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彼女は美しい夢を見る。 (7)

2015.01.06(23:26) 83





そぼふる雨が二人を濡らす――

重なった唇の温かさが、遠くにあった意識をこの身体に呼び戻した。

「おれ以外の男、好きなんて言うな」

この科白を聞くのも既に4度目……

ーーどうして? なんで?

あたしは入江くんの腕の中で幸せな時間を味わいながらも、端っこで無い脳ミソを振り絞って一生懸命考えている自分がいるのを感じてた。

流石にこのエンドレスループの状況に、一抹の不安が過る。

ーー夢……なんだよね?

けれどその不安を簡単に忘れさせてくれるように、入江くんがぎゅっと抱き締め、そしてもう一度キスをくれた。

だんだん重なるだけのキスから激しいものに変わっていく。
あたしはそこで、あれ? と前と展開が違ってきていることに気がついた。

だって…このくらいでもう、突然思いたったようにあたしの腕を引っ張って家に向かい始めてたよね?
あたしはもうちょっとこのままでいたいなぁーなんて思ってた。

……? そのせい?
あたしがそう望んだから?
うわっーやっぱり夢だわ~!

いつの間にか激しく打ち付けていた雨が小雨に変わり始めていた。
これまでは余り長い時間ここに立っていなかったし、家に向かう時間は何だかぼうっとしてて雨に打たれていることすら忘れていた。
あの時の雨が、こんな風に優しい雨に変わるなんて気付きもしなかった。
それでも晩秋の雨はとても冷たくて、あっという間に体温を奪われていくほど寒いーー筈だけど、でも入江くんに抱き締められているこの身体、じわじわと温かく――ううん、熱く、熱を帯びてくるのを感じてる。
触れられた唇も熱い。
啄んだり、食むように深く侵入してきたり……長い長いキスは止まらない。
もう数えなくていい、という宣言通り、僅かな時間であっという間に数えることは不可能になってしまった。

あたしたちは、ここが道のど真ん中ということも忘れて、きつく抱き合い唇を貪り合っていた。
これって思いが繋がりあったばかりの二人のキスにしては激し過ぎるような気も………

本当に――一体どれくらいそうしていたのだろう。
不思議なくらい邪魔する車も通行人もいなかった。

「…はぁっ……」

息もつけないような長い口づけに少し呼吸困難に陥って、あたしは追いかける入江くんの唇から逃れるように、その大きな胸に顔を押し付けた。入江くんの心臓の鼓動がやけに大きく響く。

入江くんの手が優しくあたしの髪を撫でる。あたしが最初に望んだように、永遠にこうやって抱き合っているのかしら、あたしたち……。

ふと、入江くんがあたしを引き剥がし、肩をがっしり掴んでこう云った。

「琴子、結婚しよう」

えっえっえっえっえ――っ!!!

「…ぷっそんなに驚かなくても…」

驚きますとも!
驚きますとも!
驚きますとも!

そりゃこの後で入江くんがプロポーズしてくれるという展開は知ってはいるけど!
こんな、いきなり面と向かってなんて!

「もちろんすぐって訳じゃない。オヤジの会社が落ち着いてからになるけど…」

――卒業してからじゃないんだね?

「本当はすぐにでも結婚したい。琴子が全部欲しい」

え――っ!
ど直球! どうしちゃったの入江くん!
有り得ないあまりのストレートさに、あたしの顔はもう熟れた林檎のようになって、頭から湯気でも出てるんじゃないかってくらい熱い。

「返事は?」

性急に答えを求めてくる入江くん。無論、たったひとつの答えしか想定してないのはありありと分かる。

「……はい」

そしてあたしは迷わずその答えを選ぶ。
金ちゃんから求められた時は、どうしても選択出来なかった答え。

はにかむように答えたあたしの唇に、もう一度入江くんのキスが降りてくる。

「…入江くん、大好き…」

唇が離れた瞬間、息をつぐ狭間に途切れ途切れ言葉が漏れる。

「…おれも…。好きだよ、琴子」

ここで!
ここで、そのセリフを聴けるなんて~!! ああ、もう涙がぼろぼろ出てきて止まらないじゃないのー!

