20020304 ~妻が緋色に染まる時






その日京都での学会を終えた直樹は、直帰してもいいぞ、という教授の言葉に甘えて、病院に戻らずにそのまま家に帰宅した。
時間は午後3時。
手には珍しく京都土産が幾つか放り込まれた紙袋が提げられていた。
生麩と湯葉と千枚漬けは紀子のリクエスト。錦市場のどこどこの店でと細かい指定がされていて、当初はわざわざ行くつもりなど全くなかったのに、教授が土産を買いたいからと同行させられ、ついでだから買ってきた。
琴子には京都駅で人気だというチーズケーキを。
消えものばかりだが、まあ別にいいだろう。出張先でこんなものを買うようになったのだから、人間変われば変わるもんだと苦笑する。
医局にもちゃんと買ってやれよと教授に云われ、八つ橋もご購入だ。箱ものばかりで結構かさばる。
K大での学会は、木曜の公開オペ、金曜日の聴講会と充実はしていたが、その後の土日は懇親会と称する医師たちのパーティと祇園での舞妓遊びの為に費やされただけだった。
昨日の3日ーー日曜は、琴美のひな祭りパーティをやるから何とか帰って来れないの? と散々紀子に云われたが、一応立場というものがある。どんなに苦行のようなパーティでも、どんなに娘の為に帰りたくても、一応医学界の重鎮たちが集う会合に出ないわけには行かなかった。
それに有意義な話も幾つかあった。
ノーベル賞候補といわれる研究者たちと先端医療について興味深いディスカッションが出来たことは実にいい経験だった。

そして今日は、朝から二日酔いの教授の世話と買い物に付き合わされ、ようやく帰途についたというわけだ。



ピンポーン。

チャイムを押しても返答がない。
右手にはキャリーバッグ、左手には土産の紙袋。鍵を出すのが面倒だったから、出来れば出迎えて欲しかった。

ーーおかしい。今日は琴子は休みじゃなかったか?

一年間の産休を終えて仕事復帰して半年。琴子のシフトは新しく出る度にしっかり頭に入っていた。
昨日の朝まで夜勤で、今日は1日休みの筈だった。

当然今か今かと帰りを待ちわびているだろう琴子が、飛びつくように出迎えて来るものだと踏んでいたのだが。

散歩でも行ってるのかーー?

暖かい昼中にはよく琴美をベビーカーに乗せて散歩させている。最近は歩くのが達者になってきて大人しくベビーカーには乗らなくなったと嘆いていた。
行きは歩きたがるが帰りは抱っこをせがむので大変だ、と。
しかし暦の上では春とはいえ、3月に入ったばかりで、夕方になるとかなり寒い。今日は風もある。
こんな時間に散歩か……?
カエルコールはしてないが、大体の帰宅予定時間は告げてある。大幅な時間のズレはない。



ーーふん。

軽くため息をついて、仕方なく自分で鍵を開けて、玄関に入る。
家の中はしんと静まりかえり、人の気配は感じなかった。


家に入ると、真っ先にリビングを覗いた。
やはり誰もいない。
紀子も何処に行ったのだろう?

土産をダイニングに置き、キャリーバッグを持って2階の寝室に向かう。
寝室にも琴子も琴美もいない。

直樹は荷物を置いてもう一度階下に降りる。
トイレ、浴室ーーひととおり見てみる。

ーーやっぱり留守なのか……

平日の昼間なのだから、出掛けていても当たり前。なのに妙にイライラするのは何故だろう?

直樹は客間や和室をチェックし、最後に仏間となっている南側の和室のドアを開ける。


ーーーーーー!

心臓がーー一瞬凍りついたかと思った。

真っ赤な血だまりの中に琴子が倒れているーーそう見えたのだ。


「お……おまえっ 何やってるーー!」

「ふに……? へ……あ、入江くんだー」

「おまえ、なんでそんな処で寝てるんだっ」

「え……? あ……あれーあたし片付けながら寝ちゃったんだ」


琴子は目を擦りながらむっくりと起き上がる。その下には雛人形の雛壇を彩る緋毛氈。
深緋色の生地の上で琴子は爆睡していたのだ。不織布(フェルト)だから、畳の上と違い肌に跡が付くことはないだろうーーだが。

