My Do根性 Girl (3)



なるべく早くと言いつつ、やっぱりさくさくとは行きませんでした。お待たせしてすみません^-^;
しかも~~案の定、今回では終わらず、No.振ってます………てへっf(^_^)





※※※※※※※※※※※




久し振りに袖を通すナース服。
髪をお団子にして、さあ、仕事しなきゃ。

「まあ、入江さんもう戻ってきたの?」

「無理しなくてもいいのに」

「そうそう、全然いなくて大丈夫だから」

ーーえ、でも……

「ほら、彼女。○○さんがとっても頑張ってるから」

ーー○○さん……?

「じゃあ、入江さん♂☆▼◆※をお願いできるかしら」

ーーえ? 何ですか?

「まあ、♂☆▼◆※が分からないの?」

「じゃあ、こっちの∞£¢$#■を」

ーーえ? え? え?

「まあ、入江さん、それも出来ないの?」

「使えないわねー、ちょっと休んだくらいで、もう忘れちゃったの?」

「いいわ、○○さんに頼むから」

ーーごめんなさいっ

「ほんと、○○さんには助かっちゃう。シフト変わってもらってもすぐ了解してもらえるし」

「日勤の次に夜勤入っても嫌がらずに変わってくれるの」

「面倒な患者さんも引き受けてくれるし」

「派遣さんなのに今担当患者さん一番多いんじゃないかしら?」

ーーそ、その人は……何処に?

「確かあっちの方に」

「まあ入江先生も……」

「最近仲が良いのよね、あの二人」

「入江先生ってああいうタイプが好きなのよね」

入江くん………何処?

「ほら、また一緒にいる」

顔がみえない。どんな人?

「ああ、琴子」

ーー入江くん、その人。

「○○さんだよ。おまえも安心して休めるな」

ーーでも……

「ずっと休んでいればいいよ。なんなら辞めてもいい。きついんだろ?」

ーー辞めないよ、あたし、ゼッタイ!

「無理することないぞ? ちゃんと替わりがいるんだし。職場も、俺の妻も」

ーーええ?

「彼女、本当にパワフルでやる気もガッツもあって」

ーー入江くんっ

「悪阻ごときでへこたれるような女じゃないんだ。きっと彼女の方が丈夫な赤ちゃんを生んでくれるだろう」

ーーでも、入江くんっそのひと、顔がないよ? 顔にへのへのもへじが書いてあるだけだよ!

「顔なんてどうでもいいんだ。顔に拘るなら沙穂子さんや松本や理加を選んでる。そうだろ? おれはやる気や根性やバワーのある女が好きなんだ」

ーー入江くん……!

「じゃあな、琴子。おまえはもう無理して子供産まなくていいから。ツラいなら辞めていいぞ」

ーーどうして? どうしてそんなひどいこと云うの? 赤ちゃん産むの辞めるのは看護師辞めるのと次元が違うんだよっ そんなに簡単に云わないで!

「だって……ツラいんだろ?」

ーー辛くないよ! 全然辛くないから!

「嘘つくな」

入江くんが寂しそうな瞳であたしを見つめてる。そしてそのままへのへのもへじ女の肩を抱いて行ってしまう。

ーー入江くんっ待って! 行かないで!


入江くんの背中がどんどん遠くへ行っちゃう。それなのに、あたしは足が全く動かなくて追いかけることすら出来ない。

入江くん、入江くん…………
どうしよう、あたし入江くんに嫌われちゃった……







「入江さん、入江さん、大丈夫?」

揺り起こされ、ぼんやりと瞳を開けると、眼前に心配そうに覗きこんでいる女性がいた。

ーー誰だろう? ううん、何処かで見たことがある。何度か会ったような。
この病院のスタッフ……?
産科のスタッフではない。彼女の服装はナース服でないしーーええと………