なかなか涙の止まらなくてしゃくりあげていたあたしの背中を撫でて、ずっと落ち着くのを待っていてくれていた入江くん。もうこのシチュだけであたしはメロメロになってしまっていた。
そのあとあたしたちは、手を繋いでゆっくりと家路を辿る。

「寒くないか?」

雨は大分収まってきたけど、服は濡れたままだ。秋も深まったこんな日の夜は確かに寒い。入江くんは繋いだ手を離してすぐに肩に手を置いて、そのまま自分の方に抱き寄せてくれる。密着した部分は寒さをすっかり忘れさせてくれた。

「大丈夫」

入江くんの方を見上げてにっこりと笑うと、すかさずチュッと唇を掠めとる。
わーんっもうっもうっ入江くんってばやっぱりキス魔!

そして家に帰ると、入江くんはお父さんに結婚の承諾を得る為に頭を下げる。
もう、みんな大騒ぎ。
その辺りの展開は前と同じだ。

ただ。

「おふくろ。勝手に動くなよ」

そう釘をさすところがちょっと違う。

「式場も、日取りも、俺と琴子が相談して二人で決めるから。余計なことするなよ」

「あらっ、でも困ったことがあったらすぐに言ってよ、なんでもお手伝いするから!」

少し慌てたように、おばさんが食らいついてくる。もしかしてこの時すでに、あのホテルを押さえようと思いを巡らしていたのかな?

互いの部屋に入る前に、廊下で少しお喋りするのも同じ。
けれども。
「おれも大好きだよ」と抱き締めてくれた後に、耳元で誰にも聞こえないように囁いた。

「一時間後におまえの部屋行くから、鍵、開けといて」

「…………!!!!」

今回の夢は、入江くん超積極的バージョン?
前回は、自由に動けるのをいいことに、あたしの方が頑張ってあれこれ変えようとしていた。でも今回はあたしは何もしなくても入江くんの方がどんどん予定外の行動をしてくれる。
それは思いがけず甘くてきゅんとするサプライズばかりだ。

そして――現実では絶対あり得ない……多分、これは。この夢は、あたしの願望全開の入江くんなんだと……あたしは心のどこかでそんなふうに理解していた。



そして、きっちり一時間後に入江くんはあたしの部屋にやって来た。
扉を開けて迎え入れたあたしを左手で抱き寄せ、右の後ろ手で鍵をかちゃりと閉める。
そのままベッドまで抱き抱えられて、そして下ろされる。

「一緒に寝ていいか?」

「えーっ?」

「さっき、朝起きて元の俺に戻ってたら、って心配してたじゃん」

「でも、家中聞き耳立ててるって…」

「裕樹ももう寝たし。一応親父たちの部屋も静かになってたから、大丈夫だろ」

「……で、でも」

そんな話をしている間に、あたしの狭いシングルベッドに潜り込んでる入江くん。そしてあたしも布団の中に引っ張り込まれ、抱き締められてる。

「いや?」

入江くんが少し困った顔であたしを覗き込む。
あたしはぶるぶる首を横に振る。

「…いやな訳ないじゃない。二十歳の誕生日の時だって、大雪のバレンタインで入江くんのマンションに泊まった時だって、あたしずっと入江くんと……!」

唇を塞がれて、最後まで言葉を紡ぐことが出来なかった――。






ーー琴子……起きろよ……

ーー琴子……!

ーー琴子……目を覚ましてくれ!

ーー琴子! 琴子! 琴子!


ああ、入江くんがあたしを呼んでる。
耳元で、あたしに囁いてる。
うん、待って、すぐに起きるから……



ぱちり、と目を覚ました時、目の前に入江くんの綺麗な寝顔があった。

あれ……? 寝てる、入江くん。
じゃあ今、あたしを呼んだのは誰?

えーと、でも何で入江くんの顔がこんなに近くに?

え、え、えーーーっ!!

一瞬にしてあたしの頭はパニックになる。何故なら…………あたしたちは生まれたままの姿でしっかり抱き合っていたから。

そして色々と記憶が呼び戻される。夕べのこと……プロポーズされて、入江くんがあたしの部屋にきて、そして………!

