく考えないようにしていたけれど。

「ばぁか。家に帰った方が絶対落ち着いて寝れるのに、そんな訳ないだろ?」

くしゃっと頭をかきまぜられて、もう一度直樹にしがみつく。

「で、塩結び持ってきてるんだろう? 一緒に食えるのか?」

その言葉にはっとして直樹を見上げる。

「入江くんと一緒に食べれるの? 時間、あるの?」

驚いたように大きな瞳をさらに大きくして直樹を見つめる。

「一昨日は鬼頭先生、昨日は神谷先生。いい加減ちゃんと旦那が嫁の握り飯食ってやれ、とみんなに追い出された」

「う……うれしいっ」

涙に濡れていた琴子の顔がぱあっと向日葵のように明るくなる。

「あ、でも……」

琴子が後ろにいたくるみの方を振り返ると、「えーよ。いっといで」と、しっしっと追い払うように手を振っていた。

「ありがとう!」

琴子は慌ててスタッフルームにお弁当を取りに走っていった。




直樹がランチタイムに選んだ場所は、西館と東館の連絡通路の横にある、建物に四方を囲まれた屋上庭園だった。
床面は全て芝生で覆われ、藤棚もあり、大きな樹木も植えられている。
冷房の効いた建物の中に比べたら遥かに暑いが、お陰で人は殆どいない。
二人は僅かな木陰を求めて藤棚の下の木製ベンチに腰掛けた。無論、この時期に花は咲いていないが、それでも繁った葉や絡み付く枝が真上から降り注ぐ太陽の光を遮ってくれる。

「……ああ。だいぶ握り加減もいい感じになってきたな」

直樹は琴子の塩結びを一口食べてから、一言そう評した。
直樹のジャッジを両手を握りしめ不安そうに待っていた琴子はほっとしたように肩から力を抜き、そしてやっと微笑んだ。

琴子がひとつ食べている間に、直樹は3つぺろりと平らげた。

「梅干しくらいなら入れてもいいぞ」

「納豆とか、焼肉とかダメ?」

「ダメ! 」

「えー、でもこれじゃ栄養片寄っちゃう。入江くん、いつもちゃんと食べてる? なんか痩せてない?」

「一応食ってるよ。持たねーからな。とりあえず、次は玉子焼きくらいなら挑戦してみていいぞ」

「玉子焼き? お安いご用よ。いつも作ってるじゃない」

「卵の殻入りじゃないやつな。ついでに茶色くなくて」

「………うっ」

今度は大量の卵を買わねば!ーーと思う琴子とは別に、卵の殻入りでもいいんだけどね、おまえらしくてーーと、直樹は密かに思っていたのだが、そんなことはおくびにも出さずに、その後はしばらく止まらない琴子のお喋りに付き合う。

琴子はこの3日間のボランティアの様子を身振り手振りを交えて細かく話し出す。
託児ルームの元気な双子の話や、旦那さんを亡くしたシングルマザーのナースの話や………

「昨日から病児ルームに来た梨本広大くんは戦隊シリーズが大好きで、中でもゴッドペガサスが大好きなのよ。
あとね、今日初めて来た御子柴真琴ちゃんは、1歳なんだけど、すんごく可愛いの。天使みたい。普段はお祖母ちゃんに養育されてるからすごく大人しくて折り紙とかお絵描きとか静かな遊びが好きなの。あ、今はお祖母ちゃんが入院しちゃっててね、それで、叔母さんが連れてきたの。お母さんの妹さんらしくて、スゴく綺麗な人で、きっとお母さんも美人だったろうなーって……あ、お母さんはね、病気で亡くなったらしいの。あたしはうっすらお母さんのこと覚えてるけど、マコちゃんは全然知らないんだろうなーと思ったら悲しくなってきちゃって……」