ぼんやりとした頭で記憶を掘り起こす。
夢と現が混濁して、彼女が夢の中のへのへのもへじ女のような気さえしてくる。

「……誰……?………へのへのもへじ……?」

「ぶっ……へのへのもへじって………何?」

目の前の彼女が楽しそうにけらけら笑いだした。

あ、この笑い方……

「ああ、羽田さん……」

「ふふ、思い出してくれた?」

羽田菜月は小児科病棟に非常勤で来ているチャイルドセラピストである。
精神的に不安定になっている長期入院の病児やその家族の精神的ケアを受け持っている。小児科から外科に移され手術待ちをしている子供たちの何人かが彼女のケアを受けていた。

「どうして羽田さんが……」

琴子より少し年上なだけだが、常勤ではないため、仕事以外の関わりはあまりない。けれど、ふんわりと春風のように笑ったり、さっきのように大爆笑したりと気持ちのいいくらいに笑顔の素敵な人だな、という印象があった。

「ごめんなさいね、体調悪くて入院してるのに。実は先天性胆道拡張症の花音ちゃんのことなんだけど……」

「花音ちゃんが何か?」

その少女は琴子が受け持っていた6歳の患児だった。
羽田菜月は、少し精神的に不安定な彼女のケアをしたいので、それまでとてもなついていたという琴子に話を訊きたいのだという。

「……無論、あなたの体調が良ければだけど」

「あ、全然大丈夫です」

少しムカつきはあったが、今は吐きそうな気配はなかった。それに、やはり担当を外れたとはいえ患者のことは気になる。
琴子は菜月に問われるままに休みに入る前の花音の様子を応えていた。

「……助かったわ。これで少し状況が読めたわ」

「……いいえ。でも今の担当は……?」

もしかして、新しく入った彼女だろうか? 夢の中のへのへのもへじ女が思い出された。

「今の担当さんは服部さんよ」

10年目のベテランである。

「……あたしの替わりに入った人じゃないんですね」

「それは無理よ、入ったばかりで、あんなに難しい子は」

「でも、凄くみんなに好かれてなつかれて……パワーがあって、仕事も出来るひとだって……」

「うーん、どうなのかなー? まだ入って2日3日で実際のところはわからないんじゃない?」

「そ、そうですか?」

「服部さんもまだ担当替わったばかりだし。花音ちゃんのことはあなたが一番わかってるかと思って。看護記録も凄く細かく書いてあったし」

「そんな……」

看護記録を誉められたのは初めてだった。

「看護計画はボロボロだったけどね」

「うっ………」

でも、少し頼りにされたことが嬉しい。
今は何も出来なくて、何の役にも立てないと思っていたのに。

その後、菜月に「で、へのへのもへじって何?」と問われたのが始まりで、そのあとはとりとめのない話をしていた。
夢の話から、昨日の幹の話に至り、仕事に戻れない不安や仕事を休んで大丈夫なのかという不安……そんなことをつい話してしまう。
彼女はカウンセラーだけあって会話を巧みに引き出す。いつのまにか話題は鬱としたネガティブな話から直樹の話に変わっていて、元々お喋りな琴子は、楽しそうに彼との馴れ初めやらエピソードやらを語っていた。
そんな幸せな時間を思い出している間は不思議と悪阻も軽減される気がする。
なんとなく誘導されるように今の心境や、中々みんなに話せない辛い思いも話していた。
赤ちゃんができて嬉しい筈なのに、苦しさが勝っているような気がして、なんて駄目なんだろう、なんでそんなこと考えちゃうのだろう………なんで頑張れないんだろう……
菜月は時折相槌をうちながら琴子の話を聴いていただけだった。
励ますわけでも慰めるわけでもなく、ただ一言も余計な言葉を挟まず琴子が話したいだけ話させているようだった。