これは夢じゃなかったの?
っていうかまだ夢の続きなわけなのね!
4度目バージョンの!

うっうっ嘘みたいっ!
結婚前にあたしたちしちゃったの?
っていうか、プロポーズされてソッコー……!? めっちゃ手が早くないですか? いや、今どきのカップルは普通か……。うーん、でも入江くんはあまり普通じゃ………一緒に住んでてもそんな気配まるでなくて……女の子に興味ないのかと疑うくらいで……。
いや、でも現実は結婚してからとはいえ、この数週間後には一応結ばれたわけで……時期的にはたいして変わらないっちゃ、変わらないわけだよね。

頭の中はぐるぐるぐるぐるいろんなことが目まぐるしく渦巻いている。

落ち着け、あたし。
落ち着け。

入江くんの腕の中であたしはぼんやり昨夜の事を反芻する。

とは、言っても、現実のたった一回の経験から反映されている(らしい)その行為は、やっぱりワンパターンな気がする…。式の前の日に理美とじんこになんかあれこれご教示いただいて、結構知識だけは胸やけしそうなくらい詰め込まれたのだけれど、その時のにわか仕込みの耳学問が辛うじて想像力を助けて、あたしの妄想をつくったって感じ?
……うん、でもそれなりに甘い夜ではあったと思うのよ。恥ずかしくてだいぶ思考をぶっ飛ばして、かなり途切れ途切れではあるのだけれど。

はあ………しかし。このシチュエーション、相当な急展開ってことよね? だって、この数時間前は、お互い違う相手との結婚考えてたわけで……。
そ、それに、この改装前のこのあたしの部屋の狭いベッドで………!
うわぁ、もしかして、結婚までこんな夜が何度もあるのかしらっ!
そして、これがあたしの願望だとしたら…やだっ、なんてえっちなの、あたしっ!

「何一人で百面相してんだよ?」

その言葉とともに唇にチュッとキスが降ってくる。
あ…このキス…
何だろう…いつもと違う…ずうっとずうっと甘くてあったかくて、優しい……

「…入江くん、おはよう…」

あたしは随分ふにゃっとした顔をして、入江くんに抱きついた。

「夢じゃなかったろ?」

「……うん」

いや、本とは夢なんだけどね。ね、そうでしょ? これーー夢なんだよね?
それとも。あたしは何処か違う世界に迷いこんでいるのかしら………?



入江くんは裕樹くんが起きる前にこっそり部屋に戻り、そのまま着替えて会社に行った。そして、沙穂子さんに会う筈。
そしてあたしは金ちゃんに。
4度目だけど、やっぱり申し訳なさがなくなることはない。
幸せな時間を4度も経験出来て嬉しいけれど、辛い時間も同じようにやって来る。これはもう二人を傷つけた天罰なんだろう。
あたしは真摯にこの時間を受け入れなくてはならない。

そして、お互いやるべきことを終えて、あたしの処に駆けつけてくれた入江くんと共に家に帰る道すがら――。

「ま、あんまり高いのは買えないけど」

立ち寄ったのは、ティファニーでもブルガリでもなく、街の小さな時計宝飾店。
二人で選んだのは、学生がなんとかアルバイトで彼女にプレゼント出来そうな手頃な値段のサファイアのリングだった。

「ありがとう…」

そういえば、あたし婚約指輪貰ってなかったよね。でも、そんなこと気にしてなかった。シンプルなプラチナの結婚指輪だけで十分幸せだったから。
でも夢の中で入江くんにこんな行動を取らせてるってことはあたしは本当は婚約指輪も欲しいって思ってたのかな?
やだな、あたしって凄く欲深な女かも……