エンドレスな琴子の話を聞いているのかいないのか、琴子がポットに淹れてきたコーヒーを黙って飲んでいた直樹の手が、話の途中でぴくりと止まった。

「ーー御子柴……まこと? まことって、どんな字だ?」

「え?」

直樹が何故そこに反応したのか分からずにキョトンとしながらも「真実の真に、琴はあたしの琴と一緒だよ」と、答える。

「……1歳って云ってたな。父親は……いないのか?」

「……確か海外に赴任してるって。それで亡くなった奥さんの実家で養育してるって……知ってるの? 入江くん。 あ、もしかして小児科に来たことあった?」

「ああ……まあな」

一瞬直樹の表情が曇ったことに琴子は気づかなかった。
その時、晴れ渡る真夏の空に、パンっと乾いた破裂音が響いたからだ。

「え? 何? 花火?」

その後も何発か連続して大きな音が響く。近いのか建物にも微かな振動を感じる。
音だけしか聞こえない真昼の花火は、暫く木霊のような余韻を周囲にもたらしていた。

「病院の中にいると気がつきにくいけど、今朝から何発も上がってるよ。近くの神社のお祭りらしいな」

「えーっじゃ、じゃあ、夜にも花火大会とかあるの? 露店とかやってるのかな」

少しわくわくして直樹の顔を覗き込むが、すぐに現実に気がついたのか「あ、無理だよね、分かってるから!」とははっと笑いながら頭をかく。

「小さな神社だから、氏子を集めての餅投げがあるくらいで露店もないし、花火大会もないらしいぞ」

「あ、なんだ。そうなんだ」

内心、良かった、と思う。
そんな夏祭りなんかが近くであったりしたら無理とわかっても直樹と行きたくなるに決まっている。

いやーちゃんともってきたけどね、浴衣………下駄も小物も忘れずに。

来て一週間のこんな状況を垣間見てしまって、段ボール箱の中の浴衣を出すのさえ無駄な気がしてくる。

「まあ……週末には夏休みいっぱいは何処かで必ず花火大会は催されてるらしいけどな」

「………そ、そうなんだ」

「いきたーいっ!て、叫ばないんだな」

直樹が面白そうに琴子の顔をじっと見る。

「いくらあたしが馬鹿だからって、そんなの無理なことくらいはわかるわよ」

少し拗ねたようにぷいと横を向いた琴子の頬をすうっと直樹が撫でたかと思ったら、顎を捉えて振り向かせ、そして唐突にキスをした。

一瞬うっとりと瞳を閉じてひさしぶりのキスに全神経を向かわせていた琴子だが、はっとして辺りを見回す。
この屋上庭園は、建物に四方を取り囲まれていて、ガラス張りの建物からは繁る緑や色とりどりの花々が眺められるようになっているのだ。

そしてーー案の定、何人かの人々の注視を浴びていることに気がついた。

「……い、い、入江くん……!」

真っ赤になって身体を離したが、直樹は構わずにもう一度抱き寄せて、再び唇を重ねてきた。
一週間ぶりのキスは少し長くて、初めはふんわりと優しくて、でも段々蕩けそうなくらい濃厚になって、頭の中がくらくらするくらい熱くなって、いつの間にか琴子もギャラリーのことは気にならなくなっていた。

息が苦しくなって少し唇を離すと、直樹が一言「………眠い」と呟いた。

「へ?」

「琴子。もうちょっとベンチの端に寄って」

「???」

よくわからないまま、直樹の言う通り端によると、直樹は琴子の膝の上に頭を乗せてベンチに横たわった。

「15分後に起こしてくれ」

そう言って、目を閉じる。

「……入江くん……?」

数秒後にはもう寝息が聴こえた。

ーー疲れてるんだなぁ……

木陰とはいえ、真夏の午後だ。それなりに暑い。
微かに汗の滲んだ額を軽くハンカチで拭いて、さらっとした髪をすく。シャワーはきちんと浴びているのか、べたつきも臭いもない。