「あら、いけない、もうこんな時間。ごめんなさいね」

一時間ほど話をして、彼女は時計を見て腰を上げた。

「ああ、そうだ」

思い出したように、彼女は琴子の耳元に小さな声で囁いた。人差し指を隣のベッドの方を差しながら。

「 さっき、あなたがうなされてた時……隣のベッドの方、心配そうにカーテンの隙間から覗いていたわよ」

「え?」

そう云って彼女はふわっと笑うと軽く手を上げて去っていった。

ーー花村さん………

今はあまり隣から気配は感じられない。つまりは少し悪阻も治まっているのだろう。琴子もほっとする。
固く閉ざされたカーテンは滅多に開かれないけれど……

それでも隣人が自分のことを気にかけてくれていたのだという事実は少し心を軽くしてくれた。
それに何だかずっと鬱々としていたものを菜月に吐き出したことも、琴子はここ最近日毎に押し寄せる不安や苛立ちが少し払拭されたようにも感じた。


それにしても、菜月は患児の話よりも結局琴子の話ばかり訊いてきたようだった。
だがそのことに琴子は気がついてはいない。

ーー本当にほんわかふんわりと優しく笑う女性だよなー。あんな笑い方どうしたら出来るんだろ?

『ニタニタ笑うな、気持ち悪い!』

そう直樹に頭をべしっとはたかれたのを思い出す。
ああ、でも今は。
あの叩かれた感触すら懐かしい。





その日はやけに見舞い客の多い1日だった。
ただでさえ、紀子は日に何度も訪れるし、重雄も出勤前には必ず顔を見せる。
裕樹も好美を伴って割と頻繁に顔を出す。重樹も3日に1度は訪ねてくる。
家族だけで十分な頻度だ。
職場仲間は帰りがけに訪ねてくれるし、先輩や上司たちもたまに様子を伺いにくる。

それが、あまり訪問者のいない隣の花村詩織の気持ちを逆撫でしているのかもしれない、という自覚はあった。
見舞い客にはあまり大きい声を出さないよう頼み、なるべく短い時間で帰ってもらっていた。
それでも家族はそうも行かない。紀子はあれこれ世話をやいてくれるし、重雄も一人娘の入院に心を痛めているようで、つい色々話し込んでしまう。
琴子も、重雄には、記憶にない母の話をあれこれ訊いてしまう。

ーーお母さんも悪阻酷かった?

ーーいつ頃まであったの?

ーーお母さんは泣き言云わなかった?

「………そうだなぁ…… 母ちゃんも入院する程じゃなかったが、何度も吐いてたなぁ。おれも見てるのが辛くて……でも、ちゃんと安定期の頃には治まってたから、きっとおまえもあと1、2ヶ月で良くなるよ。うん、母ちゃんもおまえと同じでなかなか苦しいって云えないタイプだったからな。それでおれは鈍感だろ? なかなか理解してやれてなかったろーな、と今になって後悔だよ。泣き言くらいもっと云って欲しかったな、なんてことも思うがな。おまえもしんどかったらどんどん甘えればいいんだぞ? この時期ばっかはどーしよーもねぇんだから」

「うん、ありがとう」

母も乗り越えた道なのだ。そう思うと少し頑張れそうな気がする。
重雄は「飯食えるようになったら俺が梅がゆ作ってやるよ。それなら母ちゃんも食えたんだ」そう云って仕事に向かった。


夕方には紀子が裕樹を伴って訪れた。
着替えや洗濯物の取り替えにと、いつもの定期的な行動である。裕樹は時間が合えば共に来る。一見はかったるそうにしているくせにその実はかなり心配しているのだから、兄弟揃って天の邪鬼だ。

「裕樹くん、夜にも来れる?」

「今日バイトがあるから無理」

少し面倒くさげに……でも少し困ったように答える。

「そっか。そうだよね。ごめんね、無理云って」

「 お兄ちゃんに電話でしょ? 今から掛けてみればいいじゃない」

あっさりと提案する紀子に、琴子は時計をちらっと見てため息をつく。

「……午後4時……アメリカは真夜中だわ」

「いいじゃない、叩き起こしたって」

「駄目ですよ」

そう琴子は困ったように笑う。

「……おまえが一人で掛けれればいいだろ? オレに頼らずに」

眉を潜めてふんっという感じの意地悪さ加減が何となく直樹に似てるなーと少し嬉しくなる。

「うん、そうだね」

どうも裕樹との時間のタイミングが合わず、ホテルの電話を取りつぐ手伝いをしてもらえないのだ。
部屋に電話を繋げてもらう為の文章を、裕樹に英語で書いてもらい、2回ほど自分で挑戦したが、何故か少しも通じなくて慌てて切ってしまっている。
勢いだけで試みるいつものパワーが全然足りない。