そしてその後の展開も微妙に違う。だって、入江くんもう会社に殆ど行かないんだもん。

「親父もだいぶよくなったし。もう会社を辞めても大丈夫って言われたからな」

「え? そうなの?」

でも、大丈夫なのかなぁ、本当に…。
だって、この頃の入江くん、寝る間を惜しんで働いていたんだよ?
それくらい会社は大変だった筈……

「明日から医学部戻るから」

「うん」

「一緒に大学行って…帰りは式場探ししよう」

「…うん!」

「大好きだよ、琴子」

「あたしも大好き…!」

幸せだ、あたし。
凄く幸せだけど……
でも……。
なんだろう? この違和感……。

その後あたしたちはすこぶる順調に、結婚に向かって過ごしていた。
最初は式場を選んで、気に入ったところの目星をつけて、そこから日取りを決めようということになった。

「おまえが好きに選べばいい。あまりにキテレツなとこじゃなきゃ、文句は言わないから」

結婚情報誌や理美やじんこのアドバイスから、3つほど候補を選んだ。どれもアットホームな可愛らしい式場ばかり。多分、会社関係の人を呼ぶほどの広さはないと思うけど、入江くんは友人親族含めて50人くらい入ればいいと言ってたので、こじんまりとした所ばかりだ。あと入江くんからの注文は、無宗教の人前式がいい、ということ。今はたいていどこの式場でも普通のチャペルで牧師なしの人前式は出来るから、問題ない筈。さしあたり土日のどちらかで仏滅でなければいいか、という感じで日にちの合いそうな所を探してみたけど、どこも一年以内は殆ど空いていなかった。

「すごいね、みんなそんなに早く式場って押さえるんだ」

そう思うと、最初におばさんがあのホテルを押さえたの、今更ながら凄いと思っちゃう。
結局あたしたちは、6月にキャンセルがあって空いていた式場を選んだ。半年以上先だけど、その間少しは恋人気分を楽しめるかな? と思うとちょっとわくわくする。

「ふふっジューンブライドだね」

「梅雨だな。折角ガーデンウェディングの出来るとこだけど」

「大丈夫! 山のように、てるてる坊主つくるから!」

時々掠める得体の知れない不安を忘れるように、あたしは入江くんとの時間を楽しんでいた。
入江くんは――この入江くんは、優しい。
優しくて、優しくて、怖いくらい優しくて――。

朝は必ず二人で 大学に行く。
二人で仲良く登校している姿に、すれ違う人たちがもれなくガン見していくので、だんだん恥ずかしくなって、あたしは入江くんの腕にしがみついて顔を隠すように歩いた。
学部の別れ道で、じゃあねと左右に別れようとする時、入江くんから軽くキスをするのも定番。人が居ようが居まいが全然お構い無しで、最初は真っ赤になって顔を鞄で隠しながら文学部に向かっていたのだけれど、周囲がまたか、と呆れ顔をして見ないふりをしてくれるようになった頃には少しは慣れた。
お昼は必ず食堂で一緒に食べたし、たまに朝早く起きることができた時には頑張ってお弁当を作って、二人で中庭で食べた。どうしても玉子焼きにはカラが入るし、唐揚げは真っ黒なんだけど(夢なのになぜその辺りはうまく改竄されないのかしら?)入江くんは全部食べてくれる。まあ、美味しいとは言ってくれないけど。(夢でも嘘はつけないらしい)
そのあとはいつもあたしの膝枕で少しお昼寝して、時間が来たらキスで起こすの。……そうしろ、って云ったの入江くんだよ? 勿論。
……わかってるわよ、完全バカップルだよね…。
午後の講義のあとは、早く終わった方が相手の学部に迎えに行くの。だいたいあたしが医学部行くのが殆どだけど、たまに入江くんが文学部に迎えに来てくれると、女子の割合の多い文学部は随分と色めきたった。

「琴子、フィアンセのお出迎えよ」

理美にそうからかわれて、恥ずかしいけど、嬉しい。
そして二人で一緒に帰る。
たまには、二人で買い物に行ったり。
式場に打ち合わせに行ったり。
ご飯食べに行ったり。
……ラブホに寄ったり。
ごく普通の、恋人同士の日常。

「で、おまえ、将来どうするの?」

入江くんがある日真面目な顔をして訊ねてきた。

「……将来?  入江くんのお嫁さんじゃないの?」

あたしはちょっと不安になる。このバージョンの夢は、結婚式を直ぐにしなかったせいなのかずっとリセットすることなく延々と続いている。でもやっぱり何処かで夢は終わってしまうかもしれないと思ったのだ。将来なんて………あたしたちにあるのだろうか……?