時折空を振動させる真昼の花火の爆音に目覚める気配もない。
琴子は間近にある直樹の端麗な顔を久しぶりにゆっくりと真上から堪能しながら、こっそりと二人で夜の花火を見上げる風景を妄想した。

暑いけれど、時折頬を掠める風が優しい。

このまま15分後が永遠に来なければいいのに。

そんなことをぼんやり思いながらーー








※※※※※※※※※※※※※


とにかく直樹さん登場まで進まなくては、と頑張ったので(^_^;)更新遅くなりました。

琴子不足でエネルギー切れなのは直樹さんの方ですよね(^w^)


M様宅の『秘蜜』が祝300話、ということでこちらも祝砲あげてみました♪ おめでとうございます\(^o^)/

一度くらいは花火大会に連れて行ってあげたいと思っているのですよ……f(^^;




スポンサーサイト

1997年の夏休み (8)




長くなりましたので、2話に分けて更新します。





※※※※※※※※※※※





8月11日(月)


ボランティア初日は何の問題もなく始まった。
琴子が担当する筈の病児保育ルームはその朝は受入児は0。
お盆休みの企業も多いせいか、院内託児所の児童数も少ない。

「預けてはるの、ここの看護婦さんたちやけど、この時期は旦那さんとかに見てもらえる人も多いよって」

病児保育専門の保育士の枝元くるみは、託児ルームを手伝いながら琴子に説明する。

「病児も、朝は大丈夫でも昼くらいに熱が出て、保育園からお迎えコールきて、うちに連れてくるっちゅうパターン多いんや。だから気は抜けんで。今はヘルパンギーナ流行ってるし。知ってる? ヘルパンギーナ」

「 子どもの夏風邪の代表格だよね」

一応、琴子もナースの卵である。

「そうそう。メロンパンナみたいな名前やけどウィルスや。バイキンマンは細菌だからちょっと違うわなー」

「………………だいぶ違うと思うけど」

これは関西風のボケなんだろうか?

でも子供相手にアンパンマンは必須アイテムなのは、琴子も小児科実習にいって知っている。
ここの壁も沢山手描きのキャラクターが貼ってあって賑やかだ。

一見ギャルっぽいし、やる気のなさそうな感じだったが、子供とはかなりはっちゃけて遊んでいる。叱る時はきちんと叱るし、意外にしっかりしてる。
短大出て、保育園に2年勤めて、今年からここに来たといっていた。琴子より年下だが、社会人としては先輩なので一応「さん」付けで呼んでいたら「『くるみちゃん』でえーで」、と云われた。

因みに、自称直樹の愛人希望だと琴子に宣言した彼女だが、顔合わせの日にお茶に誘われ、病院のカフェで少し話した時に、

「ほんとはあんた、入江先生の嫁なんやろ?」

と、あっさり云われた。

目を丸くして驚く琴子に、

「実は、先週入江先生、小児科にカルテ持ってくるついでにこの部屋来はって、主任に挨拶してたんよ。『来週、妻がこちらでボランティアに来ますので、ご迷惑かけるかもしれませんがよろしくお願いします』って。で、どんなん来るのやろって手ぐすね引いて待ってたら、こんなんやろ? で、ちょっとからかってみたんや」

「……入江くんが?」

『こんなん』に引っ掛かりはしたものの、直樹がわざわざそんなことを云ってくれたということにちょっと感動している琴子である。

「……これなら勝てるやんと思うたしね~~本妻への道も夢やないかも」

「………………」

毎度お馴染みいつものパターンである。

「だ、ダメよ! 入江くんは私みたいな、『こんなん』がタイプなんだから!」

「意外とゲテモノ趣味なんやねー。ま、ええわー。どうせ、あんたは夏休みすんだら東京戻るんやろ? そしたらもうこっちのもんや」

本気なのか、からかってるのか。
でも、結局結婚していようがいまいが、神戸にいる直樹狙いの女子たちの総意のような気がして、琴子は少しばかりくらくらしてしまう。

………めげない。めげるもんですかっ!
それでも必死で自分を鼓舞するのだ。



とりあえず特にトラブルもなく昼になった。
くるみと交代で食事ということで、琴子は少し躊躇しつつも救命の医局に向かう。

………入江くん、いるかなぁ

かをる子の助言通り、直樹と自分の分しか持ってきていない。
2日間研究し尽くした、究極の塩結びだ。味見もきちんとした。炭水化物の摂りすぎで、少し体重が増えた気がする。