「………明日はバイトないから、電話してやるよ」

「わーありがとう、嬉しい!」

何だかんだ琴子の頼みを聞いてくれる弟は、やはり優しくて頼もしい。



紀子たちが帰った後は入れ替わるように、理美とじんこもやって来て、気が置けない彼女たちと話していると、随分楽になるような気がした。理美も自分の悪阻時代の体験談をおもしろ可笑しく話してくれる。

アイロンを掛けながら良のシャツに吐いてしまったこと。
匂いのするものが駄目で、冷えたご飯に冷えた総菜ばかり出していたこと。

「まーあん時は大変だったけどね、夕希と会えた今となっては、ちょっとした試練だったかなーと思えるのよ」

そう笑う理美。

「……そうだね」

きっと、そうだろう。おそらく自分もそう思える日が来るに違いない。




午後6時。部屋の外では夕食の配膳でバタバタしている気配がするが、この部屋は絶飲食なので、当然何も来ない。
申し送りの済んだナースが担当の交代を告げながら、点滴の確認に来たあとは、しばらく一人だけの時間になった。

誰かと話していると少し紛れるような気がするが、帰ってしまった途端に、どっと気だるい疲れが押し寄せる気もする。

みんな帰っていく。
帰っていったあとは、何だか妙に切なくてやりきれない。

忙しない見舞客の足が途絶え、薄いピンクのカーテンに仕切られた世界だけしか自分の居場所がないような気がして、たまらなく寂しくなる。

ふう………

ひとつため息をつくとまた胃のムカつきが蘇る。明日から食事を始めましょうと
云っていたけど、本当に食べれるだろうか。空腹感というものを忘れてしまったみたいなのに。

コンコンと、扉を叩く音がしてまた誰か来たのかと少し身を起こす。
正直少し疲れて、このまま横たわっていたい気分もする。

「………詩織」

足音は隣のベッドに真っ直ぐ向かい、カーテンを少し開けて入っていったようだ。

ーーああ、お隣のご主人ね。

今日は隣の花村詩織とは殆ど顔を合わせていない。カーテンをきっちり閉めて、決して姿を見せない。
時折えづく音がするから、まだ彼女も吐き気から解放されないのだろう。
閉ざされたカーテンは彼女の心のようで少し寂しかった。

ぼそぼそと話し声が聞こえるが、内容までは分からない。
大きな声のお姑さんと違って、この旦那さんはいつも小声で妻に話し掛ける。

ーーでも、詩織さんはいいじゃない。愛するただ一人の人が必ず来てくれて。
あたしなんか沢山お見舞いに来てくれても、本当に会いたい人は絶対来れないんだから……

羨んでも仕方のないことを羨んでしまう。
直樹に入院したことを知られないようにしているのは自分なのに……

そんな風に自己嫌悪に陥っているとーー


がしゃがしゃがしゃーん

けたたましい何かが割れる音が隣から響きわたった。

「頑張れ、頑張れってもう無理よ! これ以上どう頑張ればいいの? もういやっ」

「詩織、落ち着けよ!」

慌てふためく旦那さんの声。こんな大きな声が出るのだと驚くくらいの。

「 悪阻がこんなに苦しいなんて思わなかった……もうイヤなの。もしかしたら産むまで治まらないかもしれないんでしょ? そんなの絶対無理! あたしもう頑張れない……! もう、産むのやめる! 赤ちゃんなんて要らない!」

ーーえ……?

詩織の叫び声に琴子は愕然とする。

「……わかった。わかったよ、詩織……君がそう言うのなら……」

ーーそんな……!

