19990506~ナンジャモンジャの木の下で 5



「…な、なんで……?」

きっぱりと宣言する幹の言葉に、仁科は一瞬たじろいだ。

「確かに琴子はドジだし馬鹿です。でも琴子は先生と違ってちゃんと自分がドジで馬鹿ってことわかってますから。無知の知ってヤツです。だから琴子は絶対命に関わる処置に関しては何度も復唱するし、何度も確認します、それこそ、新人ナース並みに、周りが辟易するくらいしつっっこくっ! 一年経ってみんなそこそこ慣れてきて確認動作がいい加減になってきているのに、この娘だけは変わらないんです。だからアタシたちは琴子の言うことが正しいって断言できるんです」

「そんなことが証拠になるとでも……イタッ」
尚も食い下がろうとした仁科の頭をカルテでバシッと叩いたのは今まで静観していた西垣だった。

「いい加減に認めろ! 往生際の悪い!」

みんなが西垣に注目し、そして否が応でもその後ろに立っている男の姿に驚いた。

「入江くん……!」

どうやら成田から直行してきたらしいスーツ姿の直樹がそこに居たのだ。
琴子はこの医療者として情けない事態を見られていたのだと思うと、恥ずかしくて堪らなかった。

「おまえな、ナースから注射器渡されて薬剤の量に疑問を持たなかった時点で医師としてアウトだろうが!」

ぐっと唇を噛み締める仁科に、追い討ちをかけるように西垣の叱責は続く。

「さらに自分のミスをナースに押し付けるなんざ、医師としても人としてもサイテーだな。おまえ、医者向いてないわ。さっさと辞めた方がいいぞ?」

「そ、そんなこと言っていいんですか? 僕の父は……」

「地方の総合病院の院長さんだろ? 厚生省にパイプがあるのが自慢らしいが、その厚生省のお偉いさん、検察に眼をつけられてるって評判だ。親父さんに気をつけるように言っとけ」

くっと顔を歪ませると仁科は全員を睨みつけて駆け出して行った。

「…まさにシッポ巻いて逃げるって感じですね」

幹が呆れたように云う。

「明日から来ないかも」

「厄介だから来なくていいし。彼が前にいた内科から注意書が来てたんだ。だから気をつけていたつもりだったんだか……婦長、すみません。うちの医師がとんだ迷惑かけて、ナースに罪を擦り付けるような真似をして」

「いいえ。この件に関してはうちのナースにも非はあります。わかってますね? 入江さん、竹原さん」

それまで清水主任に任せて沈黙していた細井婦長が初めて言葉を発した。

「…はい」

琴子が少し震えた声で答える。

「あたしがきちんとペルジピンの適性数量を把握していれば、直ぐに仁科先生の指示に疑問を持って対応出来ていました」

「その通りです」

婦長の言葉に、西垣がおどけた声を出す。

「それは厳しいよ。ペルジピンはうちじゃ頻繁に使う薬じゃない。いつも降圧剤は内服薬を使うからね。それに毎日増える新薬にジェネリック薬品、全て把握するのは医者だって難しいのに」

「すみません! あたしもペルジピンは使ったことなくて……アンプルが10mlだったから、0.5mlなんて考えもしませんでした」

竹原も頭を下げる。

「四年目の竹原さんが気が付かなかったんだから、琴子ちゃんが間違いを見過ごしたのは無理ないよ」

そう西垣が琴子の肩を触ろうとした時――。
その手をぱんと弾き、今まで無言を貫いてきた直樹が初めて前に出た。

「患者にとってナースが一年目だろうが四年目だろうが関係ない。そうだろう? 琴子?」

直樹の厳しい瞳に、琴子は目を反らし、ただ一言「はい」と答えた。

「おまえ、久しぶりにあった妻にその態度かよ。ひでぇヤツ。琴子ちゃん、こんな冷たいダンナ捨てて俺んとこ来なよ」

そう言って再び琴子の肩に手を回そうとしたが、今度は琴子がスッと避ける。

「…とにかく、今回は何事もなかったけれど、次回はそうとは限りません。知らない、わからなかったじゃ私たちの仕事は済まされないってことをくれぐれも肝に銘じて下さい。分かりましたね? では、各自仕事に戻ってください」

