19990506~ナンジャモンジヤの木の下で 1



斗南大学付属病院には二つの中庭がある。
一つはA棟とB棟の間にあり、二つの棟を繋ぐ連絡通路自体がガラス張りのカフェスペースとなっていて、そこからそのまま出られる中庭は、『フラワーガーデン』と称され、皆の憩いの場となっている。池や噴水、寝転がれる芝生もあり、ベンチも幾つか配置されていて、散歩する患者や休憩する職員で昼日中は随分賑やかである。
特にこの時期というと花壇の花々が見事に咲き誇っている。
ペチュニア、ムスカリ、インパチェンス、マリーゴールド。春からのビオラやパンジーも手入れが良い為か、まだまだ見ごろだ。
それに今が盛りなのは院長が丹精している薔薇のアーチだろう。小花から大輪まで、赤や白や黄、オレンジと色鮮やかに周囲の緑を背に映えわたっている。

けれどもう一つの中庭――B棟とC棟の間のスペースは、『裏庭』と称され今一つ冴えない空間であった。
ベンチもなければ、花壇もない。
ただ一本の大樹が其処に在るだけ。
けれどその大樹は、四月の終わり頃から五月の初旬までのほんの短い期間だけ、それは見事な白い花をつける。細長い四つの花びらが幾つも集合し、雪が降り積もっているかのような、幻想的な光景。
だが、その美しい姿に気づく人は少ない。
この中庭を取り囲む建物には窓があり、この大樹をのぞむことは簡単だが、この地味な庭にいちいち目をやる者は滅多にいないようだ。
棟と棟を繋ぐ連絡通路は東側西側と二ヵ所あり、文字通りこの中庭の四方を取り囲んでいる。通路は全面開口の大きな窓となっていて、どの階も見晴らしはよく、白い花の咲くこの時期だけは立ち止まってその見事な大樹を眺める者もいるのだが、ほんの一時だけのことである。

そして。その大樹を間近に見られるB棟三階の窓から、その美しい白い花の開花に気付きつつも、ただぼんやりそれを眺めるだけのナースが一人――。



「は~あ……」
琴子は休憩室の窓から顔を出し、外に向かって今日何度目かの盛大なため息をついた。

「なーに、ため息ついてんのよ。幸せが逃げて行くわよ」
後ろを通り過ぎるついでに、幹が琴子の頭をぽんと書類で叩いていく。


「いったぁ、モトちゃん……だってぇ……入江くんがぁ…」
窓枠に肘を付き、はあ、ともう一度ため息をつく。

「ああ、入江く先生ね。いつ帰ってくるんだっけ? アメリカから」

「今日帰って来るの」

その割に浮かない様子である。
ほぼ10日ぶりに愛するダーリンが帰って来るのだ。いつもならば狂喜乱舞、朝からウッキウキて仕事にならないくらいだろうに。

「それで今日半休だっけ? もうあがるの?」

「うん、入江くんいつ帰るのか分からないけれど、晩御飯美味しい和食準備しとかないと」

「あんたが作るの?」

「……だ、大丈夫よ。お義母さんと一緒に
作るし」

「……まあ頑張って。あんた顔色悪いわよ。どうせ入江さんがいないからって食欲不振で貧血気味なんでしょ?」

「…うっ。まあ、そうだけど」

アメリカのH大で行われる学会に参加する教授に随行し、旅立って行ったのは10日前のこと。
無論短期間だし、琴子も仕事が忙しい。神戸の時みたいに拗ねたりごねたりせず、笑って送りだしたのだ。
けれども例の如く2、3日で直樹不足症候群が発病し、テンション下がりっぱなし、食欲も失せて、鬱気味で失敗も多い。

「たかだか10日で何よ。神戸の頃はもっと会えてなかったでしょ」

呆れたような顔をする幹に「そうだけどさ」と、目を伏せて呟く。「あたし、五月病かも」

「何よ、五月病って」

「なーんか気が滅入る……っていうか、憂鬱というか…」

「もう、しっかりしてよ! 琴子は元気だけが取り柄なんだから! 旦那の姿が見えないくらいで何よ、そのていたらく」

まあ旦那の存在が琴子のすべてなんだけどね。
分かってはいるのだけれど――と、幹はふぅとため息をつく。

「だって…アメリカ行く前だって、ずっとシフトが合わなくて一週間近くスレ違い生活だったのよ?」

「…ああ、それで欲求不満?」

「そうよ、欲求不満……って、そっちの意味じゃないわよっ」

突然ぼんっと真っ赤になって抗議する琴子に思わず吹き出す。

「…まあ、間違いなく入江さんは欲求不満でしょうね」

「へ?」

「なんでもなーい。でも今日は帰ってきて夜は一緒に過ごせるんでしょ?」

2週間以上かぁ――こりゃこの子、明日はよろよろね、と思いつつ心の中で合掌する。

「多分……全然連絡くれなくて……昼頃着く飛行機の筈なんだけど……」

そう呟いて、琴子は見える筈のない飛行機の姿を探すように、窓の外の抜けるような青空を見上げた――。



※※※※※※※※※※※※※※※

前後編程度のボリュームの話なんですが……4、5話くらいに分けてアップするかも、です。

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管理人の、のののです。イタズラなキスにはまって、二次創作を始めました。

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