ああ、なんてこと。
愛する旦那様に会えずに哀しみに痩せ細っていく可哀想な妻には見えないわ………

でも、とにかく。直樹に会いたい。早く会いたい。何がなんでも会いたい!
邪険にされようが罵倒されようが構うものか!

琴子は救命の医局の扉の前で深呼吸をしながらノックをしようと手を挙げたーー。

「あれ? 入江センセのお嫁ちゃんじゃない?」

後ろから声がし、振り返ると。

「えーと………あ、鬼瓦先生!」

「………鬼頭です。字面だけで記憶してるの?」

くっくっくと肩を震わせて笑っているのは、救命の紅一点、鬼頭姫子だった。

「す、すみません……綺麗なのにオニなんだーって覚えてて」

「じゃあ、姫って呼んでよ」

姫というより王子の風貌にハスキーボイスだから、何から何まで名前とのギャップの激しい人だわ、と琴子は内心感心する。

「入江先生なら帰ったよ」

「ええっ?」

姫子の言葉に、琴子は一瞬フリーズしてしまう。

「今日は本当は休みだったんだけどね。昨日から急変多くて帰りそびれて。朝もこのまま仮眠室で寝ていくとか云ってたんだけど、各務先生に仮眠室が空かないから休みのやつは帰れ、って追い返されてた………ああ。あなたがお昼に来るかもしれないから帰りたがらなかったのかな」

姫子の言葉がショックのあまりちゃんと耳に入ってこない。琴子はぼーっと踵を返し、医局に背を向けた。

「……ねぇ、もしかして今日も過激なランチを持ってきたの?」

琴子はボンヤリ鞄を開けて、アルミホイルに包んだ塩結びを差し出す。

「……今日はただのおにぎりです」

「へぇ。だったら大丈夫か。中味は?」

「ただの塩結びです」

「おおっシンプルだけど難易度高いの持ってきたわねー大丈夫?」

といいつつ、姫子は平然とそれを1つ取って、ぱくりと口にした。先日の異臭騒ぎのテロランチを作った本人の物だと知っている筈なのに何故か躊躇いが全くない。

「あ、美味しいよ」

姫子の一言に「え? 本当ですか?」と、ぱっと輝く。

「うん、塩加減いい感じ。惜しむらくはもうちょっと握り加減がね。ぽろぽろとこぼれ落ちそう」

「うーん、難しいですよね」

「はは、私からしてみりゃ、料理するだけましだわ。うちなんか、炊飯器も鍋も包丁もないから」

「ええっ料理全くしないんですか?」

「しない。才能ないから」

「あ、あたしも才能は………」

「うん、ないだろうねー。でも、努力家だね。これだけちゃんと作れれば上等だよ。早く帰って入江先生に食べさせてあげなよ」

その一言に、琴子は困ったように眉を下げた。

「あたし、今日は院内でボランティアがあって、3時までは帰れないんです。その後も卒論のアンケート取ったりしないといけなくて、多分もっと遅くなるかと……どうして、こうなんでしょうね?」

「へ?」

「………あたし、こっちに来て一週間ですよ? なのに入江くんとは一晩しか一緒に過ごしてないんです。おかしいでしょ? おかしいですよね? なんで、そんなに帰ってこれないんですか?」