「おまえ、緋毛氈にヨダレが………」

「ええっきゃー、どうしようっ」


部屋中にとっ散らかっている箱の様子から、昨日までこの部屋に飾られていた七段飾りを片付けようとしていたのだろう。
樟脳の香りが微かに漂っていた。

「おふくろと琴美は?」

まだ半分寝惚け眼の琴子は、うーんと考えながら、「……ああ、そうだ。お義母さんと一緒にお雛さま片付けてて……」

「それは見ればわかる」

「途中でお昼寝してたみーちゃんが起きちゃって。せっかくしまった箱を開けちゃったりイタズラ始めたから、お義母さんが散歩に連れてったの。そしたら、メールが来て、公園でババ友さんに会ったからおうちにお邪魔してるって……」

「……なんだ? そのババ友って」

「公園で琴美とよく遊ぶ駿くんのおばあちゃん。御両親うちと同じ共働きで昼間はおばあちゃんが面倒みてるの」

「……駿くんって……男かよ」

途端に険しい顔になる直樹に、琴子が吹き出す。

「3か月年下のイケメンくんよー」

「だいたいこんなに急いで雛人形仕舞わなくても」

「あら、結婚遅くなったら大変だわ」

「別に遅くてもいいぞ」

「あたしみたいに21で結婚は早いかもしれないけれど……」

「当たり前だ……っておまえ、自分は早すぎたと思ってんのかよ」

「へ?」

何だか直樹の機嫌があまりよくないことに今気がついた琴子である。

「琴美が学生結婚なんて絶対許さねーから」

「入江くん、めちゃくちゃだよ……自分は……」

学生結婚したくせに、と言いかけて突然唇を塞がれた。
そしてそのまま緋毛氈の上に押し倒される。
激しく貪られて一瞬驚いてしまったが、やがて長くなりそうなキスの予感にうっとりと目を閉じる。


ーーが。
さすがに直樹の手が琴子の着ていた春物のニットの中に忍び込んできた時。

「……ちょっ……待って! ここで?」

「……ダメか?」

ダメでしょう、普通!

「……この赤い布、汚したら……」

「もう、おまえヨダレで汚したじゃん」

「うっ……」

「……でもまあ、この緋毛氈、ウール100%だしな。思いっきり汚すのも気が引けるか」

「そう、そう! それに、まだお雛様片付けてないし」

押し倒された状態で、真っ赤になって琴子が訴える。

「だいたい片付いてるじゃん」

少なくとも人形は全て箱に収まってる。

「あの大きな箱に、どうやってこの小さい箱たちが入っていたのかわからなくなっちゃって」

一メートル四方くらいある大きな段ボール箱に、様々な大きさの箱を詰め込んで収納されていたようだ。
箱には一つ一つ『親王』とか、『御道具』とか『ぼんぼり』などと書かれてあった。それぞれが形も大きさも違うから、難解な立体パズルのようで、どうしてこの大きな箱に上手く収まっていたのか分からなくなってしまったのだ。
そして疲れて転た寝してしまったらしい。

直樹はふうっとため息をつき、琴子から離れると、琴子が詰め込んだらしい箱を一旦全部取りだし、さっと一瞥すると、特に考える様子もなくものの数分で全ての箱を大箱に収めてしまった。

「す…すごい」

「じゃあ、続きを……」

もう一度琴子を組伏せようとした直樹に、

「あ、あっちも」

指差したのはガラスケースに入った親王飾りのみの雛人形。
そちらは床の間に置かれていたのだが、実は入江家に同居した翌年に、紀子が琴子の為に買ったものだ。
琴子自身の雛人形ーーやはりガラスケースに入った小さな親王飾りだったが、地震で家が倒壊した為に壊れてしまったのだ。母悦子の実家で買って貰った愛らしい姫だるまの雛人形でとても大切にしていたのだという話をしたら、紀子が「あたしにも買わせてちょうだいっ」と、琴子の為に買ってくれたもの。
男ばかりで桃の節句なんてしたことなかったから、と毎年きちんとちらし寿司をつくり可愛らしいケーキを作りとお祝いしてくれたのだ。
そして琴美が生まれてからはさらにパーティ感はバージョンアップし、昨夜のひな祭りは、琴子の友達から隣近所までも招かれ大盛況だったのである。