「おまえ、専業主婦になるの?」

「え、あ、ああ……」


実際大学を卒業したあとのことは何も考えていなかった。もう三年生で、多くの仲間たちは就活の準備をしていた。でもあたしは色々迷い過ぎて結局何も行動していなかった。
ーー結婚するんだからまあ、いいか、という安直な選択に逃げようとしているのも確かなこと……。

「駄目かな?  専業主婦」

「別におまえが主婦を極めたいって言うのなら別にいいけど。でもうちにはお袋がいるからな。同居するなら主婦は二人も要らない気もするが」

入江くんの意見は尤もだ。それに折角大学まで行かせて貰って就職もせず、専業主婦ってなんだかお父さんに申し訳ない気もする。
あたしは学校の先生というのも悪くないかなと思って、実はこっそり教職課程の授業を履修していた。先生になりたいっていう熱い思いが有るわけでもなく、ただ履修しておけば教員免許は取得出来るんだから、という周囲の意見に乗っかっただけの安易な気持ちからだったけれど。
考えてみればあたしは特に何になりたいっていう確固たる希望は昔から持っていなかった。将来の夢はいつだって王子様と結婚することだし、職業を書かねばならない時は、お菓子屋さんとか花屋さんとか毎回変わっていた。
ただ今は少しだけ思うことはある。
入江くんが医学部に転科した時からうすぼんやりと描いていたあたしの夢。
でもそれを叶えるには余りにも今のあたしには難しくて、口にするのもおこがましいと思っていた。
なのに。

「…おまえ、おれの傍にずっと居たいんだろ?  主婦じゃ、1日一緒にはいられないぞ」

少し意地悪く笑ったと思ったら、真面目な瞳をあたしに向けた。

「おれの傍にいたければ看護師になれよ」

「え?」

それはまさに、あたしが思い描いて諦めかけていた未来。絶対入江くんには反対されると思っていた未来。

「そりゃ、あたしもなりたいってずっと思ってたけど…入江くんも知ってるでしょ?  あたしの成績じゃ看護科に転科するのなんて、逆立ちしたって無理でしょ?」

「ふうん、諦めちゃうんだ」

あ、なんかその言い方、初めてキスされた時と似てる。馬鹿にしたような意地悪い感じ。

「……だって、命に関わることだし」

「おまえ、100番に入った時の勢いはどうしたんだよ。看護科は、だいたいC組レベルの偏差値があれば入れる筈だから、100番以内なら何とかなる。あの時くらい、死ぬ気で頑張ればな」

「ほ、ほんと?」

「ああ」

「あたし、看護師目指していいの?」

「ああ。目指して欲しい。ずっとおれの傍にいて、おれの手助けをして欲しい」

信じられない。入江くんがそんな風にあたしに懇願するなんて。
ああ、あたし。
あたしずっと傍にいていいのね?
入江くんと同じ世界で、同じ風景を見ていていいのね?

「うん!  頑張る!  あたし絶対看護師になるから!」

あたしはそれから結婚式の準備に加えて、入江くんに勉強を見てもらい看護科に転科するため編入試験の準備を始めることになった。



ーーーそんなある日。
それは確か…ホテルから出てすぐだった。
あのひとにばったり会ったのは。

「沙穂子さん……!」

ラブホではなく、シティホテルだったけれど、その日はクリスマスの朝で、いかにも昨夜お泊まりして、チェックアウトしてきました、というような時間だった。
あたしは夜の余韻を身に纏いつけたままのような気がして、気恥ずかしさから、恋人繋ぎをした手を振りほどこうとしたけれど、入江くんは強く握り締め、手を離すことを許してくれなかった。

「……お久し振りです」

沙穂子さんは微かに動揺の色を見せたけど、ごく普通に挨拶をした。

「…こっこっこんにちは…!」

言ってから、あ、この時間、まだおはよう、かな? などと思いつつーー
あたし、相当声がうわずっている。
そして、入江くんは。
軽く会釈するだけで、特に何の表情も見せずにそのまま立ち去ろうとする。何か声をかけようと言葉を探したあぐねていた彼女を、全く意に介することもなく。