「……待って! 早まらないで!」

琴子は慌てて自分のベッドから跳ね起き、カーテンを開け放して隣の領域に飛び込んだ。

「……ダメよ……赤ちゃん要らないなんて、簡単に云っちゃ……」

夫にしがみついて泣いていた詩織は、突然の闖入者の姿を驚いたように暫く見ていたが、
「なんであなたにそんなこと云われなければならないの? これはあたしたちの問題よ! それに簡単に決めた訳じゃないわ! あたしだって…… ずっとずっとずっと悩んでたの……! でももうダメ……! 限界なのよぉっ」
再び夫の胸で泣き叫んだ。

「……でも、でも、二人の赤ちゃんなんだよ? お腹の中で生きてるんだよ?
大丈夫だよ。きっと乗り越えられるよ。ね……? 一緒に頑張ろ……?」

琴子の言葉にぴくりと肩を震わせて、詩織はサイドテーブルにあった文庫本を琴子に向けて投げつけた。

「きゃっ」

琴子の左肩に当たって床に落ちる。
有名作家の出産秘話を綴った育児エッセイだった。

「あたしはあなたじゃないもの! あなたみたいに強くないし、頑張れない! あたしね、あなたといると自分が情けなくなるの。あなたには我慢できて耐えられることが、あたしには出来ないって……あたしはあなたみたいに頑張れない! だからもうやめるの。こんなに苦しいこと、続けられない!」

ヒステリックに泣き叫ぶ詩織の声を聞き付けて、看護婦たちがバタバタと駆けつける。

「花村さんっどうしました?」

「入江さんも………」

「木島先生、すぐ呼んで!」

看護婦たちの声が何だか遠くにくぐもって聴こえる。
看護婦の一人が琴子の身体を彼女のベッドに戻そうとするけれど、カチカチに固まって動けない。

「……部屋を変えて欲しいって何度も頼んでるのに……なんで変えてくれないんですか?」

恨み節のように詩織の夫が看護婦に詰め寄る。

「………すみません。個室がなかなか空かなくて……でも、明日にはなんとか用意できると思いますよ」

ーー変えて欲しいって頼んでたんだ………

それも琴子にとって衝撃だった。

「花村さん、どうしました?」

主治医の木島が部屋にやって来た。

「先生、あたし、赤ちゃん産むのやめます」

詩織の言葉に、木島医師は特に驚く様子もなく「それは決定ですか?」と穏やかに訊ねた。

「はい……あたし、これ以上悪阻に耐えられなんです」

「ご主人も賛成されてるの?」

「 僕も……これ以上詩織の苦しむ姿を見ていられないんです。詩織だけがこんなに苦しむなんて……」

そう言う彼もかなり苦しそうだった。

「……ダメ…そんな……赤ちゃん産まないなんて……それ、堕ろすってことだよ……そんな……」

震える声で呟く琴子の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「入江さん………これは花村さんご夫婦の問題だから」

木島医師がそう優しく促しても、「そんな……そんなの」と、首を激しく振る。

「……花村さん。今、奥さまはとても興奮してます。妊娠の継続については明日ゆっくり話し合いましょう。今日は処置室が空いてますからそこでゆっくり休んでね。ナースステーションから近いですから気分が悪くなったらすぐに呼んで下さいね」

血圧や脈拍を看護婦がチェックしたあと、車椅子が運び込まれ、詩織は部屋から連れていかれた。

「さあ、入江さんも、自分のベッドで横になって」

木島医師は何故だか花村詩織の方には付いて行かず、琴子の傍にいた。
看護婦に琴子のバイタルもチェックさせ、「……あなたの方が問題ありよ」と、琴子の手をとる。

「………あたしのせいだわ」

琴子がぽつりと呟く。

「詩織さんが赤ちゃん諦めちゃったら……それ、あたしのせいですよね?」

「それは違うわ」

「あたしが簡単に頑張ろう、頑張ろうなんて云うから。ナースなのに。頑張れない患者さんがいること分かってるのに。あたし全然思いやれなくて。どんどん詩織さん、追い詰めて……あたし、あたし……ナースとしても人間としても失格だわ……どうしよう? 本当に赤ちゃん堕ろしちゃったら……」