ぱんと手を叩いた婦長の言葉を合図に、みな解散となりそれぞれ仕事に戻って行った。

「……い、入江くん、おかえりなさい」

医局に二人だけ取り残されて、琴子は下を向いたまま告げる。

「ああ、ただいま」

「い、今着いたの?」

「ああ」

「ごめんね、着いた早々ゴタゴタしてて」

「琴子、おまえ私服だけど仕事はもう終わりなのか?」

「あ、うん。ずっと休み取ってなくて、半休取れって婦長から言われてて……」
昨日倒れて強制的に休みを取らされることになったとは言えない。

「…じゃあ……」

直樹が言い掛けた途端、医局の電話がけたたましく鳴り響く。部屋に戻ってきた一人の医師が取り、「入江先生、平松教授からです」と直樹に受話器をかざした。

「あ、はい」と直樹が電話に出ている間に、琴子は逃げるように部屋から出ていった。

――恥ずかしくて、情けなくて顔をまともに見られない。

きっと呆れられてしまったかもしれない。なかなか成長しない妻に。
もし、直樹がアメリカ行きを決定してきたのなら……間違いなく置いていかれる。
そして、神戸の時のように自分で何もかも決めてしまうだろう。決して誰にも相談せずに――。






ふらりとやって来たのはいつもの場所。
はらはらと白い雪のような花びらが散って、綺麗だけれど物悲しい。

琴子はその樹の根元に立つと、ガシッとその太い幹に抱きつく。

「あーん、もう情けなくて入江くんの顔を見られないよ……」
頭の中がぐちゃぐちゃ過ぎて、さっきも何を話したらいいのかわからなかった。
ここ数日の心の揺らぎを悟られたくなかった――。




※※※※※※※※※※※※※※※

次で最終話の予定です……(^^;



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19990506~ナンジャモンジャの木の下で 4




医局に到着すると、そこには西垣を初めととする数人の医師と、細井婦長、そして琴子の担当を午後から引き継いだ看護婦竹原と、彼女が指導係(プリセプター)をしている新人ナースの植村がいた。植村は目を真っ赤にして泣きじゃくっている。

「……ど、どうしたんですか?」

緊迫した雰囲気に、琴子の緊張と不安が一気に上昇した。

「…入江さん、あなた午前の終わり頃に、仁科先生から302号室の患者さんに午後の回診時にペルジピンを注射するという指示を受けて薬を準備して、午後担当の竹原さんに申し送りしたわね?」

「…は、はい」

「あなたは何mlと伝えたのかしら?」

「5mlです。仁科先生から電話でそう指示を受けました」

「嘘だっ! 僕は0.5mlって伝えたぞ!」

仁科の言葉に、琴子は顔から一気に血の気が引くのを感じた。

仁科医師は、琴子や直樹より1つ下、2年目の研修医である。外科に研修に来てまだ一ヶ月足らずだが、どちらかといえば評判は余りよろしくない。
親が病院を経営していたので何となく医者になったというお坊ちゃんタイプで、なまじ勉強も出来てルックスにも自信があった為に鼻持ちならないと、ナースたちからは辛口評価しか聞かれなかった。
何にせよ外科には入江直樹がいるのだ。そんじょそこらのイケメンにはたいして関心を持たれない。
そのうえナースを医者のアシスタント程度の存在と見下している医師に対して、彼女たちは大変敏感に察知する。
琴子自身、今まで関わりがなかったのだか、今回初めて自分の担当患者の主治医となり、みんなの低評価の理由が少し分かった気がした。
患者さんへの態度が余りにも不遜だった為に、やんわりと注意したら子供のようにキレられた。
それに直樹がアメリカに旅立ってからは、露骨にセクハラ紛いのことを琴子に言ってきた。開けっ広げに琴子に言い寄ってくる西垣医師とは違い、どうも粘着質で冗談に思えなかった。
直樹のことも根掘り葉掘り聞いてきて、自分が優位なところを探しているように感じた。
苦手ではあったが、仕事に関して医師を信用しないわけにはいかない。なるべく態度に表さないよう、努めて平静に仕事をしているつもりだった。

午前中、電話で仁科から薬剤の指示を請けだ時、口頭のみの指示に不安を感じた。だから何度も確認した筈である。

「いいえ……仁科先生は確かに5mlと仰いました」

琴子は毅然と云う。

「私、電話でも復唱したし、その後メモ書き見せて、再度の確認に伺いましたよね?」

口頭指示は基本ご法度だが、緊急を要する医療現場では、指示書が後回しになってしまうことが往々にある。
それ故薬剤の指示は複数の眼が監視するシステムになっている。

「嘘だっ! 確認なんて来ていない! 彼女が間違えたんだ! 自分がのミスを人に押し付けるなんて!」

仁科は顔を真っ赤にして訴える。

「仁科先生。口頭指示は言った言わないの水掛け論になるだけですから」

「ちゃ、ちゃんと指示書は書いたんだ、ほら」

ペルジピン、0.5mlと書かれた指示書を見せる。

「まあこんなの後から書けますからね。0と点を足すだけとか」

清水主任の冷ややかな声に「やっぱりナースはナースを庇うのか?」と、険しい顔を向ける。

「…あの、患者さんは大丈夫だったんですか?」
一番気になっていたことをやっと主任に訊ねた。

「植村さんがセットして、竹原さんが確認して――回診時間に仁科先生が打つ寸前だったの。指導医の西垣先生が、注射器の薬剤の量を見て慌ててストップをかけて、なんとか事なきを得たわ」