「…じゃ…」

「入江くん!」

さっさと沙穂子さんの横をすりぬける入江くん。手を繋いだままのあたしもそのまま引っ張られ、沙穂子さんの脇を通り過ぎた。
沙穂子さんの視線を感じている筈なのに、入江くんはやっと手を離したかと思ったら、すっとあたしの腰に手を回してぴったりと身体を密着させて、その場を悠然と立ち去る。
まるで見せつけるかような態度に、あたしは焦って入江くんに囁く。

「いっいいの? 沙穂子さん何か話したそうだったよ」

「何、話すんだよ、今さら」

「でも…あまりに冷たい…」

「何? 優しくした方がよかったのか?」

「そうじゃないけど、でも…」

沙穂子さんを傷つけたあたしたち。でも入江くんはそんな傷口に塩を擦り込むようなひどい人ではなかった筈……
彼女はあたしたちの想いに気付いていて、こんな酷い仕打ちをしたのに責めもせず、あっさりと身を引いてくれた。感謝してもしきれないひとだ。
少なくとも会社絡みもあるし、丁重な態度を取っていたのに、何故…?

「琴子の方が大事だって、彼女に知らしめたかったんだ。おまえだってその方が安心だろ?」

それは…確かに嬉しいという気持ちもあるけれど…そんなの素直に喜べる筈ないじゃない。

だって先刻の沙穂子さんは、間違いなくほんの数ヵ月前のあたしだった。
入江くんと沙穂子さんのデートにばったり遭遇して、意地悪なこと言われて傷ついていたあたし。
いったい、何故あたしと沙穂子さんは入れ替わってしまったのだろう?
神様が入江くんに何かイタズラでもしたの?
あたしには分からない。
そして、分からないから余計に不安なのかもしれない――。




季節はいつの間にか新しい年を迎え、結婚までいよいよ半年を切った。
時折入江くんがあたしの部屋に泊まることがおばさんにばれて、
「どうせならもう、二人でこの部屋使うように改装しましょう!」
と、言い出して、早々にリフォームすることになってしまった。
内装や、家具も自分たちて選びなさいね、というお言葉に甘えて、あれこれ二人で意見を言い合う。
とにかく入江くんはベッドマットの機能や家具の使い勝手を重視して、壁紙などの内装は好きにしていいと云ってくれた。でも、おばさんとあれこれ話しているとどうしてもピンクの花柄路線に走ってしまいそうになるので、とりあえず入江くんにカタログ見せて、消去法でイヤなのを消してってもらい、最終的には落ち着いた北欧調のナチュラルテイストのインテリアとなった。あたしたちって趣味や嗜好が全く違うのだけれと、お互いに気に入ることが出来て良かったと思う。

10日程でリフォームは終わり、結婚前にもかかわらず、入江くんと同じ部屋に棲むようになった。
一緒に棲むんだったらもう、先に入籍しちゃえば? と言われドキッとする。
入江くんを窺い見ると、
「そうだな」と、あっさり了承。

え――!
入籍……!

「最近は、先に入籍して後から結婚式ってパターン割りと多いんですってね」

「そうなんだ」

おばさんがカレンダーを嬉しそうに見ている。

「あら、この日、いいんじゃない?2月14日、バレンタインデイ! ちょうど大安吉日で」

「いいよ。おまえもいいよな?」

「……う、うん…」

入籍…!入籍…?
入江くんと……?
いいの?本当にいいの、入江くん?
だって……

「どうした?」

何処か不安気な顔をしていたのだろう。入江くんが訝しそうに覗き込んだ。

「…ううん、何でもない」

そう、だって夢だもん。
気にすることなんてない。
あたしの世界の中心が入江くんのように、この入江くんの中心もあたしだ。入江くんはあたしだけを見てくれて、あたしのことだけ考えてくれている。
それはそれは凄く幸せな時間。そう、永遠に醒めないで欲しい。

………でも、それは本当に、入江くんなの? あたしの大好きな入江くんなの?
……ううん、待って、あたしはどんな入江くんだって大好きな筈!
冷たくっても意地悪でも、どんな酷いこと云われても嫌いになんてなれなかった。
……そうよ、どんな入江くんだって…

「愛してるよ、琴子」
こんな風にこっちが赤面するような言葉を毎日のように囁いてくれる入江くん。例え全部あたしの妄想から生まれた入江くんだとしても、ほら……キスはこんなに甘くて熱い。時々こんなキスをくれる。想いが唇から流れ込んでくるような、陶然とするようなキス。
そのキスを受けている時、凄く凄く切ない気持ちになるの。なんでだろう…?