顔を覆って泣き伏す琴子に、「大丈夫よ。悪阻が酷くて妊娠の継続を諦めようとする人は、意外に多いの。でも殆どの人がちゃんと継続して、立派に赤ちゃん産んでますよ。花村さんも一晩たてばきっと落ち着くわ。あなたが責任感じることはないのよ?」そう優しく言い諭す。

「……でも、でも」

「……そうね、今回のことは、同室にしてしまった私の判断ミスよ。あなたが気にすることないわ。………まさかあなたがここまで追い詰められてると思わなかったから……」

「……え?」

「さあ、あなたも少し休んで。明日の検査の結果次第で、絶飲食を止めて、食事を開始するから。ちゃんと食べれるようになったら退院できるわ」

木島医師に云われるがまま横たわり、時折訪れる吐き気と深い後悔に苛まれながら、浅い眠りの中を行ったり来たりする長い夜を過ごしたのだった。












「……まあ、琴子ちゃんどうしたの?」

朝、琴子の元に訪れた紀子は、昨日とはうって変わった琴子の憔悴ぶりに驚いて思わず駆け寄った。

「……大丈夫です」

笑おうと思っても、全然笑顔が作れない。酷く表情が引きつっているのが自分でもわかる。
朝一番で、検温に来た看護婦に詩織の様子を訊ねたが、「大丈夫ですよ」とにっこり笑うだけで詳細は教えてくれなかった。
そのことがずんと心に重くのしかかる。

自分のせいで彼女がもし赤ちゃんを諦めてしまったら………考えれば考えるほど怖くなる。

そしてーーほんの少し思ってしまった。

ーーそんな選択もあるんだ………

そうすればこの悪阻の苦しみから解放される。詩織の気持ちも分からないわけではなかった。

でも、でもーー
赤ちゃんを……このお腹で生きている小さな命を諦めるなんて………

そんなことをずっと考えていて、もう笑顔を作る気力もなかった。
心配する紀子に、少し休みたいからと帰ってもらって、結局日がな1日鬱々と考え続けていた。

ーーあたしも……もう頑張れないかも………

気力だけで持たせていたものが、壊れていくような気がした。

ーー頑張れないあたしなんて、入江くん、もう嫌いになっちゃうよね。

そしたら……そしたらこの子はどうなるのだろう。
琴子はお腹に手をやってぼんやり思う。

もしかしたらあたしも……この子を諦めた方が……
そう。やめてしまった方がいいのかもしれない。そしたらきっと、楽になれる……

そう思った瞬間、下腹に鈍い痛みが走った。

「え? あ、いや…………っ」

うそーっ!!

琴子は慌ててナースコールを押した。






「……大丈夫、赤ちゃんは元気よ」

エコー画像を見て、木島医師はは優しくそう告げた。

「ただの不正出血。でも切迫流産に違いないから暫く安静ね。本来なら入院することもない自宅療養レベル。そんなに心配することはないわよ。一応薬は出しておきましょうね」

その言葉に琴子はほっとした。
心からほっとした自分に安心してーーその後に訪れるのは深い自責の念だった。




「琴子ちゃん、大丈夫?」

連絡を受けた紀子が再び病院にやって来たのは昼過ぎのこと。

「……すみません。心配かけちゃって」

「何をいうの? こればっかりは仕方のないことよ。悪阻も、切迫流産も……あなたのせいじゃないわ」

そう言って琴子の髪を撫でながら紀子は彼女の手を握りしめた。

「……あたし……あたしのせいです」

琴子は青白い顔をくっと背けて苦しげに呟く。

「どうして? あなたのせいじゃないわよ。ちょっとした出血は珍しいことではないわ。あたしもあったし。暫く安静にしていればすぐ普通の生活に戻れるのよ」

そう言う紀子に完全に背を向けて、布団を頭から被る。

「あたし……あたし……ほんのちょっとだけ考えちゃったんです。もしこの子を諦めたら……楽になれるのかしらって…。そしたら急に……」

「まあ、琴子ちゃん! そんなの偶然よ! 関係ないわ。ね、悪阻が酷くて気弱になっただけよ。心を落ち着けて穏やかにしていきましょう。好きな音楽や漫画なんか借りて来ましょうか? ね?」