これは医療界の悪しき慣習なのだよ……今の研修医制度の問題点はそれはもうあげつらえばキリがないのだからーー文句は厚生省に云ってくれーー
※ちなみに厚生労働省にかわるのは2001年だそうで
ーーそう、姫子が応えようとした時、琴子は一人で「絶対何かに呪われてると思いませんか? 神様の悪意を感じませんか?」などと憤っている。

「……面白いね、あなた」

琴子のおにぎりを1つペロリと食べきると、くっくっくと笑いながら琴子に丸めたアルミホイルを返す。

「大丈夫。神様のご加護はみんな平等。プラマイ0できっといいことあるよ。努力は必ず報われる。がんばれ」

ぱんぱんと琴子の肩を叩き、そしてはたはたと手を振って医局に戻って行った。

……………とりあえず美味しかったんだ。
よかった……

琴子はとぼとぼと病児保育ルームに戻り、スタッフルームで一人で残りのお握りを食べた。

ーーああ、早く帰りたい。

そうは思うがボランティアの仕事は始まったばかりでサボる訳にはいかないのだ。
卒論の為のアンケートも、朝、送りの保護者に時間がないのはわかりきっているので、お迎えの時にしようと思っていた。出来ればナースママたちの本音をあれこれ引き出したいから、毎日会って仲良くなりたいと思っている。

ーーそう。まずはやるべきことをやらなくちゃ。


琴子は一人気合いを入れて職場に戻って行った。

1日目は(珍しく)何事もなく過ぎていった。帰り際に保護者にアンケートを取ったけれど、皆、神戸医大卒のナースたちで卒論経験ありの為か概ね快く答えてくれた。

全てが終わって病院を出て帰路に着いたのが午後5時過ぎ。病院の玄関を出た途端に救急車が何台も入ってきたのを横目に見つつ、少しばかり嫌な予感が頭を過る。

ーーああ、どうか入江くんが家に居ますように!

祈るようにほぼ駆け足で家に戻った琴子だが、嫌な予感は的中し、マンションの部屋には直樹はもう居なかった。

ーー神様はやっぱり意地悪だ。

意気消沈した琴子だが、ダイニングテーブルの上に一枚の置き手紙を見つけて少し上向きになる。


『冷蔵庫のお結び、温めて食べた。まあまあ食べれる。すぐ崩れるが。一応及第点やるよ。
だが、こんなことに執念燃やすより問題集やれよ』

食べてくれてた~~!!ということにちょっとテンションが上がり、報われた感が半端ない。

それに、こーゆー置き手紙でのやり取りって共働き夫婦の交流アイテムみたいで、何かいいかも、とちょっと萌えてしまう。
ホワイトボードでも買っておこうかなと思ったが、やっぱり手紙の方が残るよね、と心の中で却下した。
因みに前回の二行だけの素っ気ない置き手紙もちゃんと取ってある。

だって……だって、入江くん直筆の手紙がどれだけ貴重でレアなものなのか~~~!!

ということに後で気付いて、しっかりクリアファイルに挟んで大事にしまった琴子である。

思えば初めてドキドキしながらラブレターを渡した時、返事は手紙で返ってくるのかしら、なんて今となっては有り得ない妄想をしていたものだ。

そして東京の自宅に戻ったらその置き手紙たちは琴子の内緒の宝箱に納められるのだ。
因みに中身は、直樹の幼い女装写真に紀子秘蔵の隠し撮り写真、初デート(?)の直樹の買ってきたハンバーガーの包み紙、ハワイへの航空券の半券に看護科合格祝デートの映画の半券……などなど。ほぼガラクタである。
無論実は直樹もお守りやラブレターなど、秘かに琴子に纏わるあれこれを隠し持っているなど知るよしもない。


その夜は直樹のペン習字の見本のような綺麗な文字を眺めながら、少しばかりほっこりして眠りについた。
もしかして、夜中に帰ってこないかな~~などど淡い期待を抱きながら。






※※※※※※※※※※※



すぐに(9)をアップしますね♪











プロフィール

ののの

Author:ののの
管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR
▲ top