気がつけば入籍予定のバレンタインまであと数日となっていた。
幸せなのに何処か不安なのは、この夢がいつまで続くのか分からないせいなのかな?
これまでは、あの雨の日から、ハネムーンから帰って数日の、1ヶ月もない期間を、何度も繰り返していた。
でも今回は全くこれまでと違う日々を過ごしているから、もうあの日に戻ることはないのかな?
ずっとずっと、永遠にこのままなのかな?
永遠に醒めない夢の中に――。

「パパ、顔色あまりに良くないわね、大丈夫?」

おばさんが心配そうにおじさんの背中を擦っていた。

「…大丈夫だよ」

「会社、まだあまり状況良くならない?」

「ううん、少し厳しいな。折角大泉さんから援助いただいたが、これといった新商品の開発が間に合わなくて、クリスマス商戦も、お年玉商戦も今一つだったんだ。
何とか新機軸を打ち立てないとーー」

ため息をついているおじさんの横を、入江くんがそ知らぬ顔で通り過ぎていく。あたしはあまりの無関心さにびっくりしてしまった。

「…いいの? 入江くん…」

「何が?」

「…だって、会社大変そうだよ」

「そうだな。でも、もう会社には関わらないって決めたから。琴子だって俺が医者になった方がいいだろう?」

それはそうだけど。でも、お医者さんになりたいっていう入江くんのこと応援したかったから……

「…大丈夫だよ、琴子が心配しなくても」

そして優しく抱き寄せてくれる。
この入江くんは、本当にあたしのことしか考えてない。
あたしは凄く幸せな筈なのに、なんだか得体の知れない不安がいつも心の片隅にある気がする。

そして。
2月14日。バレンタインデイ。
とうとう入籍の日が来た。
あたしたち二人は区役所に向かう。

「婚姻届下さい」

差し出された用紙にそれぞれの名前を記入する。

「おい、まだ相原だぞ」

「あ、そうか」

慌ててもう一度書き直す。こんどは、相原琴子、と。
そしてこの名前を書くのはこれで最後の筈だ。これを出したら……
――入江琴子。
早くそうなりたかった。
早く……

いいの? 本当に? いいの?

心臓がスゴくドキドキしてきた。
だって、入籍だよ? 入籍ーーしちゃっていいの?


――入籍は、まだしない――

そう言っていた入江くん。
それには理由があった筈なのに……。

手が動かない。どうしても――

「琴子?」

くらりと世界が歪む。

入江くんの顔もぐにゃりと歪んだ。

違う。
この人は、入江くんじゃ、ない………!

「どうして? おれは入江直樹だよ。おまえの大好きな……」

違う――!

「おまえの望んだ、優しい、おまえのことだけ考えてる………」

違うの……!




世界が再び歪んで――そして、暗闇が訪れた――。

                                             











※※※※※※※※※※※





ーーー『夢』は少しずつ変化していきます。
コピーのコピーを続けていくとだんだんと原本からずれていくように。


なーんて。実はちょっとこの時期で『琴子まっしぐら』な直樹さんを書いてみたかったのです。極甘ストレートネクター直樹。……もはや別人28号……(←古っ)






今日から仕事始め(._.)でも初日から母の病院の付き添いで半休。休み明けの病院はだだ混みで、かなり待たされました。お陰で待ち時間にこっそり修正やら校正やら出来たりして(^^)v
娘と旦那は明日からなので、やっと平常運転な感じですね。
さあ、頑張りましょう♪



あ、あと、前にアメブロ、スマホからだと限定記事が書けないと言ってましたが、あれも勘違いでした。出来ました♪ 教えてくださったN様、ありがとうございます!(古ーい家、某所にて限定公開中……)






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Snow Blossom


2015年01月06日
  1. 彼女は美しい夢を見る。 (7)(01/06)