必死で慰めてくれる紀子に、今は「大丈夫です」と繰り返す元気すらない。

「………琴子ちゃん……」

何を云っても琴子に笑顔を取り戻させることが出来なくて、途方に暮れて紀子は一旦帰宅した。



「切迫流産……? 流産って?」

紀子から話を聞いた裕樹は『流産』ということばに真っ青になる。

「ああ、切迫流産って、流産の一歩手前。流産しちゃったわけじゃないのよ。赤ちゃんは大丈夫なんだけど、琴子ちゃん色々あったみたいで精神的にナーバスになっちゃってて……」

紀子の説明でほっとしたものの、裕樹も心配になり、暗くなってから病院を訪れた。
元々今日はアメリカの兄に電話をする約束をしていた。

「……琴子……」

昨日まではしっかり笑顔を取り繕っていた義姉は、ぼんやりとベッドの上で天井を見つめていただけだった。

「……兄貴に電話するんだろ?」

そう訪ねると、琴子は何も喋らずに首を横に振るだけだった。

「……どうして? あんなに兄貴と話したがっていたのに」

「ごめんね。せっかく来てもらったのに。……今は話す気分じゃなくて……」

「……なんだよ……らしくねぇよ」

「……ごめんね……」

いつも大丈夫、大丈夫と言って笑っていた義姉は、今はごめんね、ごめんねとしか云わない。
弟をからかう要素を見つけようと躍起になっていた好奇心一杯の大きな瞳は、ただ虚空以外の何物も映していないようだった。

「……赤ちゃん大丈夫だったんだろ? なのに、なんでそんなに落ち込むんだよ?」

「……うん、そうだね」

「しっかりしろよ! 兄貴にだって……そんな琴子見たくないって云うぜ?」

裕樹の言葉に琴子は初めてぴくりと反応し、そして漸く裕樹の顔を見つめた。

「……そうだね。あたしもそう思う」

そしてボロボロと泣き出し、「……あたし、もう入江くんに会えない…… 」そう呟くとただ泣きじゃくるだけで裕樹にはどうすることも出来なかった。





そして裕樹は一人で公衆電話に向かい、琴子に話させるつもりだった相手のいる番号を押したーー。



『………裕樹?』

久しぶりにきく兄の声に、裕樹は安堵するとともに、堰を切ったように話し出した。

『いったい………琴子に何があったんだ? 裕樹……?』

要領を得ない弟の台詞に何か切羽詰まったものを感じながら、兄は弟に訊ねる。

そして、弟は一瞬、躊躇いつつも一言ポツリと呟いた。

「琴子が……流産した」

がちゃり、と受話器を落とす音が聞こえ、そのまま電話は切れてしまった。

「あ………」

裕樹は流石に不味かったかな、と不通になった受話器を見つめながら、少し後悔する。

ーーでも、きっとこれで帰ってくるよな……

二文字単語を抜かして伝えてしまったのは無論わざとだけれど。
とりあえず自分にはこんなことくらいしか出来ない。
昏い迷宮に陥ってしまった義姉を救えるのは兄しかいないのだからーー。








※※※※※※※※※※※※※


というわけで、やっと前回の最後のシーンにたどり着いたという………(おいおい、裕樹くん、何言っちゃうんだか?)
おかしいなー結局書きたいところまで到達してないんですよー^-^;
あまりにも琴子ちゃんが辛すぎて筆が進みませんでしたっ(言い訳^-^;)


次こそは! 終われる……かな!?







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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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