琴美の為に相原家と入江家が出しあって購入した七段飾りの雛人形は、実はかなり高価なものである。嫁の実家で出すものだからと重雄が全額出すと云っていたが、紀子が「私もみーちゃんの為に選びたいんです~」とごねて、結局共同出資、実は紀子の方で重雄には内緒でグレードアップさせ、予定より高額なものとなっていた。
そんな立派な人形の隣にも、紀子は忘れずに琴子の為の人形も出して、飾ってくれていた。


「……あれはガラスケースだから、箱にしまうだけだろ?」

「入れようとしたけれど一人じゃ持ちにくくて」

確かに小さいとはいえ、琴子が抱えるにはいっぱいいっぱいの大きさだ。
間違いなく箱に入れながら落として割りそうな予感は十分ある。

「わかったよ」

隅に置いてあった段ボール箱を持ってきて、直樹は軽々とケースを抱えて中に収めた。

「……以上?」

「あー、あと、これ」

自分の下にある緋毛氈を指す。

「これ、ひもーせんっていうの?」

「ああ。毛氈って、羊毛を圧縮して造った不織布のことだ。いわゆるフェルト生地。茶会とか雛壇に敷かれる赤いのを緋毛氈っていう」

「洗って仕舞わなくていいのかな?」

「ウールだからな。汚れたところをアルコールで洗って、埃を落としてから明日仕舞えばいいんじゃないか?」

「………入江くんって本当物知り……」

自分は女の子なのに何にも知らない、と少し琴子は恥ずかしくなる。今日も、紀子に人形の仕舞い方を教わらなければかなり適当に片付けてしまっただろう。

直樹は皺の寄っていた緋毛氈をばっと広げた。

「……よかったな。おまえのヨダレ、何処にあったか分からないくらいだ」

「あ、あ、そう?」

「……大丈夫かな? ここでしても……」

「へ? えっえーーーー!?」

焦ってずりずりと後ろに下がる琴子に、
「冗談だよ」と云って、そのまま抱き抱える。

「流石にこの時間だといつ裕樹が帰ってくるか分からないからな」

そういってにやっと笑う。

ーーーしないという選択肢はないのだろうか……?

「緋色の絨毯の上で眠ってるおまえが血の海にいるようで一瞬ドキッとした」

「え……?」

「血でないと分かっても、赤に映えるおまえにちょっとぞくっとした」

「…………?」

「……というわけだから、寝室に行くぞ」

どーゆー訳だーーー?????

緋色はすなわち情熱の紅(あか)。
そしてこの深緋(ふかひ)色は紫に次ぐ高貴な色だ。

茜、蘇芳、猩々紅、カーマイン、クリムゾン、バーミリオン……
赤にも様々な色相と名前があるけれど……

この真っ白な肌に似合う赤はーー
直樹が作り出す絶妙のスカーレットレッドに違いないーー。











「あれ? 兄貴、帰ってるの?」

「そうじゃない? お土産置いてあったもの。ほらーみーちゃん、パパの買ってきたチーズケーキよ」

「いいのかよ、そんなの食わして」

「大丈夫、大丈夫」

そういって紀子は琴美の口にチーズケーキを運んでやる。

「で、琴子は?」

「おにいちゃんとお部屋じゃないの? 私たちが帰ってから一時間くらい経つけどまだ降りてこないわね」

「………おれ、2階に行かない方がいい?」

「賢明ね」

「4日振りだもんね」

「そうね」

この頃はすっかり夫婦事情に精通した裕樹であった………。







※※※※※※※※※※※※


季節もの、と思ったのですが。
ただ単に、赤に欲情した(牛かよっ!?)直樹さんの話になってしまいました(^^;

裕樹くんは随分大人になりましたね(ぷぷっ)



手入れの仕方とか洗濯の仕方とか知りたくて緋毛氈をググっていたら、色々和の色の名前やら、和のものが出てきて無性に京都に行きたくなって直樹さんの出張先が京都になってしまいました。
ああっ今宮神社のあぶり餅が食べたいっ!
ただそれだけの目的で京都に日帰りで行ってきた昔の若さが懐かしい……(-.-)

因みにうちは今年は七段飾りのうちの御夫妻だけだして(しかも2月末日)飾ったので緋毛氈出してないです。しかも今までまともに手入れもしたことないわー(^^;

何にせよ全部出さなかったので立体パズルのような箱と格闘しなくてすみそうです(^^;


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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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