よかった、と琴子は胸を撫で下ろした。

「ペルジピンを5mlも打ったら血圧が下がり過ぎて命に関わったでしょうね。一歩間違えたら医療事故となっていたわ」

誰が間違えたとか、患者さんには関係ない。医療従事者のちょっとしたミスで患者さんの命を危険に晒したのだ――そう思うと息が詰まる程苦しくなる。

「植村さん……」
まだ目を赤くしている新人ナースを見つめる。
自分がミスをしたのかと青ざめ、自分の用意した薬で人が死にかけたことにショックを受けたのだろう。
自分が間違えたわけではないとわかっても、衝撃は収まらない。
それは琴子も同じだった。
自分がミスしたのではないと確固たる自信はあったが、やはりもっと早い時点で回避できたのではと悔やまれる。

「と、とにかく僕は間違えてないからな! 間違えたのは彼女の方だから!」

唾を吐き散らしながら琴子を指差す。

あくまで自分の責任を回避しようとしているこの研修医を黙って見ていた西垣は、そろそろ場を納めるべきかなと口を開きかけた瞬間、背後に不穏な気配を感じ、後ろを振り返る。

「……………おまえ! いつの間に……」

気配の持ち主が厳しい伶利な瞳を向けて、前に踏み出そうとしていた。

「待て」

西垣が彼の腕を掴み、制した。

「おまえが出ると余計拗れる」

彼は眉をひそめて苦虫を噛み潰したような表情をする。

二人がこそこそと話している間にツカツカと幹が皆の輪の中に入ってきた。

「仁科先生は、琴子が確認に来ていないと仰いますけど、ここに証拠があります」

「モトちゃん……」

「これ、琴子が電話を受けた時のメモ用紙です」

幹はナースたちのデスクにそれぞれ置いてあるピンクのメモ用紙の一枚を見せる。

「ゴミ箱に棄ててあったの回収してきました」

メモには確かに『302 梶田さん ペルジピン5ml 午後回診時投与』と琴子の丸っこい字で書かれていた。

「だから電話でもう聞き間違えているんだよ!」

「でも琴子の言ったように、彼女は復唱している筈だし、このメモを持って医局に来て、これを先生に見せて確認を取っている筈です」

「ハズ、ハズって、実際彼女は復唱していないし、そんなメモ、僕は見てないし! だいたい何でみんな彼女の言うことを信じるんだ! ミスばっかりしているナースだそ!」

息巻いている仁科を、そこにいる誰もが――琴子以外は――冷ややかな瞳で見ていた。

「あー、あたし見ましたよ、琴子が先生にそのメモ用紙見せてるところ。先生、それチラッと見て、『ああ、いいよ』って仰ってました」

後から医局に入ってきた真理奈が宣誓するように手を挙げて証言する。

「き、君は彼女の友人だろう? そんな庇うような証言アテになるもんか!」

それでも自分のミスを認めない仁科に、幹は呆れ返って一つため息をつく。

「仁科先生。先生は琴子がドジばっかり失敗ばっかりのナースだから責任転嫁出来るとお思いでしょうけど。
……あたしたちは知ってるんです。薬剤の名まえ、数量、滴下速度、医療機器の設定……人の命にかかわることに関して、彼女は絶対ミスしないっていうことを――」

きっぱりとした幹の言葉。
そして周囲のナースたちもその言葉に誰も異論のないように、微かに頷いていた………。



※※※※※※※※※※※※

医療ネタがちょいちょい出てきますが……私、医療従事者ではありませんので、多少なりとも調べてはおりますが、かなりいい加減です。ヒヤリハット事例を調べても細かい状況とかやっぱりわからないんですよね。なので、かなり想像で補っています。あとは医療ドラマなどのイメージを参考に。医療関係者の方から見れば嘘っぱちだと思われるでしょうが、あくまで創作だと見過ごしいただければ嬉しいです………(._.)



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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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